同時通訳や契約書、資料の翻訳ならKJ韓国語通訳翻訳事務所!河野剛@愛知で活躍中

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弊社は、主にビジネスに関する韓国語の通訳翻訳の業務を行っております。専属契約から単発契約まで。K-POPアーティスト様や韓国との取引を行う企業様まで、同時通訳、翻訳の仕事を頂いております。事務所は愛知県愛西市にありますが、全国でのご依頼を承ります。


名古屋、愛知での韓国語通訳・翻訳・教育

はお任せ下さい。

KJ韓国語通訳翻訳事務所の河野です。

 

先月釜山にて夢のようなことがありました。

 

私が韓国に住んでいたころのことです。

当時日本で韓国の方に対する見方が今とはかなり違いました。

それで私も先入観があったのですが、韓国で出会った韓国の

方たちは、とても気さくで、情が深くて、気のいい人たちが

多かったのです。それが私にとって大変な驚きでした。

 

そして、日本人はこのことを知らないのだと思い、これを伝えなけれならない。

日本人もいい人が多いのだから、日本人と韓国人を直接”会わせる”ということをしなければならない。それを私がしなければならないと思ったのです。

 

また、韓国人と日本人は、顔は似ているけれど、国民性はかなり違います。その長所を互いに学び、

短所を克服すれば、世界に通じる、立派な世界人になれると考えたのでした。

 

そのため、当時私が勤めていた、外国語学院の教室を借りて、月に一回、交流会を始めたのです。

 

ただ飲み会だけをしても意義が薄いので、私を含め、どなたか日本と韓国に詳しい講師に来てもらい、90分くらいの講義やセミナーをしてもらい、その後、外に出て、会食をするという形で親睦を深めるようにしました。

 

私が11年間会長をして、初めは私が教えていた学生たちを中心に人が集まったのですが、徐々にいろんな方との出会いがあり、野遊会をしたりと工夫しながら楽しく毎月、実施したのでした。

 

しかし、日本にいる親が年を取って、近くに誰か家族が必要だということで、私の家族が、

頼まれて、泣き泣き親元へと引っ越したのが2007年のことでした。

 

ところで、その交流会が、私がいなくても、意義の深い会なので、なくしてはいけないという会員のみなさんの考えで、別の方が会長となって、そのまま続けることとなりました。それまでと同様に毎月毎月交流を続け、なんと340回を超え、先月16日に釜山の釜山観光ホテルにて、30周年の記念行事が開催されることとなり、私を創立会長ということで、招待して下さったのです。

 

この行事が大変すばらしいものでした。名古屋、広島、福岡、熊本、下関、大分、対馬などからも来られ、総勢130人が集まって、交流を深める行事でした。

 

現会長の崔善吉会長は同い年の方で、長く高校の国語の教師をされた方です。執行部は私がいた時も一緒に交流をした方たちで、そのまま今も活躍して下さっていました。

 

一緒に犬山から参加されたS先生は感動して涙が出たとのこと。私もとても感動して、まるで夢の中にいるようでした。30年も続いたなんて・・・・。

 

NPOでもなく、社団法人でもなく、ただ任意団体です。

 

私の存じ上げていない方たちもたくさん来られていました。そして、あの人この人がご挨拶して下さり、名刺交換をして、一緒に写真を撮ったりしました。

 

翌日の飛行機が朝8時半のフライトだったので、私は2次回の途中でおいとましましたが、その後、3次会まで行ったとのことでした。

 

このような盛大な30周年を準備して下さり、開催してくださった崔会長を初め執行部のみなさん、そして、参加されたみなさんに心から謝意を表します。

 

現在名古屋で同様の会(日韓友好交流会)を毎月開催しております。こちらはちょうど先月で137回を数え、12年になりました。

 

 

 

10月には釜山の交流会のみなさんが訪問されるとおっしゃていましたので、また大交流会を準備したいと思っています。

 

その時、再会できることを心待ちにしています。

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今日も最後までお読み下さりありがとうございました。

くれぐれもお体大切に。

 

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KJ韓国語通訳翻訳事務所の河野です。

 

アンニョンハセヨ~

 

毎月日韓交流のイベントを開催しています。

今月の交流会で第137回目になります。

去年江南市の交流イベントでも大人気の蓮灯りづくりの体験会です。

関心のある方はどなたでも参加できますので、気軽にご連絡下さい。

 

いつもお読み下さりありがとうございます。くれぐれもお体大切に。

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KJ韓国語通訳翻訳事務所の河野です。

 

ついに母が他界しました。2020年の12月に脳梗塞を発症して、

右半身不随になって、長く後遺症に苦しんだ母。

本当に大変だったろうと思います。

 

介護はする方も大変ですが、される方がもっと大変だろうと、

しながら思いました。それで、自分はそうならないようにしようと、

日々、体と精神の健康に気を遣うようになったのも、

両親のおかげだと思います。

 

