このブログを開設した目的は、「癌の病状変化と治療費の実態を記録する」だった。

結果、何処と無くモノクロ的で単調な生活に、マイナス要因が連続するような事柄が多くなって行くのは必然である。

 

まあまあの同じ症状が続くなか、一昨日一つの変化があったので、備忘録。

 

姪っ子の挙式に出席する為、出身地の大阪へ。2泊の行程で、式場ホテルに滞在し、約10年ぶりの帰還を体験した。

「子供の頃〜仕事の出張」の長きに渡り、でサクサク歩けていた梅田の地下道も「万博再建」なのか、工事中の建築物が極めて多く行く先々が行き止まり。さながら「迷路ゲーム」のようで信号が多くあまり便利でなかった地上を建物をみながらの移動は時間が掛かる。まあ、それだけ地下街のショートカットができる便利な街の構造だったとも言える。

関東の中途半端な田舎とは違い、コロナ半明けの大阪梅田界隈は人口密度が全く違っていた。その中で最も感じた2点。

1:自分の歩く速さが極めて遅くなっていた事

2:人とすれ違う・追い越し・追い越されのタイミング感を失っていた事

思わず「こんなに急激に老化したか!」と・・・結果は、脳の問題。要するに「使わなくなった能力は眠る」で、帰路についた頃には解消された為、結果的に老化した訳ではなかった。(但し常に訓練は必要かな)

 

そんな「玉手箱開放済みの浦島太郎」は、泌尿器癌の疑義がかかりコロナ禍ロックダウン状態に入ってから3年ぶりに「宴会」を体験した。

「色彩」が散りばめられた会場の中、正装の主役「新郎新婦」、最後に会ったときから大人化した元ちびっ子達、久しくお目にかかっていない美しく皿にのったコース料理。万華鏡を見ているような時間には、実に懐かしく新しい活力があった。

「感謝」その一言につきる。眩しい位の「色彩時空」は、モノクロの日々から「復帰すればこういう世界が待ってるよ」と呼ばれているように感じ、再び戻りたいと思わせてくれた。成長した子供達には、眩しい位のエネルギーを感じる。「活力」そのもの。

(等々と言い訳しつつ、半年ぶりのアルコール入りの水を摂取、まあこれは社交辞令・礼儀。そう礼節の範疇です!)

この式で、病前に約定した事柄は全て完遂できた。行く前は「・・・だからもうあまり思い残すことはない」だったが、帰ってからは「・・・さてこれから如何にあの世界へ戻るか」へ思考転換がおきている。時間が自由になり、仕事・義務中心主義から生活満喫主義に切り替える契機になった小旅行。定番の土産を携て帰還、本当に充実していた、ちょっと疲れたけどね・・・。

 

来月は、再検査。良い結果がでますように。