2024/3月の厚生労働省の発表によると、新卒者入社3年目の離職率は、大卒で32.3%、短大卒等で42.6%、高卒で37.0%であり、年々高くなる傾向にあるようだ。採用の方法も従来の新卒一括採用から、最初から専門職として採用するジョブ型雇用を増やす企業が増えており、ビスリーチ等の転職サイトも賑わっており、転職が当たり前のようになっている。雇用の流動化が止まらなくなり、これまで日本社会で普通に行われていた「入社したら同じ会社で定年まで務める」という働き方と「終身雇用」「年功序列」という会社の仕組みがもはや当たり前のものでは無くなってしまった。

日本社会は高度成長時代の後、バブルが弾けて企業業績が悪化し、その後30年にわたる長い停滞の時代が続いた。その中で企業の社員に対する姿勢も社員の会社に対する意識も大きく変わっていったのである。

 

 

1990年代の半ばに「会社は誰のものか」という議論がマスコミを賑わしたことがある。今では信じられないことであるが、「会社は社員のものである」という考え方と「会社は株主のものである」という考え方のどちらが正しいかということが真面目に議論された。今では、「会社は株主のものである」という考え方は当たり前のこととして、世の中に受け入れられており、会社業績が悪化すれば社員のリストラも当たり前のように行われるようになった。マスコミもそれを当然のこととし、積極的に取り上げるようなことはなくなった。ここ僅か30年程で日本人の会社に対する考え方が大きく変わってしまったのである。

現在の日本は長期にわたって経済が低迷し、将来に対する希望がなかなか見えない社会になってしまった。将来に期待が持てず、生活が不安定になり、日本人の心にゆとりがなくなった原因の一つが、会社が社員を家族としてではなく、一種の道具として扱うようになったことである。雇用が流動化したことで、会社員が安心して会社に頼れなくなり、生きる上での一番大切な生活の基盤、生活の軸足が大きく揺らいでいるのである。戦前の日本人は、地縁・血縁を生活のベースとした社会を生きてきたが、戦後の高度成長期を通して、それらが失われ、社会的連携や生活の基盤となる役割を会社が請け負い、社縁という繋がりを受け入れてきた。しかし、それが、1990年代から始まった経済構造改革、それに合わせるかのように進められた金融改革により、会社は株主のものとなった。社縁は失われ、社員は生活の基盤を経済面だけではなく、精神面でも失っていったのである。

その結果として、弱い社員を対象にしたハラスメントや職場いじめが増え、鬱になる社員が増加するといったストレス社会現象が頻発し、その傾向が年々ひどくなり、生きづらい世の中になってしまった

 

 

そこで、今回は「愛社精神のマーケティング」について取り上げてみたい。「愛社精神」というと昭和の言葉だと言われ、現在も人々の心から失われつつある。また、一部の人からはもはや死語だと言われている。しかしながら、かつての「愛社精神」は、会社と社員の信頼関係を保つ上での精神的な絆であり、会社は社員を家族のように大切に考え、社員も会社を家庭のように愛し、お互いが信用・信頼することでwin-winの関係になり、共に手を携えて会社を成長させる原動力としてきたのである、

かつて、日本の多くの会社は、社員を家族のように扱うことで会社と社員の気持ちを一体化し、社員との関係を重視し、社員に寛容な文化を気づいてきた。社内旅行一つをとっても、全社旅行、部内旅行、課内旅行があり、社内旅行に社員だけでなく家族も招くこともあった。社内運動会も、会社主催の運動会だけでなく、労働組合主催の運動会や取引先や関係会社も含めたグループ会社の運動会が行われた。また、趣味毎に多くの社内サークルがあり、会社の中で色々な場面で人間関係を深め構築する機会が設けられた。住居も、会社が社宅や社員寮が安価で提供され、家族旅行や友人との旅行も会社保養施設を利用すれば安価で手軽に行くことができたのである。

勿論、社員も人間だから、どんな組織であっても日常的に人間関係のトラブルやハラスメント行為は発生する。しかし、家族的な組織であれば、社員同士、それが会社の為にならないと思えば、余計なトラブルは止めさせようとする。黙っていて見て見ぬふりをするようなことはせずに、おせっかいをやき、自然とお互いに牽制機能が働くのである。例えば、ある課の課長が部下に対して度を越したハラスメント行為をした場合は、隣の課の課長が後でその課長の行動をたしなめたり、よその課長がその課長の部下を飲みにつれて行って助言をしたり、慰めたりするのである。これによって、それだけでは不十分かもしれないが、人間関係が極度に悪化して、組織に著しい影響を与えるようなレベルには至らないのである。また、労働組合が十分機能していれば、職場のハラスメント行為に対して労働組合側からも会社側へ牽制が入るのである。

 

 