2月16日に体調を崩したので、救急車を呼びました。

肺炎とのことで、それからしばらく入院していました。

 

するとある日、担当医の方から、

「自分の口から食べられなくなったら、どうしてほしいとか

おっしゃってましたか。」と聞かれたのです。

 

「いえ、そんな話はしたこともありません。」

こう答えたのですが、

 

「お母さんは、もう口から物を食べることがむずかしくなっています。

もし退院しても家で看るのはむずかしいと思います。」とのこと。

 

救急車で運ばれる前の日まで、ごはんを準備して出せば、

左手で自分で食べていたので、ショックでした。

 

「”胃ろう”か”CVポート”かそれとも・・・」と続けて言われ、

「家族と相談します。」と回答しました。

 

それから数日経って、見舞いに行って家に帰ったころ、

病院から電話がきました。

「心臓が止まったのですぐ来て下さい。」

 

「えええっ!」

慌てて呼べる家族を呼んで病院へ。

幸い、向かっている間に呼吸が回復して、なんとか持ち直しました。

しかし、もう話しかけても返事はなく、植物人間のような状況に。

 

いつの間にそんなに悪くなっちゃったのかな・・・。

 

父が92才で2年前に他界しましたが、母の方が長生きすると、

勝手に思っていたので、とてもショックでした。

 

しかし、思い返すと、このごろは、食事の量も減ってきていましたし、

食後に歯を磨いた後、うがいをした水を、吐き出すことが

できにくくなっていたのです。

 

そのため、

「おばあちゃん、ぶくぶくの後は、ぺっしないとだめだよ。」と

言うことが増えていたのでした。

 

本人もわかっていても、うまく水を吐き出せなくなっているようで、

「はい」とは言うものの、勢いよく出せず、口から、

だらだらとこぼれるように、出すのが精いっぱいだったのです。

 

それで、デイサービスの方やケアマネージャーに、

「こういう時はどうしたらいいですかね。」と

訊いたりしたのですが、いい回答は、

得られませんでした。

 

このころ、お茶などの飲む液体には、必ず”とろみ”を入れていたのです。

ただ、ぶくぶくの水には入れなかったので、誤嚥性肺炎にならないよう

警戒していたのです。

 

今思うと、うがいの水にも、とろみを入れた方がよかったのかな。と

言っても後の祭りです。

 

母は持ち直してから、三週間くらい、ずっと意識不明のままでした。

そして、3月24日の夕方、いつものように見舞いに行って、

家の駐車場に車を止めた頃、病院から電話がきました。

「容態が悪化したので、すぐ来てください。」

 

病院に着いた頃には、もう息をしていないことが、私にも

わかりました。

 

すぐ来られる家族だけみな集まったところで、

担当医の方が時間を告げて、「ご臨終です。」とのこと。

 

27日に家族、親戚、親の古くからの友人のみで、通夜を行い、

28日に葬儀を行いました。

 

父も母も脳梗塞で、大変苦労しました。不自由な身で父は12年間、

母は5年間。大変だったろうなと思います。

 

自分でトイレも行けず、左手で食べて、デイサービスも

あまり行きたがらなくて、よく、

「今日休み?」と訊いてきたものでした。

 

でも行ってもらわないと困るので、

「デイサービスに行けばお風呂に入れるよ。

リハビリすると元気になれるよ。」と説得したりもしたのです。

 

妹が看護師で、朝晩毎日手伝いに来てくれたので、

本当に助かりました。父が2012年の10月に脳梗塞を

発病して、父母合わせて14年間。

 

妹の腰が限界に来たころでもありました。

母は今月11日で91才になるところでした。

ちょうど桜の花が咲くころに、いい時期を自分で選んで逝ったのだと

思います。

 

東京在住の兄と合わせて3人は、とても愛され、恵まれた環境でした。

心より両親に感謝しています。

 

今日この記事を書いたのは、私が親の介護をしていたことを知っていて、

気にして下さっている方々に感謝をお伝えしたいからです。

 

本当にありがとうございました。

 

これで親の介護は終了しました。

葬式までできて、ほっとしているところです。

 

5時になっても母が帰ってこないので、少々戸惑いもあります。

そんなに急いで逝かなくても、という思いもあります。

 

でもこれでよかったと思っています。

腰も曲がってしまい、本当に不自由な体で、

辛かったろうと思います。

 

あの世で、父や、早く亡くなった実母、あるいは姉さん、

弟やたくさんの知人と再会を喜んで、身軽になって、

楽しくしていてくれればと思います。

 

そのうち私も行きますから・・・・。

 

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愛西市の総合斎苑

 

長々と最後まで読んで下さりありがとうございました。

今後共よろしくお願いします。

くれぐれもお体大切に。