編集委員会だより 5月31日(土)

日本ダービーの旧跡を訪ねて


           本紙編集委員(スポーツ班)・単 勝男


ことしで75回を数える東京優駿。その年の3歳を迎えるサラブレッドにとっては、同着を除いて、1頭しか勝つことのできないレースであり、生産界はじめ競馬関係者は、ひとまずここを目標にすえて馬を作っているわけだが、そのレースがいよいよあす、6月1日に迫ってきた。


東京都府中市にあるJRA東京競馬場で行われているこのレース。

第1回が行われたのは、昭和7(1932)年、近代競馬の先進国イギリスにならって創設された3歳馬(当時は4歳馬)の優駿馬選定競走として行われた。しかし、第1回の東京優駿大競走は、当時の東京競馬場であった目黒競馬場(現在の東京都目黒区下目黒)で行われたのである。現在の東京(府中)競馬場で行われるようになったのは、2年後の昭和9(1934)年からだという。

今回は、この旧跡である目黒を訪ねてみた。




バス停「元競馬場」


JR目黒駅から等々力へ行くバスに乗り目黒通りを進んでいくと「元競馬場前」というバス停がある。ここから南側に広がる住宅地に目黒競馬場があったという。住宅地のさらに南には、林試の森という森が広がっているが、目黒通りとこの林試の森の間あたりにあったようである。



かつての競馬場の名残とされるカーブ(目黒区下目黒4丁目付近)


さらにコーナーを曲がる(目黒区下目黒4丁目付近)


最後の直線または向こう正面の直線と思われるまっすぐ伸びる道路(目黒区下目黒5丁目付近)


目黒区教育委員会による銘板(区立不動小学校)


地元商店街による目黒競馬場の碑(馬像は、トウルヌソル号)


ところで、第1回東京優駿大競走を勝った馬は、函館孫作が騎乗した「ワカタカ」号である。この馬は、昭和4(1929)年3月17日、宮内省下総御料牧場(現在の千葉県成田市:三里塚記念公園および成田国際空港)で生まれた。その後歴戦したこの馬は、のちに初代JRA理事長となる安田伊左衛門(当時は東京競馬倶楽部会長)の発案による東京優駿大競走に出走、1番人気を制して初代の日本ダービー馬となるのである。


現在のこの地は、住宅地でところどころに学校などがある静かな場所であるが、曲線を描く道や目黒競馬場の碑などが残り、往時に競馬場があったことがわかる。目黒通り沿いにある目黒競馬場の碑には、トウルソヌル号という馬像があるが、この馬は、初代ワカタカをはじめ6頭の日本ダービー馬を輩出した父馬である。この記録はいまなお最多でサンデーサイレンスと並ぶタイ記録という。



日本ダービーの開催地としては、翌年の第2回までで、3回目以降に現在の府中に東京競馬場が移転し、戦争による中断を経て、今日に至るのである。


かくして、場所は府中に移れども、あす75代を数える東京優駿馬が誕生する。そして、その「目黒」のなごりをとどめる第122回目黒記念(JpnⅡ)もあす発走を迎える。



旧目黒競馬場 へは・・・

 都営バス・東急バス 東98系統(東京駅南口や目黒駅から等々力行き) 元競馬場バス停下車



【広告】

[送料無料]「エビスビール飲み比べ」350ml 22本
¥5,750