昨日、世間的には「還暦」を迎え、50代は終了した。

何人かの知人から「おめでとうメール」が来た事で気がついた訳だが、何の変化もない1日として終了していった。

ここから続々と「保険」で保護していた「鎧」が外れ、経済的には直撃に弱くなった行くだけの境界線でしかなかった。

 

カミさんは「手芸のレッスン」で留守に、自分は「車のリコール対応」で部品交換に出かけ、帰り道、茶菓子にドーナッツを2つ買って帰る、よくある日常。帰宅した妻は、「LINEでお菓子があるから、ケーキは面倒でやめた」との事。
そもそもそんな事は頼んでない。

本人は、外出した日は決まって夕方になっても、ソファでの居眠りから一向に起きる気配がない。毎度の様に余った食材で自らが食事つを作ることになる、還暦祝いは、お手製の「ナポリタン」。2人分を作る。多分、自分が消えても変わらぬ日常、もしかすると規則正しい生活が困難となるのかもしれない。そのような扱い下で暮らしている。『俺が居なくなったら自分でやれよ・・・』

まぁ、逝った後の事は「知らぬ世界の関係ない歴史」である。極論「どうでも良い」。

 

膀胱癌のBCG副作用は、悪化はしていないが、一向に改善せず。疼痛制御でほぼ平常稼働。

鎮痛薬の頓服量を3種の持ち物が増えた程度。(アンダーコントロールの安心材料)

大阪程度なら移動にも耐えうる事は確認できたし、一人になる時間を作って「林住期」に入るのも悪く無い。
人知れず消える方が、自分らしい。

 

しかし、精神的には小学生と変わらんのに、まぁ人生あっという間に、老人になるもんだ。

死にたいと思った事は一度もないが、生に執着することも無くなっている。

欲しい物もなけれな、体験したい事をできる体でもなくなった。

静かに、日々眠れるだけで十分に満たされる。