新聞の発行部数の凋落が止まらない。宅配部数が減少しているだけでなく、駅の売店やコンビニの店頭販売といった店売りでも新聞の売れ行きは大幅に落ちている。かつて、駅の売店の三大販売商品といえば、新聞・雑誌・煙草であったが、スマホの普及によって車内で乗客はスマホを見る人がほとんどとなり、紙の新聞や雑誌を駅の売店で購入して読む人が大幅に減少した。加えて煙草も喫煙者の減少が影響しており、それらの要因が重なったことで、駅の売店の売り上げが減り、その結果として駅の売店が閉鎖となったり、食品や飲料の品揃えを充実させた駅コンビニへの移行が進められたりしているのである。

通常のコンビニにおいても、新聞購入者の減少は進んでいる。かつてはコンビニの入口付近に、全国紙・地方紙がフルに並べられていたが、最近は、取扱う新聞の種類を絞っており、中にはコンビニでの新聞販売そのものも止めてしまう店舗も出てきている。スマホやタブレットの急速な普及によって、消費者が電子化された情報を読むことで満足し、紙の新聞を読まなくても、電子情報でそれを読めば十分だと思う人が増えている。

 

 

同じ情報媒体でも、雑誌や本と違って、新聞は広い分野の最新情報を文字にしてタイムリーに読者に提供することで成り立ってきた。もちろん、スマホやタブレットが登場する前から、テレビという情報媒体があり、映像情報をタイムリーに視聴者に提供していた。しかし、その場で流れ消えてしまう映像情報ではなく、きちんと記録に残る信頼性の高い文字情報を入手したいというニーズはテレビの登場以降もずっと存在していた。それらの読者ニーズがこれまでも新聞事業を支えてきた。最近の通信のブロードバンド化、ネットワーク化、デジタル化の急速な進展が、スマホやタブレットを使用すれば、いつでも手軽に最新の文字情報(勿論、映像情報も)が入手できる時代になったのである。

 

 

新聞は、夕刊だけとか週一回発行するものもあるが、基本的には毎日二回、朝刊と夕刊が発行され、宅配の場合はそれがセット売りとなっている。しかし、最近は夕刊を廃止して、朝夕セットにした統合版とし、一日一回の朝刊のみの発行に切り替わる傾向にある。かつて夕刊はその日の株や為替のその日の最新の値動きを知る上で重要であったが、今はネットで最新情報が入手できるので、代りはいくらでもある。毎日朝晩二回宅配を行うのは非常に労力がかかり、特に地方に行くとその傾向が強まることから、最近では地方紙の夕刊の廃止が進められ、それに合せるかのように全国紙も地方から段階的に夕刊の廃止が進んでいる。

日本新聞協会の調べでは、2023年の新聞の発行部数は一般紙とスポーツ紙合わせて2859万部であり、前年(2022年)の3085万部から225万部減となり、とうとう3000万部の大台を割ってしまった。新聞発行のピークは1997年の5376万部発行されていたことを考えると実に47%の減であり、毎年100万部以上が減少したことになる。特に、スマホやタブレットが本格的に普及し始めた2010年前後から発行部数の減少が顕著になっており、2018年からはそれが更に加速している。もはや、新聞の減少は歯止めが掛からず、新聞社自身も後5年程度で最終局面を迎えるのではないかと言われている。

 

 

そもそも新聞社は、新聞を売るのではなく、本来はコンテンツを売るビジネスである。従って紙の新聞の発行部数が減っても、その代わりに、コンテンツを電子化して売ることで事業が成り立てばそれでいい。いわゆる電子版の新聞、電子新聞である。大手新聞社は、業態変化によって生き残ろうとすべく、競って電子化を進めた。それを有料の電子新聞として販売しようとしたが、なかなか思う通りには事業としては成功しなかった。既に、世の中には無料で読めるネットニュースが多数あり、いくら大手新聞社の電子版の記事とは言え、そこまでしてお金を出して見たいと思う読者は限られているのである。

大手新聞社の電子新聞は、読売は紙の新聞に電子版が無料でセットされていて電子版のみの販売は行われていない。逆に産経は紙の新聞と有料の電子版は別々のものとして分けて販売されている。一方、朝日・日経は、紙の新聞に有料で割安にセットされた電子版が販売され、それに加えて割高になるが電子版のみの販売がされている。毎日は紙の新聞に電子版の簡易版が無料でセット、紙の新聞に電子版が有料でセット、有料の電子版のみの販売の3パターンから選ぶことができるようになっている。新聞各社は、色々な工夫をして電子新聞事業に取り組んでいるが、現在ほとんどの新聞社がその実績を公表しておらず、電子新聞事業そのものも十分な利益が出せていない状況にある。その中で、唯一日本経済新聞だけが事業として成功し、部数も定期的に公表している。2024年6月の日経新聞・電子版の購読者合計は235万部であり、その内訳は、日経新聞138万部、有料電子版97万部である。また、無料登録会員を含む電子版会員数は654万であり、経済専門紙として分野の特化した情報を保有することで、一般のネットニュースとは差別化を図って、独自の事業展開を図っている。但し、これまで20代の若者や女性層を中心に伸びてきた有料電子版も、ここ数年はやや伸び悩んでいる。他社のデジタル版に比べると順調に成長してきたものの、ここにきて日経のデジタル戦略も正念場を迎えている。

