毎月通っている美容室がある。
最初は安いという理由だけで通い始めたのだが、担当の美容師さんが気さくで面白い方で、いつも楽しく利用させもらっていた。
が、ここ数ヶ月でなんだかしっくり来なくなってきてしまった。
なんかよく分からんけど、コレジャナイ感がすごいのだ。
シャンプーの時の力加減もなんか違う。
乾かし方もなんか違う。
仕上がりもなんか違う。
コレジャナイ。
私が求めているのはコレジャナイ。
なんなんだこれは?
お店の人の対応は何も変わっていない。
気分を害すような接客もないし、むしろすごく丁寧な感じだ。
料金もリーズナブル。
最近はちょこちょこ値上げしてきてるけど、それでもお財布に優しい範囲だ。
何も変わってない。
変わったのはむしろ私の方である。
最近私は、自分の中から湧き上がってくる望みを以前よりも大切にするようになった。
目の前の嫌なことにただ反応するだけじゃなくて、そこから生まれる『望み』にも意識を向けられるようになってきた。
どうだったら最高なのか?と自分に問うてみた。
そしたらこう返ってきた。
『美容室で数万円くらい何っっっっの引っかかりもなくポーンと払えるような意識になりたい』
なるほど。
施術云々が直接の原因ではなくて、安いからこれにするっていう選び方がもう嫌になっちゃったんだってさ。
まぁね、今は数千円レベルで引っかかりまくってるもんね。窮屈だよね。
実は2ヶ月前にも『コレジャナイ感』を感じて別の美容室に行ってみたことがあった。
施術料はいつもの2倍になったが、その分仕上がりが素晴らしく良くて感動した。
しかし毎月通うとなると少々お財布的にキツイかもとビビってしまい、またいつものリーズナブルなお店に戻った。
相変わらずお財布に優しい価格設定。
でもやっぱりコレジャナイ感。
なんなら前より強くなったかもしれない。
ちなみに私はお店の方々を否定するつもりは全くない。
素晴らしい方ばかりだからこそ、私は何度も足を運んでいたのだから。
毎日意識の拡大のために色々やっていると、それに合わせて望みの質も変わってくる。
今よりも更に拡大した自分を望むということは、今まで慣れ親しんだものに『コレジャナイ』と感じるのもまた自然なことだ。
最初は小さな違和感から始まって、少しづつ、少しづつ大きくなっていく。
はっきりと自覚できるレベルになる頃にはもう、かなり強くなっている。
これからも今までと同じ美容室に通い続けることはもちろん可能だ。
でも、果たしてそれで私は満足なのか?
安いからあんまりしっくりこなくても仕方ないよねっていう意識のままで、本当にいいのか?
そうやって我慢してたら、不満が出てこないか?
自分が勝手に選んで我慢してるだけなのに、我慢させられてるって勘違いを始めたりしないか?
お店の人の技術が足りないからだとか、この満足感でこの価格はおかしいとか言い出したりしないか?
コレジャナイ感を無視した結果、もっとコレジャナイ感に悩むことも充分有り得る。
というかそれしかない。
そもそも美容院代を安く済ませたいと思うのはどうしてだ?
『給料以上のお金が自分に入ってくることは絶対にありえない』と信じているからではないだろうか。
本当は、その感覚を変えたいのではないか?
お金は私の人生の中で、まるで風のように自由に出たり入ったりするものだ、と自分に思わせてあげたくはないだろうか?
そして、内側が変われば現実も変わらざるを得ないのだということを身をもって体験してみたいのでは?
お金は怖くない。
お金は私に自由を与えてくれる素晴らしいツールだ。
私はそんな風に意識を広げていきたいと思っている。
元が貧乏家庭出身なもので、すぐにガっ!と広げられるほど私のエゴは静かではない。
だからこそ一気にデカいことをやらない方がいいと思っている。
めちゃくちゃ怖いけど、これならギリ…いけるカモ…??
ぐらいのラインを地道に何度も攻めていくほうが、自分にも優しいと思う。
美容室は変えることにした。
今度地方に行く用事があるので、その時に新しい場所に行ってみる。
地方の美容室とかめちゃくちゃ怖いけど、ギリいけるカモ?のちょうど本当にギリギリを攻めてみる。
実験です。
私の身体はその時どう感じるのか。
私の心はその時何を思うのか。
怖いけど、楽しみだ。