電車の中で寝る方が余程心地いい。地下鉄のガード下並みのいびきの合唱の中めざめた。

 

手術開始まで何もする事がない。

開始までに家族に来てもらうように指示されていた為、11:00にはカミさんが到着する。

「入用の物は無いか」そらもう「耳栓!」

コロナ禍も随分収まった様で、術前に直接受け渡しができた。これで今晩は眠れる。

 

・・・しかし、予定時刻を過ぎても全然お呼びか掛からない。

渋滞しているらしい・・・取り敢えず待つ。

12、14、16:00。実に6時間遅れで手術室に案内された。

この間、輸液交換何回したか「昨日からの断水は長過ぎないか?」

 

手術室(手術棟)は巨大な倉庫のように長い廊下を挟んで、8部屋も並んでいた。

一部屋テニスコート1面分位の面積に、色々な装置がならんでいる。

テレビで放送されるような観覧席はなかったが、時計とバイタル測定値は自分の目で確認できる位置にあった。

施術待ちのベンチの寒さに反して、手術台に横たわると温かくぬるま湯に浸かったような感覚。

「心配しなくて大丈夫です」「緊張しないでくださいね」話しかけてくれるのはありがたいが、心配ご無用。

全身麻酔がどれ程効くのか興味深々。聞いた話では、麻酔薬入れた瞬間に「落ちる」らしいが・・・

そんな即効性は無かった、バイタルの心電図を見ながら3分程で「完落ち」したらしい。16:35分までは時計の記憶がある。

 

そこから約2時間の記憶が完全に飛んでいる。

呼び起こされた時の第一声が「よく寝たわぁ」であった。意識が戻った直後に左尿管の激痛と強烈な尿意が来た。

19:00頃に回復室から病室に戻された。ナースセンターは、既に夜勤体制に入っている。

ナースコールボタンの操作方法を教えてもらい就寝しようと思ったが、今夜は激痛との戦いになった。

尿管部の痛みは、腰の奥深くで定期的に左右が入れ替わる。最初は「アセトアミノフェン」のみだったが、深夜2:00頃同時に激痛を感じ排尿袋につながった透明の管が赤黒く変色しだした。

初めてのナースコール。そして初めてのオピオイド鎮痛は劇的に効いたが・・・体を起こしても平衡感覚が狂う、意識しても体が一定の位置を保持できない、船酔いの強烈な感じに近い。「オピオイド系って鎮痛と多幸感がある」とか言われるが、自分には多幸感は得られず只々船酔いの気持ち悪さ(吐き気があっても吐く物もない感じ)しかなかった。

 

一応の鎮痛に至り、朝までの船酔い状態のまま手足の動きが意識通りになるかをチェックしていた。