不妊治療で、待望の子どもを授かった私。自分には産後うつなんてないと思っていたが...。


お産のダメージが回復しきらないうちに夜間母子同室に挑戦。


自分は子どもと向き合うために寝ないのだと自らに催眠術にかける。


睡眠時間は20-30分とはいえ、全然眠くない。子どもと向き合うためには寝てはいけない。だから自分は眠くない。寝ないのだ。


そんなわけのわからないことを思いながら、子どもと一晩中一緒にいた。


慣れないオムツ交換。何度やってもオムツがズレて、うんちが漏れる。大量のオムツを消費してしまう。


母乳とミルクをあげるのも慣れなかった。助産師から「3時間ごとに、母乳をあげてからミルクをあげてくださいね」と言われる。子どもは口をパクパク開けて、「母乳くれ」アピール。でも、私の乳房からは母乳はまだ出ない。産後、乳房が腫れあがり、熱を帯び、痛い痛い。でもあげなきゃいけない。そのあと、粉ミルクをあげると、少しだけ子どもは寝てくれる。この間に私が寝なければいけない。


でも寝れない。部屋の気温が下がったり上がったりするたびに、エアコンの温度を上げ下げし、部屋の照明が子どもの目を悪くするんじゃないかと思うと気になって、ひっきりなしに調節した。


子どもが泣くたびに、子どもがなにを欲しているのかわからないままに対応する。


ミルクなの?母乳なの?ウンチなの?オシッコなの?それとも単に泣いてるだけ?


もうわけがわからないまま、夜間母子同室をやり遂げる。朝の授乳のあと、助産師が言う。


「沐浴しますので、お子さんお預かりしますね」


やっと私は子どもが手から離れ、解放されたのだが、退院後の生活を考えると末恐ろしくなってきた。


病院は助産師もいて、子どもを見てくれる人がいる。でも、家では、夫がいない昼間の時間帯や夜間は私が一人で対応しなければいけない。


子ども見ながら家事もしないといけない。


絶対に無理だ。私は子どもをもつべきではなかったのだろうか...。


子どもを助産師に預けて、一人で朝食を食べる。


ふかふかのパンがわが子の顔に見える。

水筒のフタを開ける音がわが子の泣き声に聞こえる。


その日は退院指導やミルクの調乳指導で、ひっきりなしに業者や助産師が部屋に出たり入ったり。子どもは預けていたが、私は一睡もできない。


寝てはいけない。しっかり話を聞かないといけない。自分は眠くないのだ。寝たくないのだ。そう言い聞かせて、話を聞く。


その日、昼食にカレーが出た。わあ、おいしそうなカレー...。

でも、カレーの中にわが子がいる。そして、わが子がふらっと、私のいる病室に浮かび上がる。


わが子の顔は、ときに私の自閉症の弟の顔になったり、ならなかったり。


私の子には障がいはないっ。どうして、弟がわが子の顔になったりするんだっ!


いないはずの弟が現れたり、いないはずのわが子が現れたり、カレーを食べながら涙が出て、止まらない。


なんでカレーを見て涙が出たりするんだろう?


私ヤバいわ。このままじゃ、自分がダメになってしまう。そうこう思ってるうちに、医師が診察に来た。私が言う。


「先生、カレーがわが子に見えるんですけど、こんなのおかしいですよね。母乳育児をしたいと思いますが、眠剤って飲んでもいいですか?」


かろうじて、私の脳みそは正常な判断ができたようで、この日の晩は強制的に寝ることにした。以降、いないはずの弟を見たり、目の前にいないはずのわが子を見ることはなくなった。


今思えば、上のような状況こそ、産後うつだったのかもしれない。ただ、まだ私はなんとか自分を保つことができた。


不妊治療でようやく我が子を授かったとしても、産後うつは起こりうる。

いや、なかなか授かれなかったわが子を授かったからこそ、産後うつになったのかもしれない。


経験しないとわからないことが世の中にはある。産後うつになったからこそ、これからはこうならないように、ヘルプを求められる時は誰かにヘルプを求め、しんどいときは無理をしないようにしたいと思う。