歴史はちゃんと教えなければ、子供たちの愛国心は生まれない。 | 鷹の目 平田/Hawkeye Hirata

鷹の目 平田/Hawkeye Hirata

Hawkeyeの如く、世界情勢の大局をよく見たいと思います。

 先の大戦の呼称については、大東亜戦争・太平洋戦争・第2次大戦などいろいろありますが、私たち日本人の父祖が戦ったのは、あくまでも「大東亜戦争」だったことを忘れてはなりません。それは何故かと云うと父祖たちが命を賭して戦ったのは、西欧列強の植民地政策に苦しむ東アジア諸国を解放するというちゃんとした大義名分がこもった名称の「大東亜戦争」でありました。
 

 昭和16年12月10日の大本営政府連絡会議(当時は軍と政府が並列)において「今次戦争の呼称並びに平戦時の分界時期に関する件」を決定、「支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」とされ、これを受けて開かれた東条内閣の閣議において、「今次戦争の呼称並びに平戦時の分界時期等に付いて」が閣議決定された。
 連絡会議では、海軍から「太平洋戦争」「対英米戦争」、更に「興亜戦争」などの案が出されたようですが、結果「大東亜戦争」が採択されたものです。日本国としてそう決めたのだから、父祖が戦ったのは正に大東亜戦争だったのです。
 先の戦争の目的は何だったのか問われれば「当時の日本が生きていくための石油をはじめとする資源の獲得」が主であったと思われますが、西欧諸国の植民地である「アジアの解放」という名目もありました。本音はどうであれ大義名分なんていうのは「一致団結、心を一つにして物事に当たる」スローガンであればよく、植民地支配から大東亜を解放するという格好よい「大東亜戦争」の方が軍人も国民も戦い易すかろう。

大東亜の地図(1943年) (ウィキペディア)
 

 一方、戦勝者である連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が1945年(S20年)12月15日に日本政府に対して発した覚書「神道指令」によって「大東亜戦争」「八紘一宇」などの用語の使用を禁止しました。
 戦後GHQが強要してきた「太平洋戦争」というのは、単にアメリカ軍が主として戦った地域の名を冠しただけの呼称に過ぎません。これによって、戦後アカヒ新聞が真っ先に「太平洋戦争」の名称を使い始め他のメディアも追随して今日に至っています。おそらく歴史教科書も「太平洋戦争」になっているのでは?

 という様なことをつらつら考えてみるに、個々の作戦の巧拙はあったにせよ日本が戦った大東亜戦争は、戦後教えられているような間違った行動ではなかったと思うわけです。
 「勝てば官軍」という言葉があります。戦後乗り込んできた官軍・アメリカが日本弱体化政策のために、教育にも口を出し「悪うございました史観」を刷り込んだため、戦後の日本人は「大東亜戦争」は悪い戦争で、ただ負け戦で終わったという風潮がだけが喧伝されるていますが、戦後、アジア諸国が次々と独立したことを見れば、父祖が戦った戦争目的の一つはちゃんと達成されていることを、我々後裔たちはもうそろそろ気付くべきだと思います。

僻目の平田