ブログから遠ざかって約1年半(もっと経ってるか)。


 ダメ元で6回人工授精を試みたけど、ダメだった。そろそろ、体外受精をやってみようと思ったら、まさかの夫婦同時コロナ感染。私は軽傷で済んだが、夫が肺炎を起こし、10日間入院。不妊治療どころではなかった。


 夫の精子量が激減したらどうしようと思っていたが、検査してもあまり変化なし。医師も驚く。一般的には、コロナ感染後、精子の量は減る傾向(どちらかというと多く減る)があるらしいけど、夫は従来通りだった。医師も首をかしげるぐらい。


 で、とりあえず、体外受精にステップアップして、私は毎日注射を打ちに病院に行き、採卵に備える。


 テレビや周囲の話を聞いて、「採卵するのこわい...、痛いんだろうな」と思っていた。


 そして採卵。麻酔から目覚めて、起き上がると、ちょっとキツめの生理痛のような痛み。でも、そのあと処方された薬(名前は失念)を飲むと、なにもなかったかのようだった。


 個人差があるのかもしれないが、私にとっては採卵はそれほど苦痛ではなかった。むしろ、以前受けた子宮筋腫の腹腔鏡手術の方がしんどかったような...(まあ、その考えも後ほどくつがえされることになるのだが)。


 採れた卵は19個、うち体外受精に使えるものは17個。クリニックの医師や看護師が口をそろえて「多い」と言う。私は当時33歳だったけど、医師曰く「20代の人でもここまで多く採れるとは限らない」ということだったので、私は体質的に多いほうなのかもしれない。


 最終的に凍結できた胚は8個。うち、もっとも状態の良い胚で顕微授精をする。


 夫婦ともども悲観主義者なので、「アカンのちゃうか」と毎日言いながら、結果報告の日を待つ。

 まさかの妊娠判定陽性。ただそれでも、気は抜けなかった。


 陽性判定の出たその日の夕方、出血。ヤバいと思い、病院に電話するも「今の段階では内診してもなにもわからない。着床出血の可能性もある」と言われ、不安になる。たぶん、着床出血だと思いながら、次の内診。おなかにわが子がいることがわかる。


 でも、それでも気は抜けなかった。妊娠陽性判定の翌週あたりから、数日に一回は出血するようになり、そのたびに病院へ。胎児の心拍が確認され、問題ないと言われても不安で不安でしかたがなかった。


 そして妊娠8週目、やや多めの出血。いよいよヤバいんじゃないかと思い、また病院へ。医師は「切迫流産かもしれないけど、胎児の心拍数はあるから自宅で安静にしててください」と言う。


 「安静」ってなに?


と思いながら、ひたすら横になって寝る。でもあさっては仕事やし、大丈夫かなあ...。仕事休もうか悩む。どうにか、その日のうちに出血は沈静化し、そこから12週まではなにも起きなかった。


 ところが...、「12週の壁」を超えた12週0日目にポリープで出血、安定期(16週以降)に入った16週2日目にまた多めに出血。


 妊娠の「イベント」のたびに出血し、悲観主義者夫婦はいよいよ気が抜けず。


 おたがいの両親にも、友だちにも生まれるまでは、妊娠のことは言わないでおこう。(ただし、仕事場には言わざるおえなかったが、本当なら言いたくなかった)


 そう決意して、妊娠のことは夫婦だけの秘密としていた。(結局、妊娠5ヶ月目に夫の兄夫婦と会った時に、妊娠のことを見抜かれてしまったけど)


 そして、ようやくわが子を出産。帝王切開となった。出産後、頭が興奮状態にあり、なかなか眠れない。いや、眠れないというよりも、眠たくならず、寝たくないという気持ち。


 異様な興奮状態で、夜間母子同室をしてみた。なかなか泣き止まないわが子。オムツ交換がうまくいかず、オシッコやうんちを飛ばされてばかり。気まぐれに寝ては起きてを繰り返し、何度あやしても寝てはくれず。せめて、子どもが数十分でも寝てくれてるときに、私の神経が落ち着いて眠ってくれたらいいのに、眠くならない。むしろ起きてないと不安になってしまう。


 朝、そんな私を見かねた助産師さんが、「今から沐浴しますので、お子さんを預かります」と言ってくれる。


 「これで寝れる」と思ったけども、出産後の頭は寝てくれず。おりしも、この日は退院診察や沐浴指導、調乳指導などなど、イベント盛りだくさん。くたびれて寝れるかなと思ったら、病室に助産師、医師、業者(粉ミルク業者)がやってきて、目が覚醒して眠れず。


 ついに、その日、ふかふかのパンやカレーがわが子にしか見えず、ちょっとした生活音がわが子の泣き声にしか聞こえず、ついに目の前にいないはずのわが子が目の前に見えた...。

 なにもないのに涙があふれ、ティッシュを何枚も濡らす。


 あっ、これはヤバい。


 自分で自分がヤバい状態にあることに気づけるうちはまだいい。「自分がヤバい状態」と思わなくなったときに、人はとんでもないことをしてしまうのだ。


 ハッと我にかえり、その日の夜は眠剤を処方してもらい、強制的に寝ることに。翌朝、寝て、自分の精神が落ち着いてきたことに気づく。

 赤ちゃんは自分の思い通りにならない。預けるときは預けよう。そう思えたのだった。子育てはさらに続く...。


 最後に子宮筋腫の腹腔鏡手術、体外受精(顕微授精)、帝王切開と出産をふりかえって。どれがいちばんしんどかったか。


 どれもしんどいけども、自分にとって、いちばん体力を使ったのは出産。その次が子宮筋腫の手術、体外受精はその次。


 なにがしんどいかは人によるだろう。単純に手術のしんどさでいえば、帝王切開、腹腔鏡手術、体外受精(特に採卵)の順になる。

 でも、子どもに恵まれない夫婦にとっていちばんしんどいのは体外受精だろう。あと、帝王切開をしていない人で、子宮筋腫を摘出した人にとっては腹腔鏡手術がしんどいだろうし。


 なにがしんどいかは人によるけども、出産は楽ではない。経験しないとわからないことが世の中にはあるのだなあと、わが子を産んだことで実感したのだった。