こんにちは。アマデウスです。
今回は"闇の存在"について考えてみたいと思います。
闇の存在は、その存在の是非を私達に問おうとしています。
如何なる闇も、照らす存在がある。
それが、あなた方のいうところの"光の存在"、
つまるところそれが"ツインレイ"という存在です。
否定している限りは、それに応じた現実が現れます。
闇があってもよいのは、そこに温もりがあるからです。
ぬくもりもない闇は、ただの暗がりでしかありません。
問題となる"心の闇"とは、一体どのようなものでしょうか?
それは自分で気づけないところにあります。
そのために、人が知らしめてくれるのです。
その知らせ方によっては、抵抗を強めるかもしれませんし、
素直に従いやすいこともあるでしょう。
"心の闇"とは、一体何でしょうか?
それは、利己的な欲によるものです。
独り占めしたい。己のためだけに愛したい。
そのような欲があれば、心は闇をうみ出します。
私達で、できることがあります。
地に足をつけて、歩むことです。
人を救うことは、自分を救うことに他なりません。
ですが人を救おう、救おうと人に対して力を使っている限りは、自分は救われません。
力の使い方が一方的過ぎることで、行き詰まってしまうためです。
例えば地域の町興しに参加してみる。ボランティアに参加してみる。
ゴミの片付けをする。水を綺麗にする。草花を植える。
こういった活動により、力が外向きに放出できます。
人の話を聞いてあげる。アドバイスはしない。心ゆくまで話させてあげる。
こういった活動も、その人のエネルギーを受け止めてあげることで、
エネルギーを循環させることにより、力を受け持つことができます。
自分を救うことが、そのまま人を救うことに繋がる一例です。
お互いの"闇"を照らし出す存在。
己の心の闇を知る人物が居れば、それが究極の存在です。
今後もお読み頂けたら嬉しいです。