息子が大学でサークルを作ったらしい
うちの息子は元不登校
小5の9月から学校に行かなくなった
残りの小学校生活は
一度たりとも学校に行くことなく
先生と会話することもなく
中学校入学時は制服も作らなかった
もしかしたら行くかも?
そんなイメージをかすかにでも持てたら
たぶん作っていただろう
当時の息子はそれどころではなく
なんで産んだんだ
どうやったら死ねるんだ
そんなことを問われ
なかなか会話にもならず
家の中でも全身トゲトゲしていた
私も疲れ切っていた
中1もそんな感じで
中2の夏を過ぎた頃から
少し様子が変わってきた
夜中や早朝に
「散歩に行こう」と誘われる
誰かとすれ違う時は
私の腕をギュッと掴みながら
私の陰に隠れるように
人とすれ違っていた
中学2年が終わった頃
「学校に行きたい」
と言った
担任の先生にお願いして
生徒が誰も居なくなった校内を
案内してもらった
息子にとっては3年半ぶりの
学校だった
中3になって
友達に会いたいと言った
小5以来会っていなかった友人に
「僕を学校に連れて行ってくれないか」
と、息子は頼んだ
翌日、友人とともに初めて制服を着て
中学校に行った
制服は私の友人が調達してくれたものだった
中3は数えるぐらい学校に行った
修学旅行
卒アルの写真撮影
三者面談
卒業式
修学旅行は母も同行
体力的にも精神的にも
不安定な息子をサポートできるように
学校からの要請だった
行動は共にしないが
呼ばれたらかけつけられる距離で
息子の同級生との修学旅行は
1日目で終了したらしいが
それもまたいい思い出なんだと思う
卒業式
式終了後に息子はクラスが違う
中学に連れて行ってくれた友人を探し
「ありがとう」と言いに行ったらしい
友人のお母さんが教えてくれた
高校入学
中学の卒業式の日に
「もっと学校に行けばよかった」
と言った息子
その思いは高校で!
って、母さんは願ったよ
でもそうあっさりと
バラ色の高校生活
ではなかったね
入学したのは
通信制高校だったけど
興味のある授業を選択して
通学を予定していたね
母さんの想像以上に
通学が大変だったんだよね
通勤、通学時間帯の人混み
電車に乗るのもしんどかった
手汗がすごかったね
高校から足が遠のいて
中学の時のような生活スタイルが続いた
それでも息子の中では
いろんな変化があったんだと思う
課題を提出して
スクーリングやテストでは
学校に行って
授業に参加して
友達を作って
スポーツを一緒にやる仲間が出来たり
放課後を友人と楽しんだり
そんなイメージを持っていた
母さんの描いたものとは違ったけど
担任の先生とのコーチング面談
高1の時はマスクをしたまま
高2、高3でいろんな話をするようになっていった
進路も先生との対話の中から
進学先を決めて行って
自分で選んだ進路と大学
行くも行かぬも
本当に息子次第だなと思うようになって
高校では出来なかった?作らなかった?友達
大学生になって
「友達と飯食ってきたよ」
そうかー、良かったねって
母さんは思った
「バスケのサークル作ろうかな」
へー、そんなこと考えてるんだね
いいじゃん、いいじゃん
ある日、家にあるハンコを持っていった
母さんがハンコを使いたくて返してもらった時
ふと思い出して
「もう、ハンコ使い終わったの?」
って聞いたら
「うん」って
サークルの申請書に使うのかな?って思ってたから
サークルのことどうなったか聞いたら
「もう作ったよ。申請書も出したからハンコはもういらない」
って。
メンバー13人って言ってたかな。
その人数に、父さんと思わず顔を見合わせた。
4、5人かなって思ってたから。
たくさんの仲間ができたんだね
息子は小学校3、4年生の短い期間
ミニバスのチームに入ってた
正直なかなか馴染めなくて
ほどなく退団することになってね
バスケはずっと好きだったんだと思うけど
なかなかやれる場所を見つけられなかった
見つけてあげることも出来なかったんだけど
自ら作ったのかー
そういうところに来たんだな
ミニバス退団から8年間
息子がまた仲間とバスケをするまで
なんかね
感慨深いですよ
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