東京都がカスタマ―ハラスメント防止条例の制定に動き始めた。罰則は設けないが、2023年10月に検討部会を設置、2024年9月に議会に提出する方向で調整作業に入っている。何でもかんでもルール化すれば問題が解決するというものではないだろう。話し合いで解決できるものをルール化することで、かえって個人の自由を奪ってしまい社会の息苦しさを増す可能性もあることから、このような動きが、日常生活にどのような影響を与えるかについては今後もよく見ておく必要がある。

 

確かに、最近カスタマ―ハラスメント(カサハラ)が増えているという話を周辺でもよく耳にする。近所に大手家具チェーン店の配送業務を請け負う個人事業者がおり、大手家具チェーン店で顧客が購入した家具を個人宅へ物流配送する業務を一括して請け負っていた。しかし、年々家具を納入する際に起きる顧客クレームが増えて行った。問題が起きるたびに顧客への説明や家具の交換等のトラブル対応を行う必要があり、それに加えて、大手家具チェーン店への報告書の作成等にも時間と手間を取られてしまい、本来の配送業務に支障が出るようになった。最近になって、とうとう我慢の限界に達したのか、大手家具チェーン店の物流配送業務を返上し、他業界の物流配送に仕事を切り替えてしまった。

 

 

 

現在の日本は長期にわたって経済が低迷し、将来に対する希望がなかなか見えない社会になってしまった。将来に期待が持てず、生活が不安定で日本人の心にゆとりがなくなったからかもしれないが、自分の不安や不満や自分より弱いものにぶつけるような行動が色々な生活場面で起きている。カサハラもその一つの現象であろう。顧客サービス面で起きたちょっとしたトラブルがきっかけになって、顧客が普段抱えている不満が一気に表面化し、それを弱い業者にぶつけるといったことケースが増えており、それが最近カサハラの増加に繋がっている。カサハラを減少させるには、ルールによる支配ではなく、時間がかかるかもしれないが、人々が将来に向かって希望を持つことのできる社会を作ることが重要であり、人々の心から不安や不満を取り除くことが大切ではないかと考える。

そうは言ってみたものの、今回のテーマは「カスタマーハラスメントのマーケティング」としたので、このまま考察を続けたい。2024年6月に行われた帝国データバンクにより企業に対するカサハラの調査によると、「直近1年で15.7%の企業がカサハラの被害にあった」と答えている。業界別には、小売りが34.1%、金融が30.1%、不動産が23.8%の順であり、個人との取引を主体とする業界が多い。また、規模別には、大企業が21.%、中小企業が14.8%、小規模企業14.4%であり、規模が大きい企業ほどカサハラを受ける傾向にある。アンケートに対して「分からない」「ない」と答えた企業も「どこまで発言や行為をカサハラに該当するのか判断に迷う」と答えており、実際にはここに出てきた数値以上に日々の業務の中でカサハラを受けて困っているようである。

「顧客という立場を利用してわがままを一方的に押し通そうとする」「自分の思い通りにならないと言って罵倒される」「トラブルになったことをネットに書くと脅かされる」「事実無根の悪評を一方的にネットに書き込まれる」と言ったことが被害として挙げられる。問題が長引いたり、発生件数が多くなったりすることで、それに携わる社員も疲弊してしまい、企業本来の活動にも影響が出る。

 

 

これまで、消費者の権利を守ろうという社会の流れから、クーリングオフ制度等の消費者保護法やPL法が導入され、消費者が声を上げる機会が増え、企業も消費者の声を聞いてサービス向上に繋げようと相談窓口を設置して対応することで、企業と消費者がお互いに協力して改善に努めてきた。しかし、最近は企業も経営効率を重視する中で、顧客対応についても市場原理を取り入れて、サービスの提供を制限し、追加の要請は有償化する等割り切った対応をするケースが増えており、一方で顧客の中にも消費者の権利や立場を利用して企業に無理を押し付けるようなケースが増えており、それがカサハラ行為にも繋がっている。社会全体に余裕がなくなり、企業と顧客の関係もやさしさがなくなり、ぎくしゃくしがちになっているように思われる。そのような社会変化の流れの中で、これまであまり話題にもならなかったカサハラ防止条例を制定するような動きが自治体の中から出てきたのである。

最近は、店頭トラブル防止のために店頭に監視カメラを設置するとか、相談窓口の電話については録音することで、問題が起きた場合の証拠を残すことを予防措置としているケースが多い。また、保証・保険契約を予め結ぶことでトラブル回避を行うケースも増えている。家電品のアフターサービスについて商品購入時に有料の製品保証契約を結んだり、不動産賃貸契約で入居の条件として予め保険契約を結んだりすることで、退去時のトラブルを回避するため、企業と顧客の間の問題を保証・保険契約を緩衝材として利用している。

