さて、場所は チャナッカレ海峡、日本では ダーダネルス海峡と 呼ばれる海峡です. チャナッカレという町が近くにあるので こう呼ばれているんだと思いますが、イズミルから北に 200km ぐらい離れています. それなのに、この歌、サイトによっては イズミル民謡と 書いてあったり、副題に 「美しいわがイズミル」などと ついていたりします. どうも、もともとイズミル民謡だったこの曲に 潜水艦事件のあと歌詞をつけたのかもしれませんが、今のところ どちらとも 確認できていません. いずれにしても エーゲ海地方の音楽 ゼイベッキでしょう.
この歌には 語りがついているものがあります. 以下、語りつきで 歌詞を ご紹介しましょう.
おい、ちょっと火を貸せ(Ah, Bir Ateş Ver)
チャナッカレ海峡 ナーラ岬沖、1953年4月4日 午前2時15分.
長く疲れる航海から帰還した潜水艦ドゥムルプナルは ナーラ岬沖で スイス国旗を掲げた貨物船ナブランドと衝突した. 静かで寒く、視界の悪い夜だった. 艦首に受けた衝撃で ドゥムルプナルは あっという間に沈没した. 潜水艦に乗っていた81人の乗組員うち 無事だった22人は、艦尾の魚雷室に 避難した. 潜水艦から放出した電話ブイのおかげで 海上の船との通信が確保できた. この22人を救出するため、地上にいる全員に動員がかけられた. この間 艦内の酸素消費を抑えるため、電話線を通じて、不必要な会話をしないよう、歌(türkü)を歌わないよう、そして タバコを吸わないよう申し渡された.
何時間にもわたった救出作業、希望も尽きかけようとしていたそのとき、暗闇で待っていた22人に 以下の事柄が 再び申し渡された、会話してもよろしい、歌(türkü)を歌ってもよろしい、そして タバコを吸ってもよろしいと.潜水艦と結ばれた電話線の向こう側から、海中で死ぬ所だった彼らの悲しげな しかし意気軒昂な歌(türkü)が 聞こえてきた.
おい、ちょっと火を貸せ、一服しよう
お前も こっちに来い、見張りは 俺がやる
お前も こっちに来い、見張りは 俺がやる
マストの上の見張りは長い
猛者たちの心も 二つに割れた
母親たちの心も 焼け焦げた
火を捨てろ、胸の火を燃やせ
みんなを起こしてこい
みんなを起こしてこい
マストの上の見張りは長い
猛者たちの心も 二つに割れた
母親たちの心も 焼け焦げた
(いつものように なんちゃって訳です. 間違いがあれば ご指摘いただければうれしいです.)
参考リンク
http://www.baktabul.net/turkulerimizin-hikayeleri/65427-ah-bir-atas-ver-turkusu-ah-bir-atas-ver-turkusunun-hikayesi.html
動画
[ナレーションつき - Ali Kırca]
[Ah bir ataş ver cigaramı yakayım (güzel izmir'im) ]
[Turku Izmir ... Ah Bir Atas Ver]
[Karaoke-Ahmet Koç]
観光馬車(アンタルヤ)
