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クレハズム

松澤くれは公式ブログ。

新作演劇『トルツメの蜃気楼』

10/1の10時よりチケット予約開始!

 

火遊びという僕のホームで作る演劇。

それは僕が気兼ねなく恐れることなく、

「いま思う、新しい」を突きつめる場所。

 

今年は3演目できましたが、次はいつになるだろう。

来年1本できるかな?無理かな。って感じにマイペース。

 

「いま、ここだけが藝術」

--瀬尾兵太(『天帝のはしたなき果実』)

次あるなんて思わずに、いまを大切に挑みます。

 

 

世の中にはいろんな演劇があります。

「ゼロ距離演劇」現時点での総決算。

どうぞ、体験しにお越しくださいませ。

 

 

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<火遊び>pray.07

『トルツメの蜃気楼』

2016年11月3日(木・祝)~13日(日)

@ギャラリー・リップ(高円寺)

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小さな編集プロダクションに勤務する29歳独身・横井ユリ。

来る日も来る日も、他人のミスを修正し続ける【校閲】に身をやつす。

 

ある日、会社の上司・水島に「アイドルにならない?」と誘われる

他人に心を開かない人間たちに囲まれて、ユリはかつて抱いた夢を回顧する。

 

――私は、何者かになれるのだろうか。

そんなありふれた悩みに白けながら、ありもしない「将来」に期待する。

 

「もう経験することは終わった」

いつか海に浮かぶはずだった蜃気楼。

見ることが叶わなかった風景を、もう一度とユリは願う。

 

夢のために生き、夢をあきらめてからも人生は続く。

何者にもなれないアイドルたちの、これからの物語。

 

歌も無し!ダンスも無し!キラキラ輝くシーンは一切無し!

松澤くれは式「ぼそぼそアイドル演劇」ひっそりと上演して、閉幕

 

 

▼作・演出▼

松澤くれは

 

▼出演者▼

黒沢佳奈

佑木つぐみ

 

金子優子

今駒ちひろ

佐藤りざ

種村幸

濱崎愛子

はるはる

 

氏家綾乃(38mmなぐりーず)

 

▼公演日程▼

2016年11月3日(木・祝)~13日(日)

 

▼タイムテーブル▼

3(木・祝)     18:00☆

4(金)       19:30☆

5(土) 14:00☆/18:00☆

6(日) 14:00☆/18:00☆

7(月)       19:30☆

8(火) 休演日

9(水)         19:30

10(木)       19:30

11(金)       19:30

12(土)    14:00/18:00

13(日)    13:00/17:00

☆前半特典:来場者に<火遊び>オリジナルしおりプレゼント!

 

※受付・開場は開演の30分前からとなります。

※開演10分前までにお越しいただけない場合、キャンセル扱いとなる場合がございます。

※会場の構造上、開演しますとご入場いただけません。お時間に余裕をもってお越しください。

 

▼チケット▼

3000円(前売・当日共通)

全席自由席・日時指定

 

▼チケット予約▼

・松澤くれは扱い

https://ticket.corich.jp/apply/77362/001/

10/1 10:00予約開始!

 

▼会場▼

ギャラリー・リップ

東京都中野区大和町1-14-6-2F

 

JR各線・高円寺駅より徒歩15分。

西武新宿・野方駅より徒歩10分。

 

▼公式ホームページ▼

http://kureha.main.jp

 

▼お問合せ▼

p.firepray@gmail.com

 

 

 

経験することを終わらせないための、観劇に。

北海道に来てはや5日。
こちらの風土にも慣れてきた。

もはや息をするように、





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朝からいくら丼

ホテルの朝食バイキング。
いくらがかけ放題ですよ。

目覚めて温泉浸かっていくら丼。
ここ北海道という名の天国ですか。

朝から幸せです。


海産物の愉悦に浸って出発。

今日は待ちに待った、

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ノロッコ号!

湿原を走る列車!かっこいい!!
いつか乗るのが憧れでした!叶った!


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愉快な内装。



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車窓からは悠久の大湿原。


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旅行誌にありそうなアングル。


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ラムサール!ラムサール!(歓喜の叫び)





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ありがとう、ノロッコ号。



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塘路駅で乗り換えです。



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かわいいのがきた。



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釧路湿原を縦断し、
新たなプレイスへ。




あ、

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イカめし食べた。



続く。

30歳になって意識が変わった。死ぬことばかり考えている。

 

最初に言っておくと病んでるわけじゃない。

「死にたい」っていう自殺願望の話でもない。

 

「いつか死ぬ」と強く意識するようになった。

 

 

 

数か月前。

30歳を迎える直前に部屋の大掃除をした。

断捨離。ゴミ袋11個分。部屋のどこに収納されてたのって量。

 

僕は昔ながらのオタクなので、基本的にモノは捨てられないし、何でもとっておくタチだし、コレクションしたがりだから物持ちだ。物欲もある方だと思う。

 

でもまあ当たり前だけど、あれもこれも後生大事に抱えてても、死んだらぜんぶ手放すわけで。あの世に持ってけるわけじゃないわけで。当たり前なんだけどね。

 