地縁・血縁を生活のベースとした社会を生きてきた日本人は、戦後の高度成長期を通して、企業が大きく成長する中で、その大半を失っていったが、その代りを会社が請け負い、「家族的経営」という形の中で社員から信頼を得て、それに対して社員も愛社精神を持って応えてきた。地縁・血縁が失われていく中で、社縁という新しい繋がりがそれを引き継ぎ、安定した生活基盤を維持してきたのである。

「愛社精神」を具体化する手段として、毎朝「社歌」を皆で斉唱したり、創立記念日に社員全員に紅白饅頭が配られたり、創立記念日が平日でも特別休日にして休みにするなど色々な行事が設けられた。また、勤続10周年、20周年、30周年と言った節目の年には、長く勤めてきた社員に対して勤続表彰が行われ、対象者にはこれまでの会社に対する功労として、表彰状と旅行券と特別休日が授与され、表彰された社員は家族と一緒に記念旅行を行うのである。これは、社員が長年残業や休日出勤で家族に迷惑をかけたことに対して報いる意味もあるかもしれない。

このように、戦後の高度成長を踏まえ、「終身雇用」「年功序列」を前提とした信頼関係の上で「家族的経営」が成り立ってきた。その精神的な支柱として、「愛社精神」があり、日本企業は大きく成長してきたのである。しかし、高度成長時代が終焉し、バブルが崩壊、日本社会全体が外圧による構造改革・金融改革によって、「家族的」があたり前だった企業経営が急速に変容してドライな関係に変質していった。

現在でも、「愛社精神」という言葉は残ってる。新入社員に向けて「愛社精神を持つように」と話す企業は多い。しかし、ここで言う「愛社精神」は、かつてのような自分の働いている企業に滅私奉公するというような一方的なものではなく、自分の仕事に対する熱意をもって会社に貢献したいという意欲としての一種のエンゲージメントが、現在の「愛社精神」に繋がっているとよく言われている。確かに「愛社精神」という名前は残っているが、前提となる社会背景も経営体制も社員の意識も大きく変わってしまったのである。

それでは、次の質問は、ある会社において、社員が出張した際にその社員がとる行動について、現在の「愛社精神」の視点から何が求められるかを考えてみたい。

 

 

Q1:関西の会社に勤める営業マンAさんは、仕事で東京に出張することになった。出張は新幹線で往復するのが基本であるが、他にも方法は色々と考えられる。「愛社精神」にあふれる営業マンAさんはそこで出張方法に工夫は出来ないかと考えた。それでは、現在の会社において、会社の視点から考えて、もっとも「愛社精神」があると考えられる対応はどれだろうか。正しいと思うものを次の中から選んで欲しい。

 

①大阪と東京の間の交通費は、会社ルールに従って新幹線を利用して往復した。

②大阪と東京の間の交通費は、会社ルールは新幹線利用であるが、交通費が安くて済む長距離距離バスを利用することで交通費を抑制し、会社費用を削減した。

③大阪と東京の間の交通費は、会社ルールは新幹線利用であるが、長距離距離バスを利用することで交通費を抑制した。会社へは新幹線利用金額で申請し、実際の長距離バスで発生した費用との差異で浮いたお金で職場の同僚にお土産を買った。

 

 

A1:答えは①である。

現在は、余分なことをやって会社に迷惑をかけるようなことをしないことが「愛社精神」に繋がる。社員が会社の為を思って、この方がいいと思っても、余分なことはして欲しくないのである。つまり、①の会社ルールに従って新幹線を利用して往復するのが、会社にとっても、社員にとっても無理のない適切な方法である。②のように「交通費削減」という「愛社精神」を出して、無理して往復直距離バスを利用したりすると、交通費は確かに削減できるかもしれないが、社員の拘束時間が長くなり、加えて体力的な負担増にも繋がる。トータル的に考えると余分なことと見做され会社に不利益を与えることになる。③は高度成長時代、まだコンプライアンスという言葉もなく、「家族的経営」で会社が運営されていた時代であれば、「そうか、バスを利用して、浮かせた費用でお土産を買ってきてくれたか。なかなか気が利くな」「ありがとう。愛社精神があるやつだな」等と言われて、上司や同僚に褒められたかもしれない。しかし、現在の基準では、実際の支払実績と異なる費用請求をしているので、会社から交通費を盗んだことになり、コンプライアンス違反で処分の対象となってしまう。

最近は、「愛社精神」の定義が大きく変わり、判断基準がコンプライアンスが優先されるようになった。会社組織としても、人の繋がりという点では、組織としての柔軟性は失われる傾向にある。会社生活も潤いが失われていくことになるが、それを止めることはなかなか容易ではない。これからの会社員は、社縁からは距離を置き、生活の潤いを会社以外の場所に求めていくしかないのかもしれない。