愛は尊敬と信頼。
遅ればせながら昨日、やっと観た。
「ボーヒエーミヤン」って言いたくなったピナコラです。なりませんでしたかw。
観るとどうしても言いたくなる。
ボーヒエーミヤン・ラプソディ。
日常のドラマは少なくていいから、その分ライブの映像をもっと欲しいと思ったけれど、それだとフィルムコンサートみたいになって
実際この映画はフレディ―の孤独と愛と葛藤の物語なんだからストーリーが無いと
仕方ないですよね。
しかしそれ故、ライブの部分に欲求不満が溜まる。ついついその後を歌いたくなる。すぐさまカラオケに行って続きを歌いたくなる。
一緒に歌える上映回もあるんですよね。
しかし、うちの会社の元イカ天ギタリストは「歌は歌いたいですけど、人の歌は聞きたくない」などと言っていた。
ライブエイドの映像はさすがに胸に迫る。ちゃんとフレディー本人の声。
ライブエイドのビデオがうちの中のどっかにあるはず。探し出してヴィデオ観ようっと。
クイーンは「華麗なるレース」まではかなり聴いて、当然武道館で観ているけれど、ちゃんと聴いていたのは「世界に捧ぐ」あたりまでで、そこから次第に積極的には聴かなくなった。
今、ディスコグラフィーを見ていたら、やっぱりだいたいの曲は知っているのだった。
フラッシュゴードンの時なんかナニやってんダロ?と思ってた。ジョークかと思っていたし。
そうしてゲテモノも極めれば美。キワモノとして愛していたフレディ―。
やっぱり涙が出る。ああ悲しい。
涙を拭きながら、腕つり骨折から癒えた、RUNの友にしてROCKの友、R江と銀座の魚金に行き
まあ、二人とも立派に長生きすると思うけどね。
ブライアン・メイはカツラを被ったリチャード・ギアみたいだった。
ジョン・ディーコンがどう見てもジョンそのものだった。
フレディ―なのにミック・ジャガ―に見える時があった。
ロジャー・テイラーは宇野ショマだった。
ジョン・ディーコンがどう見てもジョンそのものだった。
フレディ―なのにミック・ジャガ―に見える時があった。
ロジャー・テイラーは宇野ショマだった。
そんなボーヒエーミヤン・ラプソディの夜。