高額医療費制度界隈で、ゴタゴタが起こっている様子。


報道やネットでは、高額医療費の減額の結果「自己負担は〇〇円増、保険負担✖️✖️減」などと言う…

個人的にはハッキリ言ってどちらでも良い。「ピザ生地の発酵具合もが判らず、大きさも判らないアホな切り方議論」で有る。


究極に純度を上げれば「現役終えたら、医療費100%自己負担」「銭が有るなら生きれば良い」それが社会の善とす…である。

個人的に、尿路泌尿器内癌でこの制度を手術・入院で3度使った。正直言ってとても助かった、民間の「医療保険」は、患者本人では無く、家族に対して恫喝的な連絡で自身が退院し、対応せざるおえない酷い対応である。兎に角「払わない理由」の連呼でコチラの状況を聞かせるまで電話で5分以上。聞き終えて論拠と説諭に15分と極めて不払いの姿勢をとる。特に外資系が酷い(契約改定に同意して無いや契約・規約が変更されてるとか)。コレらの個人責任で自己防衛せよ、の流れになるのなら、先の「究極」と同義、選民に等しい。高齢者なら百歩譲って容認するが、若年層は死活問題になる。


その選民基準が「銭」とは、生物的にみて全く自滅の一路を歩んでいる。自然淘汰を逸して自己経済淘汰に完結する。

今時点で「資金」がどれ程有るのかが、進化的優位性と相関・因果する優位性が有るのか?その場限りの財政事情で種の未来を閉ざす悪手である。遺伝的多様性を否定し家畜が家畜化を進めるなら、恐竜よりも早く絶滅への道を進むだろう。


まあ、それも一興。正直に「働けなくなったら・働けないなら死ね」と言われれば、個人としては甘んじてお受けする。

財と言う名の幻想しか見えない世界観に生きる民、国、種が繁栄するなら従いましょう、喜んで。地獄で待ってるよ。

おっとコレは地獄に失礼か、こんな微塵子が先々に大勢来たら迷惑かも知れぬ。


1970年大阪万博幼くみた自分世代は、西も東も無く平和で夢の世界を期待していたが、反して確実に社会は劣化している。

「病気になったら、先ず経済的に抹殺、しがみ付いたら家族が巻き添え、行き着く先は一家断絶」そう言う時代になってしまった。


罹患直後は、生存戦略を積極的に考えただろうが、それすら「まぁ良いか」と諦めにた感覚になる。

現在は、ほぼ寛解。しかし、再発したら「安楽死」を正当に選択する権利を認めて欲しい。

身体的、精神的、経済的、家族への負担、それらに対して、自らの生命は極めて軽いので有ある。


真摯、正直に法制度を変えるなら「高額医療費削減」と「安楽死容認」を同時に出す方が潔い。

そう思う高齢者は、幾ばくか居ると感じるのであった。