しかし、このような予防措置をとっても、顧客という立場を利用してわがままを一方的に押し通そうとするカサハラを防ぐことはできない。いくつかの事例をあげると、来店した顧客が長時間展示コーナーを独占してパソコンやスマホを使ってゲームを行うので、他の来店客に影響するのでそろそろ止めて欲しいと声をかけると「お客が商品を選んでいるのに邪魔をするのか」と言われてしまうケース、家電品に全く問題はないのに購入客から送風音が大きくて耳障りなので音を下げろと言われるケース、プラスティック製の商品を購入した顧客が、商品の表面に僅かに残ったヒケ(材料が成型収縮時に構造上必然的に生じるへこみ)を指摘し、気になるから交換しろと言ってくるケース等がある。

このような問題や類似の事象は日常的に販売の現場ではよく起きることであり、なかなか回避できないのが実情である。顧客の不満が別のところにあって、それを顧客という強い立場を利用して、顧客対応の場で弱い立場の応対者にあたっているケースも多い。カスハラを受けた被害者が、会社や上司に相談しても、相談に乗って貰えず「お前の対応が悪い」と責任転嫁をされて、一人で悩みを抱えてしまうと問題がいつまで経っても解決しない。カサハラ被害に遭った時に上司が相談に乗ったり、上司が代って顧客対応を引き受けてくれたり、情報を共有して組織で対応することが対策として重要である。

 

 

 

それでは、次の質問は、販売した製品に対してクレームがあり、顧客の家に出向いて対応した事例である。何故このような問題が起きるのか、顧客がどのような人物なのかについて考えて貰いたい。

 

Q1:大型家電店で、ある年配の顧客がパソコン用のブラウン管方式のディスプレイモニターを購入した。高性能のモニターでパソコンを使用する際に輝度や解像度に優れたものであった。製品そのものには全く問題はなかったが、顧客が製品を購入してから、直ぐに大型家電店に連絡があり、「モニター画面の隅が直線ではなく、アールになっている」とのクレームがあった。現在のように液晶方式のディスプレイモニターであれば、モニター画面はフラットであり、モニターの隅まで直線であるが、当時はブラウンブラウン管方式のディスプレイモニターが主流であり、ブラウン管は、どんなに画面をフラットにしても、四隅はアールが残り、完全な直線にはならない。例えばエクセル等で表を作っても、全画面に大きく表を広げると、四隅の直線はアールが残るのである。顧客は、製品性能の問題であるから製造メーカーも呼ぶようと言うので、店長とメーカーの技術者の二人で顧客の自宅を訪問して説明を行った。しかし、顧客は納得しなかった。いくら技術的な見地から説明を行っても「ダメだ。モニター画面の隅も直線にしろ」の一点張りである。一回目の説明で納得しなかったので、もう一度詳しい技術資料を持って、店長と技術者が顧客の自宅を訪問した。時間を掛けて丁寧に説明を行ったが、それでも顧客は首を横に振り、納得する様子がなかった。

長い面談の終了間際に顧客の奥様がお茶を持って部屋に入ってきた。顧客である夫に「あなた、もうこれくらいにしたらどう」と声をかけた。すると顧客もこれまでの渋い表情が変わり、「わかった。勘弁してやる」と言った。店長と技術者は、やっとクレームが解決し、ほっとして顧客の自宅を後にした。

その時判ったことであるが、どうやらこの年配の顧客は数年前にリタイアし、今は職業にはついていないようだった。面談では、色々な細かい質問を行い、非常に気難しい人物であった。それではこの人物の前職は一体何だったのであろう。次の中から選んで欲しい。

 

①国立大学の大学教授。

②消費者庁の公務員。

③食品メーカーの会社員。

 

 

A1:答えは③である。

これは、後から判ったことであるが、この顧客は以前大手の食品メーカーで、顧客からのクレーム対応窓口業務を担当していた会社員であった。今回のディスプレイモニターの問題だけではなく、普段から食品から家電品まで幅広く色々な商品について指摘を行い、気に入らない点があると製造メーカーにクレームを入れ、その都度自宅にメーカーを呼んで熱心に説教をすることで、業界でも有名な人物であった。金品等を要求することは一切なく、商品にけちをつけクレームを言ってストレスを晴らしていたのである。前職の食品メーカーのお客様対応窓口の仕事は、日々消費者からの無理難題や厳しい叱責を受け、その対応と謝罪の日々で大変であったと考えられる。そして、退職後にその時溜まったストレスが爆発し、全く関係の無い相手にカサハラ行為を繰り返すようになったのである。困ったことに、ハラスメントが連鎖して、新たなハラスメントを生み出していたのである。