詳しくはこちら→ LANI祭り開催

好評につき、開始時間を早めたので、日中に空きが出来ました! お早目にお申込み下さい。
26日(土) 18:00~19:00頃まで の間 1枠
27日(日) 11;00~14:00 の間 1~2枠
※Sakiのセッションは、27日(日) 12:00~13:00の枠に
空きが出ました。 1枠のみです!
keisys@hotmail★com
★を@マークに変えて送って下さい。
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こんばんは。
アロマ+LANIセラピストのけいこです。
先週の夏日はどこへ?というぐらいに、急に気温が下がりましたね。
皆様、風邪を引かないように、気をつけてください。
今週末に開催される
「雑貨屋さん風フリーマーケット&癒しフェア」では、お子様のものもあります。
ほぼ新品の洋服や、子供の本 など以外に こんなのも
↓
ストーラーカバー(雨用)

ストーラーにつくおもちゃ

こちら2つは、未使用です。
これに「メッシュのカバー」もついた3点セットです。
ご興味のある方は、是非是非、フリマにお立ち寄り下さい。
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以前私は、怪我で仕事を半年ほど休んでいたことがあります。
労災が降りるまでに、かなりの時間がかかり、
お金が減っていくことに、恐怖を感じていたことがありました。
その後は、「失う」ことに対しての恐怖を、感じる時期がありました。
「失う」ということは、「今現在、手にしているものが、消えてしまう」
と言うことで。
その対象は、何でもいいのです。
ただ、ただ、「失ってしまう」と言うことに恐怖を感じていました。
その「失うのが恐い対象」が、「当たり前の様に自分に居る人達。つまり家族」だと、
知った時に、何となく、パズルが解けたのです。

小さい頃から、「両親が褒めてくれなかった」となると、
両親に対して「愛されているのかな?」と、疑ってしまったり、
「親に心配をかけたくないから、我慢した」
「聞き分けのいい子を演じていた など、
親に甘えることができなかった というのも、
恐らく、「愛されているのかな?」という、疑惑があっての
行動だと思います。
親からの「無条件な愛」といのは、子供にとっては「当たり前」であって欲しいもの。
だけど、それを「もらえている」という安心感がないと、
いつも、いつも「手にしても、失うのではないか」という、無意識に不安になるのが、
自然なことだと、思うのです。
そして、ちょこっと褒められたり、ちょこっと親に甘えてみたりすることで、
やっと手にした「親からの無条件の愛」を、
必死に守ったり、あるいは、「失うのではないか」と不安になったり、など
ごくごく自然なこと だと思うのです。

大人になって、「愛する人」や「家族」などを手に入れた時、
「フッと」よぎる「失う恐怖感」というのは、
「親からの無条件な愛を、やっと手に入れたから、失いたくない。
守りたい」という、幼い頃の気持ちとリンクして、
全ての対象を「自分の両親」=「無条件の愛をくれる人」
と見てしまっている可能性があって、
結果として 「不安になる」「失う恐怖を感じる」ということになるのかと
思いました。
私の夫や子供は、私の両親でないことは、充分承知です。
でも、「幼い頃にてに得られなかったもの」を、第3者(夫や子供)に求めている。
第3者に求めても、恐らく私の気持ちは満足しません。
それは、「私の求めている愛の形と、彼らのくれる愛の形は、異なる」からです。
第3者の求めることを選択した場合、
「お互いの愛の形が違うから、私は、100%満足しません」というのを、
承知の上で、選ぶこと。
それが嫌ならば、
「自分で自分に無条件の愛を、送ること」というよりも、
「自分の中には、既に自分を愛おしいと思う、無条件の愛が存在していること」に
気づき、そして受け入れることです。
どちらが、より自分に心地いいか、
それをするだけで、「恐怖」という感情を手放すことができると思います。
他の事でも、同じことが言えるのではないでしょうか?
「自分に心地よいものを選択する」
そうすることで、もう「しなくてもいい我慢」をする必要がないのです。
自分に優しく、優しくしてきたいものです。
*注)これは、あくまでも、私のケースですので、全ての方にはあてはまりません。
それでは皆様、素敵な一日をお過ごし下さい。
読んでくれてありがとうございました。
「沢山の人達とシェアができれば」と思っています。
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