こんばんは。アマデウスです。
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精進いたします。
スローガンを考えました。
「人は神ではない。だが、人の内面には、神性が存在する」
このスローガンには、大きく分けて2つのメッセージがあります。
- 人を神として崇めない
- 自分の中に、神性が秘められていると認める
1.人を神として崇めない
よくやってしまいがちな過ちに、
憧れを抱く相手を神のように崇めてしまうケースがあります。
神とはいかないまでも、人間性も含めて全部を盲目的に信じてしまうことです。
どんなに素晴らしい人でも、人は人です。
普段どんなに穏やかに見えようとも、激しい一面を持っていたり、
あなたの知らない側面を持っている場合があるということを、忘れないことです。
穏やかで、人格者として尊敬されている人の中にも、
小さな失礼に敏感で、ものすごい怒り方をする人がいらっしゃいます。
インナーチャイルドが癒されないまま、苦労して地位を築き上げた方などに多いです。
偉い立場にある人ほど、人格者であることを求められているので、ストレスが溜まり
ふとした拍子に、抑圧されて溜まった感情が一度に爆発してしまうようです。
恐らくは、普段身近にいる人に対して抱いている悪感情を溜め過ぎていて、
それらのストレスを、あまり関係の深くない私に八つ当たりとしてぶつけたのだと思います。
あまり深くを知らない相手のことを、無条件で信頼するのは危険だと思います。
目に見えるコミュニケーションの中で、少しずつでも相手にいろいろと尋ねて、
人となりを知ってから信頼しても、遅くないと思います。
誰彼が素晴らしい人だと言っているから、などと、自分で体験せずに
手放しで信頼してしまうことは、おいおいに幻滅をする可能性が高いと思います。
2.自分の中に、神性が秘められていると認める
人は生まれながらに、神の存在を持っています。それが神性です。
八百万の神という言葉があります。それと同じように、
人は全て森羅万象の一部であり、一人一人に神性が宿っています。
あなたは神ではありませんが、あなた自身は神の性質を宿しているのです。
本質的な愛は、そのことを知っています。
神は愛であり、愛のあるところには、神の力が発現します。
家庭環境の影響で、過去の私は神も仏も信じませんでした。
ずっとそうして生きてきました。
人を信じること、自分を信じることを通して、神も仏も信じることができました。
神、仏を信じることは、目に見えない世界を信じることと繋がっています。
信じることができると、自然と感謝もできるようになります。
人と人は、見えない世界で、愛で結ばれています。
個人的なものを越えることで、人類愛に近づきます。
愛と認めれば愛のまま続きます。
愛ではないものだと判断するなら、相応の結果が訪れるでしょう。
ちまたでは、他者との関係に煩わされないために、
結界を張ったり、
エネルギーコードを処理したり、
そのようなやり方を学んだりすることがあるようです。
私はこれらのことを、悲しく思います。
結界を張る、ということは、それ自体が
「私は攻撃されている」というアファメーションです。
エネルギーコードを処理したくなるのは、
「私はエネルギーを奪われている」というアファメーションです。
それらの処理の仕方は、一次的には有効かもしれませんが、
パターン化された生活の中では、同じことの繰り返しになるようです。
自分の内面的な負荷を減らすために、他者に責任転嫁しています。
あくまでも、私達は生まれながらに肉体を持った存在なのですから、
スピリチュアルな解決策に頼る前に、目の前の人をどうしてそんなに嫌うのか
あるいは疑うのか、自分の心に確かめた方がよいと思います。
私の場合も、スピリチュアルに馴染むにあたっては、人の念を受けた時期もありました。
相手に対して苦手意識があると、念を受け取りやすいように感じます。
自分が相手を快く思っていないので、現実に快くない出来事に結びつくのだと思われます。
苦手でも、最低限は自分に関わるご縁のあった方だということを思い出し、
現実に会った時はちゃんと挨拶だけでもするなど、距離感を持って接することで
誤解が解けると念を受ける現象もなくなりました。
意識的に自分を守らなくても、守られているのが理想です。
空気のように愛がある。信頼がある。世界にしていきたいです。
いつも真っ直ぐな目線を持てるように、心も体も精神も、磨いていきたいです。