心屋仁之助さんの記事に

自己肯定感の高いひとは
他人のことをあまり可哀想だとは思わない。
可哀想ではなくて優しさで接する。

人のことを可哀想扱いするのをやめると
自己肯定感が上がってく。

自己肯定感が低くて
ひとを助けることで自己肯定を保ってしまう。
 
自分が「いい人」してないと
ここに居られなくなる、と思ってしまう。
まわりのひとを
そのくらい信用してない、ということ。

いい人をやめると世界がかわる。


というような内容の記事が書かれていました。

なるほど🤔
ものすごく納得してしまいました。

20年前に聞きたかったなゲッソリ

私はまさにそうでした。
「いい人」

誰にでもいつでもどこでも
空気を読み
相手が何を求めているか。
今何て言ってほしいのか。

すべてそのようなことを考えて
相手が誰であれ
相手が心地いいようになるよう振る舞ってきました。

それは確かに
「優しさ」とは違います。

なので色々な人に利用されます。
私の周りには
助けてほしい人
手を貸してほしい人
手伝ってほしい人
気の利いたことを言ってほしい人
ばかり近寄ってきます。

愚痴をとにかく聞いてほしい人。

子供を預けて遊びに行きたいママ友。

いいカモを探しているモラハラ男。

自分でも気づいていながら
このように振る舞うことを
なかなかやめられませんでした。

不幸な人を見るとほかっておけません。
明らかに自分の方が不幸なのに滝汗

自分の身体をすり減らしても
他人を助けようとします。

モラハラ野郎によく言われました。
「人に気を使わせるような振る舞いをしろよ」
私は意味がわかりませんでした。

なぜ人に嫌われるような振る舞いを
自分からしなければいけないのか。

このテーマでよく言い合いをしていた覚えがあります。

「おまえは気を使わせない振る舞いをするから
利用されるんだ」

今ではわからなくもないです

きちんと接してくれる人にはきちんと。
悪意で接してくる人には
少し距離を取ることが
少しだけ出来るようになりました。

同じ毒親で育っても
全然違うのだなと不思議ですゲッソリ

私は数年前まで
自尊心が低く
「いい人」を演じていないと不安でした。

子供を三人産んでから
少しだけ自信が持てたような気がします。

モラハラ野郎と付き合いはじめの頃
会社の先輩に
「そんな男やめておきなさい」
と言われたことを思い出します。

「彼はかわいそうなんです。彼に罪はないのです。親が悪いだけで。私が助けないと彼が死んでしまうんです。」

先輩
「アンタおこがましいわ。自分のことを自分ですべてやれるようになって余裕がある人が
人を助けることが出来るんだよ。
自分のことをおろそかにしてまで
人を助けるなんておこがましい。
いい加減わかりなさい」

今思い返すとごもっともです。
拝みたいくらいごもっともですゲッソリ

でも当時の若い私は
「なんでわかってくれないのえーん
私は人を助けていいことをしているのに」と
本気で思ってましたえーん

この先輩が愛を持って
説教してくれたのに
反発して今は申し訳無かったなと思いますショボーン

「私が助けないと死んでしまうんです」
そんなわけない滝汗
むしろ私よりあざといし私よりだいぶ生きていく力はある。
なぜあの時は全く気づかなかったのだろう。

いや気づかなかったわけではなく
私の自尊心が低かったからなんだろうか。

色々考えていると
子供をどうやって育てるのがいいのか
不安になるえーん

育児本は死ぬほど読んだし
毎日毎日気をつけながら
子供に接しているつもりだけど
気をぬくと毒親と同じ接し方をしていないか
すごく不安になる時があるえーん

毒親
いつまで影響が出るんだ笑い泣き