 

 

次の質問は、日本で最初に本格的な立上げが行われた電子新聞事業に関する問題である。当時は、通信回線のブロードバンド化が進んでおらず、スマホもタブレットも生まれていなかった時代であり、電子新聞を家庭に送ろうと思っても、新聞情報のような大量の電子データを一気に送る方法が難しかった。そこで、大量の文字情報を伴う新聞情報を通信回線ではなく、放送電波を利用して送るという斬新なアイデアが出された。少し専門的になるが、当時のアナログ地上波のテレビ放送は、走査線を一本おきにスキャンして伝送するインターレース方式(飛び越し走査方式)であったために、放送電波に使用されていない電波の隙間がある。そこに文字情報を埋め込んで送れば、新たな設備投資を行わなくても、一度に大量の文字データを家庭に送ることができるのである。このような画期的なアイデアで事業化が進められた電子新聞事業であったが、果たしてこの事業は成功したのだろうか。

 

Q1:電子新聞社は1995年に業界初の「電子新聞」を事業化した。テレビの放送電波を利用して、最新の新聞情報を毎朝携帯ビュアー端末に送り、「電子新聞」の購読者は端末の液晶画面でその日の新聞文字データを全て読むことができるという画期的な事業であった。当時は、インターネット環境もまだ十分整備されておらず、大量の文字情報を通信回線で送るには時間とコストがかかり過ぎた。現在のように新聞情報をブロードバンドの通信回線を使って、手軽にネットで見るような環境にはなかった。それに対して、「電子新聞」は朝一番に最新の新聞情報を放送局から放送電波を使って購読者の自宅に送られ、テレビアンテナを経由して予めテレビの側に設置しておいた掌サイズの携帯ビュアー端末にデータが蓄積されるという仕組みであり、今まで世の中に全く無かった新事業であった。新聞購読料は一ヶ月1350円、事業のペイラインは数年間かけて購読者5万人程度を確保するということであり、この程度の数量であれば、十分にクリアできる目標であった。新会社に求められたのは、何もないところから、どのような方法で5万人程度の購読者を確保して、この事業を普及させて行くかであり、ここがこの新事業の課題であった。電子新聞社はこの新製品がどのようなものかを世の中に伝え、どのような手法を用いて購読者を確保していったのであろうか。その具体的に実施した施策について次の中から選んで欲しい。

 

①電子新聞社は、新事業はスタートが重要だと考え、最初にテレビCMを一気に大量投入することで徹底した訴求を行った。

②電子新聞社は、新規顧客は携帯ビュアー端末を購入する必要があることから、このハードルを引き下げるため、2年間購読契約を結んだら、機器代は無料にするという条件で、市場導入時に携帯ビュアー端末を無料配布した。

③電子新聞社は、電子新聞の顧客ニーズは、僻地にあって新聞がその日の内に届かないような顧客がターゲットになると考えた。そこで、該当する地域にこの新製品の効用を説明すべく、対象を絞ってDM送付や訪問販売を行った。

 

 

 

A1:答えは①である。

事業開始時に大量のテレビスポットを集中投下した。しかし、事業としては成功せず、立ち上げに失敗して1年後に撤退した。

1995年7月に試験放送を開始し、10月に正式に事業としてスタート。フジテレビの放送電波のエリア内である首都圏で販売をスタートさせた。販売当初から、数週間テレビCMを集中投下し、一気に事業の立上げを図った。しかしながら、広告宣伝を大量投入したにも関わらず購読者の獲得は思うようにできなかった。広告投入が売上に繋がらず、販売予算が底をついてしまい、電子新聞市場の立上に失敗した。

