去年の暮れに書いてから一年近く経ってしまいました。持病の治療で心身弱っていましたが何とか立ち直り、ブログの続きを書こうと思います。


前回、姑の存在は原罪なのか?と問いかけたところで途切れていました。


原罪とはキリスト教では、生まれながらにして持っている罪。最初の人間アダムとイヴが神に逆らい罪を犯したので、子孫である人類は全て罪人であると言う(屁)理屈。



これを適用すると

妻から見たら夫の母親は存在するだけで罪



存在しない方がよい存在なのですね?



だから家庭の平和のために

笑顔で挨拶しても

美味しい料理を作っても

見えないところで掃除をしても


ウザいだけ


それならば、出来るだけ関わらないのが互いに幸せというものでございましょう。



急速な少子高齢化の問題を前回持ち出したのは、数の上で圧倒的に多くなる高齢者は今後ますます強大になると言うことに触れたいがためです。

歳を取ると怖いものがどんどん無くなっていきますからね。


その辺りを次に書こうと思いますよ。