妊娠経過~39 歴史的な母との確執 | 『新種・負け犬』の私が産んだワケ

妊娠経過~39 歴史的な母との確執

(久しぶりに、妊娠経過過去日記の更新します)

18th Jan 2005

あわただしく、寒い冬の日。

いきなり、夕方退院することになって、(自分の)実家へ送還。

そもそも、退院後は、家に帰るか、(私の)実家へ帰るか、でおおもめしてた。

(まあ、そういう選択の余地があるだけ幸せなのはわかっているが)

でも、結局、平日に急遽退院。しかも、迎えなしでは退院許可が下りない。

仕方なく、実家へ電話するが、留守。

携帯でやっとつかまった母は、電車の中。

病院への退院届けは3時。それを超えると、翌日まで帰れないし、

お金もかかるので、急いで連絡をつけたかった。

なので、電車をいったん降りてほしいくらいなのに、ブツ切れでラチがあかない。

は~。やっぱり、家に帰りたい。


退院後も寝たきりを宣告されているわけだから、

基本的には家に帰って、主人の世話や買い物なんて無理なんだけど、

実家は気を使うし、母とも折り合いがあまりよくなかったため、強行に拒否していた。


なぜ、自分の実母と折り合いが悪いのか、、、

これは、さかのぼるともう、小学校5年生くらいからになる。

もちろん、子供なんだし、折り合いが悪いとか冷静に考えてはいなかったけど、

要するに、ずっと「話が合わない」と感じていて、相談はしなくなった。

そして、そのまま受験し、大人になっても、相談はほとんどしない。

専業主婦で、かつ、ステータスがあり、稼ぐ旦那と暮らす母には、

女の幸せ像が強くあり、私のように、女なのに身を削って、せっせと稼ぎ、

旦那は、フツーのサラリーマンを選ぶなんて、

自ら不幸を選択している、、、ように見えるのかもしれない。

これまでの私の選択に対して、別に反対されたことはないけれど、

遠巻きに、「女の幸せはこれだから」と言われることが多かった。

もちろん、

私だって、結婚にしろ、仕事にしろ、出産にしろ、不安はたくさんある。

しかも、自分の母や実家とまるで違う環境を自ら選んでしまった不安というか

一抹の後悔だってある。

(そりゃ、旦那が稼いで、自分は遊んでいられる生活も幸せだろうな~と思う。

 仕事はキツイし、おまけに子供も生んだら、どうなるか不安でいっぱいだ)


とにもかくにも、その辺の価値観が合わない以上に、

自分の不安や、コンプレックスを突かれる相手が実家の母だった、、、ということだ。

友達や、知り合いにも、母と同じような価値観の女はたくさんいる。

むしろ、多い。

結婚するなら、経済力が第一主義。とはっきりしている人も多いし。

でも、そういう人とは、仕事をしていると、あまり知り合わないし、

近づかないし、仲良くしなければいいだけだ。

平行線なんだから。

でも、それが、抗えない、実母となると、やっかいだ。

生き方全部が否定されているような気がしていたし、

まあ、それを説得する必要もないし。

どんなに、自分が金を稼いでいたり、

やっと昇進できたり、いろんな世界を持っていることを伝えても、

「まあ、女の人って、子供生んで、旦那さんに稼がせるのが幸せよ」

といわれれば、もう、お手上げ。

そ・う・な・ん・だ・け・ど・・・もう、いいや。


う~ん、なので、なるだけ、深く関わらないつもりだったけれど、

母に迎えに来てもらった流れで、勢い、実家で生活することになったのだ。