電子新聞社とは産経新聞やフジテレビ等が出資して設立した「株式会社電子新聞」のことである。この電子新聞サービスは「E-NEWS」という名称で呼ばれ、テレビ放送電波の隙間を利用して毎朝産経新聞の文字情報をデータ化して家庭に送り、独自の携帯液晶ビュアー端末にその情報を蓄えることで、新聞と同じ内容(約45万文字)の記事が携帯端末を持っていればどこでも読めるという画期的なコンセプトの製品であった。当時は、まだインターネットが発展途上であり、パソコンもデスクトップ型が主流で、携帯電話もガラケーでスマホは登場していなかった。この時点では掌サイズの携帯ビュアー端末を使って手軽にどこでも持ち運べる「電子新聞」は他と比較しても優位にあった。加えて、データ放送システムは、送り側は既存のテレビ放送局の電波の隙間を利用、受け側は家庭のテレビアンテナをそのまま利用するので新たな投資は不要であり、コンテンツも産経新聞が制作する新聞文字データをそのまま利用することで対応が可能であった。投資リスクが最小限に抑えられ、事業化の条件が整っており、当時は有望事業として注目されていた。

1995年7月に試験放送を行った後、1995年10月に販売を開始した。当時はフジ産経グループのバックアップもあり、スタート時にはテレビCМにフジテレビの有名アナウンサーである露木茂アナと小島奈津子アナの両名を起用して、テレビCMを大量に投入するなど派手な事業立上を図った。しかしながら、これまでに世の中には全くなかった新製品であることから、テレビCMだけでは製品理解が進まず、市場の反応は鈍かった。結果として新市場の形成に至らず、1997年には事業を終息することとなった。

これまで世の中に存在しなかった全くの新製品をテレビCMのような手段を使って短時間で顧客に理解させるのは難しい。テレビCMは短時間での重点ポイントを訴求することを得意とする媒体であるのに対して、「電子新聞」は特定層へ時間を掛けてでもきめ細かく丁寧に説明することが求められる製品であり、そもそも市場立上時に消費者に製品を理解させる上での訴求方法に無理があった。結果として事業開始スタート僅か数週間で大量のテレビCMを投下して予算を使いきってしまい、その後は次の手が打てなくなってしまった。事業継続に必要な新聞読者の確保が出来ず、市場形成が進まなかったことで、新事業は失敗し、業界初の「電子新聞」は僅か一年でその幕を閉じることとなった。 

振り返って考えてみると、ペイラインは5万台程度であり、購読料も1350円と当時の紙の新聞と価格を比較してもリーズナブルなので、ドブ板営業でコツコツ堅実に読者を増やしていけば、決して難しい計画目標ではなかった。徐々に普及が進んで行けば、新事業として立ち上がり、市場形成も可能であった。数年後に通信のブロード化が進んでも、顧客さえ確保していれば、タイミングを見て、情報の提供方法を放送から通信へ、新聞を読むためのツールも液晶ビュアー端末からパソコン、タブレット、スマホ等へとシフトしていくこともできたと思われる。尚、上記質問の中の選択肢②にある端末の無料配布(このような施策はその後携帯電話やADSL回線サービスにおいて、普及施策として行われ大きな成果を上げた)や選択肢の③のように山間部や遠島・船舶等の新聞の即日配達に難のある地域にターゲットを絞り地道な拡販活動を行えば、一定の購読者の確保は可能だったのではないかと思われる。

全く新しいコンセプトの製品を消費者に訴求して事業を立ち上げるには、広く認知させるだけでは効果は期待できない。多くの人が関心を持ったとしても、最終的に購買行動に繋がらなければ効果があったとは言えない。世の中に全く無かった新事業を立ち上げるには、まずは必要性を感じるコアユーザーを見つけ出し、そこにターゲットを定めて、市場立上に注力することが重要である。絞り込んだ顧客に、限られた販売力を集中して実需に結びつけ、それを中核として周辺にいる関心を持つ層を広げていくことが大切なのである。

 

 

【その後の電子新聞】

電子新聞社は「電子新聞」の事業終息に伴い廃業となったが、その時の経験とノウハウは別の形で生かされている。株主の一社であった産経新聞は、その後自社のシステムを発展させて、産経新聞の朝刊を写真も含め全面電子化してネットで配信、2008年にはスマホを使って無料で新聞を読むことができるようになった。2017年からは「産経電子版」として有料化され、現在も月額1980円で事業を継続している。

現在、日本の大手新聞社は色々な形で電子新聞事業を展開しているが、最も事業として成功したのは、日本経済新聞社である。先に述べた通り、有料電子版は97万部を確保している。大量の電子情報や検索機能も充実し、紙の新聞とは違う形で読者から評価を得ている。1995年「電子新聞」立上当時は、日経も電子新聞社との連携を模索し、日経コンテンツの「電子新聞」への提供を検討したが、ライバルである産経新聞が出資した事業であり、最終的には実施しなかった。数年前の日経ビジネスの記事の中で日経電子版事業に携わった日経社員が当時のことを回想しており、「当時は日経社内でも色々と議論があったが、『電子新聞』にコンテンツ提供をしなかった判断は正しかった」と述べている。