一般的には高さが60メートル以上、20階以上のマンションをタワーマンションと呼ぶ。住宅戸数も一棟で数百戸から大きいものでは1000戸を超すものもあり、一つの町が一つの建物にすっぽり入るような規模である。都心の臨海地区に林立する多数のタワーマンション群を見ていると、一体このエリアにどれくらいの人が住んでいるのだろうと思う。

 冷静に考えれば、誰でも思うことかもしれないが、あのような地上から離れた高いところにわざわざ住居を構えて生活することが本当に良いのかという疑問がある。一般的には、日本、韓国、中国、シンガポールといった東アジア圏やドバイなどの一部の新興国では、タワーマンションを肯定的に捉える傾向がある。一方、米国も都心に多数の高層ビルが立ち並んでいるが、大半がオフィスビルであり、高層ビルを住居として使うというのは一部の特殊な例を除いてまだ少ないようである。英国の著名なSF作家の一人であるJ.G.バラードが、超巨大なタワーマンションをテーマにした「ハイライズ」という小説を書いているが、欧米の感覚では、多くの住人がタワーマンションに住むというのは、まだまだ肯定的には捉えられておらず、近未来SFの材料として使われている世界なのである。

 

 

 日本の場合は、タワーマンションに住むことに対する憧れがあるのか、東京や大阪といった都心エリアにおけるタワーマンションの人気は高い。職住接近を好む共稼ぎのカップルが利便性を求めて住み、コンパクトで手間のかからない生活を求めてこれまで住んでいた郊外の戸建てから都心のタワーマンション移り住む人も多く、都心におけるタワーマンションの人気は衰えがみられない。現在も強い需要があり、売れ行きも好調であり、右肩上がりの傾向が続いている。

 最近では人気が高いタワーマンションだが、その歴史はそれほど古くはない。日本では一体いつ頃から、タワーマンションが発売されるようになっただろうか。諸説あるが、一般的には日本初のタワーマンションは、1976年に埼玉県与野市(現在はさいたま市)に建てられた「与野ハウス」だと言われている。1970年に建築基準法が改正され、それまで高さは31メートルまでという高さ制限が解除された。これによってタワーマンションの先駆けとなる高層マンションが建設されるようになった。そのような規制緩和の流れの中で、高さ66メートル、21階建ての「与野ハウス」が住友不動産によって建設されたのである。

そこで、次の質問は、日本初のタワーマンションである「与野ハウス」について、タワーマンションのマーケティングという視点で考えてみたい。

 

Q1: 日本初のタワーマンションは、1976年に埼玉県与野市(現在はさいたま市)に住友不動産が建設した高さ66メートル、21階建ての「与野ハウス」である。「与野ハウス」は、高さの異なる4棟からなり、その内2棟が高層棟でタワーマンションとなっていた。4棟合わせた総戸数は463戸であり、敷地内に公園、中庭、店舗があった。

現在のタワーマンションは、広さや設備は同じでも、高層階に行くほど人気が高く、価格も高くなる傾向にあるが、当時に「与野ハウス」の価格はどのようなものだったかを考えてみたい。次の中から、正しいと思うものを選んで欲しい

 

 

①当時はタワーマンションそのものが珍しく、高層階から周りを見渡す景色は、他では経験できないものであった。そこで、販売時の価格も高層階に行くほど高くなり、1階当たり、上に行く程、30万円ずつ高くなっていき、最上階の21階の部屋の価格は、1階の同等の部屋と比べて、30万円×20階=600万円程の高い価格で販売された。

 

②当時はタワーマンションそのものが珍しく、どの階であっても、機能そのものが同じであれば、価格も同じだと考えられていた。従って、低層階だから、高層階だからと言った階による価格差はなく、最上階の21階の部屋も、1階の部屋も、間取りや仕様が同じであれば、販売価格は同じであった。

 

