お久しぶりですハローキティ


なんだかバタバタしてましたためいき



かなり今更ですけど、北海道地震…、大変でしたね汗


私の実家は震度5弱、旦那の実家は震度6弱。


いずれも停電のみで、けがなどはなしでした。



地震が起きたあの時間、もちろん寝ていたのですが、こちら青森も少ーし揺れたんですね。


『あ、地震だな~』とぼんやり思ったくらいでまた寝ようと思ったら、電話がなって、妹からの着信。


夜中の妹からの着信、なんだー?と思ってでたら『こっちでかなりでかい地震おきた!でもみんな無事だから!』と。


え?!


慌ててテレビをつけると、震度6とか。


びっくりしました。


旦那が訓練で不在だったので、旦那に連絡しつつ、旦那の実家にも安否確認。



私が前まで住んでいたところも震度5。


朝になってから、友達にラインするも、みんな停電で、休校で、自衛隊つながりが多いので、旦那さんはみんなすぐさま出勤でバタバタだのなんだの。


実家は、ガス水道は大丈夫だったのですが、やはり電気のない生活は大変だったみたいです。



家族にも友人たちにも、なにもしてあげられないもどかしさでいっぱいでした。


私自身は大きな地震を経験したことが1度もありません。


あ、昔小学生くらい?のときの奥尻島沖の地震のときは、母親に夜中押し入れに投げ込まれたのはなんとなくおぼえてるけどえへへ…


本当に怖いですね…。



その地震が起きる前の週末は、小学生のときからの親友が病死したため、急遽北海道に帰っていました。



闘病していたのは知っていたけどこんな早いとは夢にも思っていなくて、本当に驚きと戸惑いとで、旦那さんから連絡がきた日の自分の行動はもうかなり曖昧で、ちゃんとした記憶がありません。


木曜日に連絡がきて、土曜日がお通夜だったので、まずは北海道に帰る術を…


飛行機?新幹線?そらは?ゆめは?


彼女の友達に連絡してほいと旦那さんに頼まれたけど、友達って誰になんて連絡したら良い?


そもそもこれは嘘なんじゃないか?


大パニックになりながら友達へ連絡しつつ…


結果、飛行機だとすでにとれる時間はなくて新幹線で帰ることに。


ゆめが一緒に行きたいとのことで(旦那の実家に行きたい)、二人で金曜日の夕方の新幹線で北海道へ帰りました。


新幹線に乗ってる時間は一時間なのですが、函館からが遠かった…


やはり飛行機のが断然楽ですね。

その日は私の実家に泊まり、土曜日に旦那の実家にいってゆめをお願いしてお通夜へ行きました。


少し早く会場についたので、旦那さんと話をすることができたのですが、本当に辛かったです。

旦那さんも高校の同級生なのです。


そのまま顔もみせてもらえたんだけど、どんな思いで闘って、亡くなっていったのか考えると涙が止まりませんでした。


こんな言い方はあれですが、職業柄ご遺体を目にする機会はどうしても多いし、癌で闘病している人がどんな経過をたどって死に至るかもわかっているつもりです。


だけど、知り合いの、親友のその姿に、言葉がでず、どうしようもない思いで、あぁ神様っていないんだなって心の底から思ってしまいました。



今の葬儀って、スクリーンで故人の生い立ちを流すのが主流なんでしょうか。


私の知っている、一緒に楽しい時期を過ごしてきた、成人式の写真や結婚式の写真が流れたときはもう、ほんと…なんで、どうして、という気持ちでした。


会場も涙というか嗚咽でしたね…


久しぶりに会うのは中学、高校の同級生たち。


こんな形で再会はしたくなかったねとお通夜のあと話をしていました。



喪主である旦那さんと、二人の子供たち。


がっくりと肩を落とすパパのまわりを無邪気に駆け回る子供。を追いかけるおじいちゃんおばあちゃん…


一生懸命に喪主として挨拶を頑張っていた旦那さん。


あー今私が死んだらこんな感じなんだなって思ってしまった。


日曜の告別式にも参列させてもらって、最後のお別れをしてきました。


手紙も棺にいれさせてもらいました。



私が小学三年生で転校してから、本当にずっと仲良くしてきました。


何冊も交換日記をしました。



同じ高校を受験して、学祭とか楽しい思い出がいっぱいあります。

高校で好きな人がだぶって気まずくなったこともありました。


同じ札幌に進学して、いっぱい遊んで…ススキノでめーっちゃ飲んだなぁ…



子供をお互い生んでからも何回か遊んで、会える回数が減っても連絡はずっととっていました。


それが当たり前で、また会えると思ってました。


年をとってもずっと連絡とりあう仲でいるんだろうなって思っていました。



青森にくる前にマイホームに遊びにいく!っていってて、でも日程がどうしてもあわなくて。


あの時無理をしてでも会っておけばよかった。


闘病を知ってから、しばらく続いていたラインが途切れたとき、あの時ラインしてればよかった。


亡くなる数週間前に、私のタイムラインに間違って押してしまったのかなっていうコメントがついてて…あの時連絡してみれば良かった。(あとから旦那さんから聞いた話では、鎮静のためもうほとんど朦朧としていた時期だそう)



私ばっかり、いつも愚痴をきいてもらったり助けてもらってたから、彼女が一番辛かったときに力になってあげられなかったことが本当に本当に悔しい。



本当に、健康であることが、命があることがどれだけありがたいことかっていうのを感じました。


私は、はやとが待っているから、死ぬことは怖くない。


けどもし今死んだら、残されるゆめとそらは……


それを考えると、まだまだ生きたいし生きなきゃいけない。


幼い子供を残して死ななきゃならなかった、親友の気持ちを考えると、本当に無念です。



早いよ、本当に早すぎる。


辛かったね、頑張ったね…


とにかくゆっくりと休んでほしいな。



何十年かして、私がそっちにいったら、また色んな話をしようね。



日曜告別式のあとに、青森へまた新幹線でもどり、着いたのは夜20時。


乗り換え時間含めると自宅まで六時間ためいき



体力的にも精神的にもぐったりでしたね。


ゆめも相当疲れたと思うえへへ…


そらがいたら無理でした。


旦那が仕事休みで本当助かった。


最後にお別れができて本当に良かったです。


これからは親友の分まで、しっかり毎日を生きていかないとなって思います。



親友が天国で安らかに過ごせることと、残された家族が前を向いて生きていけることを祈ります。