KJ韓国語通訳翻訳事務所の河野です。
父が他界しましたので、ここにご報告いたします。
12年前に脳梗塞を患ってから、長く後遺症で右半身が動かず、言語障害で言葉もうまく話せず、
要介護5の状態でした。緑内障白内障の影響で両目の視力も失い、不自由しておりました。
それでも毎日デイサービスに長く通い、リハビリに努めておりました。
ここ数年で3度肺炎にかかり、その都度、「もう最後です。」と病院で言われましたが、3週間ほど入院しては、
また帰って来てくれていました。
一昨年の12月にはコロナにかかり、家族みな大変な思いをしましたが、それも乗り越えて、鉄人のようなおじいちゃんでした。
しかし、1月の27日に熱があるので、デイサービスを休み、病院でコロナの陰性を確認し、腕を痛がるので、レントゲンを撮ってもらったら、骨に以上はないとのこと。
28日日曜日朝血痰が出て出血もあり、血液さらさらの薬を飲んでいることもあって、家族が心配して、救急車を呼んだのでした。
その際、肺炎ですので入院になります。とのこと。レントゲンを撮ったら左の灰が真っ白になっていました。これが最期になると思いますので覚悟してくださいと言われましたが、入院して治療を受ければ、また元気に帰って来ると信じて、楽観していました。
その次の日、朝病院から電話があり、「もう危ないので、来てください。」とのこと。耳を疑い、「え!それはどういう意味ですか?もう亡くなるということですか?」
慌てて病院に行きましたが、もう息をしていない状況でした。しばらくして、担当医の方が「ご臨終です。」とのこと。
それからは、嵐のように時間が過ぎて、通夜、告別式を家族葬にて行い、遺品の整理と大掃除をして、8日、市役所に必要な書類を提出することを半日かけて行いました。
父は母をこよなく愛し、他は見向きもしないほど大切にする人でした。また、大変な子煩悩で、兄妹3人を「宝だ宝だ」と言って育ててくれました。この教育方法が私にはとてもありがたく、好きに生きさせてもらったと本当に感謝しています。
享年92才、お知り合いの多くはもうあの世に行かれているので、今頃あちらで旧交を温めていることと思います。
冬になってあちこち「痛い痛い」と言っておりましたので、しょっちゅう痛み止めを飲ませていました。それでも何か語る時は「ありがたい、ありがたい。」と感謝ばかりしていました。
正月に家内と「おじいちゃん、100才までいくよね。」と話したほど食欲も旺盛で元気に見えたのですが、急なことでまだ信じられない思いです。
市役所での手続きを一通り終えたところで、一区切りがつきました。セミナーで介護について話したこともあり、涙ながらに聞いて下さった方もいらっしゃったので、私のお友達や知り合いの方々にもご報告をしなければと思い、このような文章を上げる次第です。
今日まで関心を持って見守って下さった方々に心よりお礼申し上げます。
私は変わらず、日韓関係の交流も仕事も続けて参りますので、今後共よろしくお願いします。
みなさまのご健勝ご多幸を心よりお祈りしております。
河野剛拝