③当時はタワーマンションそのものが珍しく、上り下りに時間が掛かる高層階よりも、時間もかからず、エレベーターの故障や災害にあった場合でも直ぐに外に避難できる低層階に人気があった。そこで、販売時の価格も高層階に行くほど低くなり、1階当たり、上に行く程、30万円ずつ低くなっていき、最上階の21階の部屋の価格は、1階の同等の部屋と比べて、▲30万円×20階=▲600万円程の低い価格で販売された。

 

 

A1:答えは②である。

1971年当時の「与野ハウス」の分譲価格を見ると、最上階21階3LDKが4106万円に対して同タイプの2階の部屋は4049万円であり、ほぼ同額であった。タワーマンションが発売された当初は、「眺望が資産になる」といった発想はなかったのである。今でこそ、タワーマンションは、高層階が人気である。「階層別効用比」という言葉が生まれ、高層階への眺望やステイタスを求める住居ニーズが喚起され、マンション分譲時から1階上がるごとに50万円~100万円程度高く価格設定をして販売するといったようなことが普通に行われている。建物を作る時の原価は、どの部屋も同じであるから、不動産会社は分譲時から、人気のある高層階に高い値付けをしている。それが直ぐに売れていくのであるから、高層階に住みたいという希望を持った人がそれだけ多いのだろう。

 

 

【タワーマンションと災害リスク】

 タワーマンションは、1980年代後半に高強度コンクリートが使用されるようになり、1997年に建築基準法、都市計画法の法改正が行われたことで、その後急速に開発が加速した。現在は全国で約1500棟、40万戸までになっており、今後も引き続き市場の成長が予想される。しかしながら、タワーマンションも良い話だけではなく、最近になって、災害面でのリスクについての問題がクローズアップされるようになってきた。

 2011年の東日本大震災では、東北で起きた大地震の影響により、その時発生した長周期地震動がはるか離れた首都圏地区にまで波及した。大型建造物であるタワーマンションが長周期地震動に共振して数秒間の長い周期で大きく揺れ、その影響で室内にあった備品が倒れて壊れてしまうことがあった。中でも大画面の液晶テレビは衝撃で画面が割れてしまい、大量に買い替え現象が起きている。また、当時は電力不足から、地域によっては時間帯ごとに電気の供給を止めるという計画停電が実施されたことがあったが、タワーマンションでは停電時にトイレやエレベーターが使えなくなり、生活に大きな影響があった。

 2019年に首都圏を襲った台風19号の時には、大雨の影響で多摩川の水嵩さが増し、武蔵小杉のタワーマンションで冠水事故が起きたことがあった。電気設備が地下にあり、そこが冠水したことで、電気も水も使用できなくなる状態が長い期間続いた。被害状況によっては、復旧に一ヶ月程かかるケースもあった。エレベーターが止まり、断水してトイレも使えなくなると、快適だったはずのタワーマンションが陸の孤島になってしまった。

 自然災害による機能不全は、タワーマンションだけの問題ではないが、災害等の緊急事態が発生した時には、タワーマンションの高層階に住んでいることが大きなリスクになる。タワーマンションの中には、オール電化仕様で通年を通して全館空調となっており、窓も開かない構造の住居もあるが、そもそも快適な生活を維持するためには、その生活を支える電気や水道といったインフラが常に維持されていることが前提になっており、一度大停電が起きると大変なことになる。北朝鮮では、タワーマンションに住む住人は、地位の高い人ほど低層階に住むと言われているが、これも停電や断水等が起きることを普段からリスクとして考えているからだろう。そもそも、タワーマンションの高層階生活は、インフラに対する信頼性が維持できることを前提として成り立っているのである。

 現在、国税庁はタワーマンションの人気が高まる中で、それが相続税対策等に利用されるのを防ぐため、税制の見直しを行い、高層階への課税を強化している。しかし、今後日本が大きな災害に見舞われたり、社会インフラが劣化して、停電や断水が頻繁に行われるようなことが続くと、タワーマンションに対する価値にも大きな変化が生じる可能性がある。マンション価値を維持する上での前提となる社会インフラが損なわれると、タワーマンションの高層階に対するステイタスが崩れてしまい、マンション価値に対する認識も一変するかもしれないのである。