昔大好きだったゲーム、漫画、小説、CD。

次々といろんな新しいものが生み出される現代で、テレビやらネットやらで無限に娯楽が供給されるなかで、それに加えて自分も創作をしていくなかで、果たしてかつての「宝物」をもう一度楽しめる時間がどれだけ残されているのだろうか。

 

死ぬまでにあと何冊の本が読めるんだろう。

いくら知識を頭に増やしても死ねばゼロだ。

はかない。やるせない。もう執着はやめやめ。

 

だから思い切って捨てた。

あれもこれもどどっと手放した。

思い出の品を捨ててもその思い出がなるわけじゃない。

 

それにほんとに大切なモノは残した。めちゃくちゃ影響受けた作品とか、人が書いてくれた手紙は捨ててない。三十路を生き抜くために、ちょっとだけ空き容量を作る作業だったんだと思う。

 

繰り返すけど死にたいわけじゃない。心配は無用。

20代より、現実的に肯定的に、死を意識の隅に置けるようになった。

 

死ぬことを、「前提」にできるようになった。

 

「どうせ死ぬし」と思えば、軽い気持ちになれることもある。生きやすいときもある。

死ぬのはそりゃ実際すごい怖いだろうけど、死を想うことが必ずしもネガティブなことかって言うと、そうでもない気がしてきた。それを言いたかった。

 

メメント・モリ。死を忘れたら、日々の生活にすら鈍感になる。

 

今日という日を必死に生きられてるか。

いや生きてないよ。みんなそうだよ。どこかで怠惰があるよ。

 

やっぱり時間をひいては人生を無駄にしちゃってることもあるだろうし、でもその無駄を切り詰めていけば至高の生涯を全うできるかって言うと、そういうわけでもなさそうだ。

 

何にせよ。

生きるべきか死ぬべきかなんて問題にすらならない。

どうせ僕は死ぬ。決定。それまで生きてれば問題は何もない。

 

たかが30年かもしれないけど。

身体だってそうだ。いろいろ不具合が出てくる。老いにだけは抗って美容とかオシャレとかいろいろやるけど、例えば目ね。どんどん視力が落ちてる。実を言うと裸眼ではほぼ何も認識できない。今日明日じゃないだろうけどいつか失明しかねない。怖くなくはない。歯と、胃腸もちょっと怪しい。肝臓の寿命がいちばん気がかり。

 

でもさ、それもすごい当然で、別に悲観的になる必要はないと思う。

だって身体は毎日使ってるんだから。そりゃ摩耗するしエラーも出るさ。

 

むしろ視力が悪くなってくのは、ちゃんとその器官を使ってるからでしょうと。

与えられたこの肉体を使って日々を生きてる証じゃないかって思うのです。

 

これだって結局は、ちゃんと死のリミットがあればこそだ。

身体が使い物にならなくなっても尚、永遠の命!とかで生き続けたら地獄すぎる。

 

 

 

いま『トルツメの蜃気楼』という戯曲を書いている。

すごく寂しい作品になると思う。ウェットな部分が強い。

理不尽さとか、どうにもならなさ、もやっとする物語展開。主人公の悩みすら解決しない。答えはどこにもない。芝居中に結論を出して、白黒はっきり断言して欲しい人には合わない作品。いつものことだ。わりきれないことを描くには、こうするしかない。書いてるほうもわりとつらい。できることなら断言してあげたい。その方がどれだけ楽だろうか。都合よく「大丈夫だよ」って救ってあげたいさそれはもう。だって自分の子供だもの。でもやらない。だって僕らの生きてる日常は、曖昧で、掴みどころなくて、うまくいかなくて、理想には程遠いから。それを許容したときに、何か希望や幸せが見つかるかもしれないから。世の中そう捨てたものじゃないやって言えるのは、葛藤して悩んで苦しんだ人の特権だから。

 

 

劇作家の仕事は、話し言葉を生み出すことだ。

私は、あなたじゃない。絶対に他者だ。完璧に分かり合うことはない。

けれど。

あなたと私は分かり合えないけれど、言葉で[We]に近づくことはできる。私たちでもあなたたちでもない、かろうじて人と人とがつなぎとめられている存在。

言葉には、他者とつながる力がある。みんなが同じ考え方になる必要はないし、言葉で相手をねじふせたり、従属させるのは、言葉を暴力として行使しているにすぎない。そんな風な言葉を使いたくないし、作りたくもない。


僕が欲しいのは、あなたを虐げる言葉じゃない。


死ぬまでのひと時を、一緒に過ごすための言葉だ。

 

 

死ぬときは一人だろう。それは構わない。

だけど、その時までは誰かと一緒にいたい。

互いにつながることで、乗り越えていきたい。

 

 

心が折れても人生は続く。

支えてくれるのは、自分以外の誰かの「言葉」だったりする。

 

死んだ後に何を遺すとか、そんなことどうでもいい。

いまを一緒に生きている人と、ともにありたいんだ。

 

 

 

死ぬことばかり考える。今日を生きるために。