2010年7月30日、JAXA 相模原キャンパス特別公開に行って来ました。

ただし、Hauyneは一点突破、はやぶさプロジェクトのプロジェクトマネージャー

川口淳一郎教授による宇宙科学セミナー受講だけを目的にしていました。


朝イチの電車でJR淵野辺駅下車、雨の中徒歩にて

相模原キャンパスに到着したのは6:37JSTでした。

Hauyne Blue

相模原キャンパスの入り口。

この時間はまだ誰もいません。


キャンパス入り口を素通りして、相模原市立博物館へ。

既に入り口前には20人程度の列ができていました。

列は3列、左がはやぶさのカプセル展示見学、

真ん中が宇宙科学セミナーの列、

右が全天周映画観覧の列です。

10名以上がカプセルの列に並んでおり、

セミナーにはHauyneの前に2人いるだけでした。

Hauyne Blue

7:18JSTには職員の方々が館内でミーティング。


Hauyne Blue

9:05JST 宇宙科学セミナーの列に並んでいる人に、

整理券が配られました。


相模原市立博物館の開館は9:30JSTですが、

今日は雨が降っていることもあり、開館時間前に

この時すでに大行列を為しているカプセル見学者の

一部が館内に誘導されました。

それに続き、宇宙科学セミナー受講者も

講演会場へ通されました。


Hauyneは最前列の真ん中に席を取ることができました。

おかげで・・・

Hauyne Blue

川口先生とはこの距離、この位置関係www


川口先生は会場の後ろの方からふつーに

お越しになり、プロジェクター出力のためのPCを

つないで準備すると、少々時間前ですが、と

司会の阪本成一さんから紹介をされた途端、

待ってました、とばかり会場からは万雷の拍手が沸き起こりました。

拍手がなかなか鳴り止まず、川口先生は少々面映い表情を

していらっしゃいました。


講演時間は90分。

10:15分から11:45分までです。


講演内容は、はやぶさの旅の一部始終の、さらに詳しい

補足説明や知られざる運用秘話など。

ここでは、Hauyneがこの場で初めて知りえた事、あるいは

特筆事項と感じた事についてのみ書いていきます。

一応、話が出てきた順で書いていきますが、話の流れの途中を

すっとばす関係上、ざっくばらんな感じになりますのでご了承下さい。


・はやぶさに搭載されているイオンエンジン、燃費の良さが売りですが、

 それがどれくらいかというと、同じ推力を得るのに、推進剤の重量比にして

 化学エンジンの約1/10ぐらい。


・川口先生を以ってしても、糸川英夫教授は伝説的な存在。

 意外な事に面識すらないのだそうで。

 糸川教授の弟子(おそらく的川教授のこと)に教えを受けただけだそうです。


・小惑星イトカワの命名について

 原則、神様の名前をつけることになっています。しかし、現在27万個も

 小惑星が発見されており、神様の名前では明らかに不足していることから、

 神様の次は死んだ人の名前でよろしく、ということです。

 あくまで原則なので、今となってはなんでもアリ状態。

 小惑星“カワグチ”もあります。(マトガワもある)


・本当は、はやぶさのハイゲインアンテナやソーラーパネルもジンバルなどで

 動かせるようにしたかったのですが、重量制限の結果、いずれも固定式に

 なりました。しかし、イトカワへの2回目のタッチダウンの後、

 燃料漏れによる姿勢喪失時に、いつか自然と揺動がZ軸周りに収束し、

 再び通信が可能になる可能性を残せたのはハイゲインアンテナや

 ソーラーパネルが固定式だったおかげなのです。


・イオンエンジンは全体的に5°ほど傾いて本体に取り付けられています。

 太陽と軌道接線の為す角がだいたい90°であるのに対し、95°の向きに

 取り付けておくと効率がいいのだそうです。


・小惑星イトカワ近傍で、最終的に1cm/s以下の制御を可能にしました。

 この運用と技術の点で、はやぶさの後継機は日本以外には作れないと

 川口先生はきっぱりと仰られました。


・イトカワでタッチダウンした場所の詳細は

 この画像(クリックで拡大)にあるとおり。

Hauyne Blue

 イトカワの自転方向から、画像下が北、上が南です。

 2回目のタッチダウンはターゲットマーカーより北、

 不時着した1回目はバウンドの末、南極付近で

 30分を過ごした(?)ようです。


・2回目のタッチダウン直後、イトカワから上昇すること3時間。

 そこで上昇を止めたのですが、その20分後にはやぶさ上面

 (ハイゲインアンテナの在る面)の化学エンジンから燃料漏れが発生。

 後になって、燃料漏れの原因は電気系統のトラブルらしいことがわかりました。

 化学エンジンの燃料は全て放出されても酸化剤は残っていました。

 酸化剤を噴射できれば姿勢制御に使えたのですが、

 バルブを開けることかなわず、結局使えませんでした。


・川口先生が一番つらかった時期、とふりかえる、

 はやぶさとの通信が途絶えた7週間の話。

Hauyne Blue

 これは既に有名な話で、メンバーの足が遠のく運用室で、

 ポットのお湯を川口先生自ら入れる日々・・・

 しかし、そういうことが大事なんだ、ときっぱり仰っておられました。


・「化学エンジンの燃料であるヒドラジンは無臭だというのですが、

 誰か確かめた人がいるんでしょうかねぇ。ww」

 (ヒドラジンは劇毒)


・平時は温度管理されているため問題ありませんが、燃料漏れにより

 はやぶさ内部の温度は大きく変化しました。その影響を受けて

 はやぶさが送受信する電波の周波数が分からなくなったため、

 はやぶさからの信号受信および送信する電波は、(周波数を

 連続的に変化させる)スウィープを行いました。

 (これはとてつもなく大変な作業)


・はやぶさが見つかったとき、川口先生は海外出張中でした。


・2009年11月、イオンエンジンが寿命を迎え、自動非常停止しました。

 そこで実施されたのが、Aの中和器とBのイオン源のクロス運転なわけですが、

 これには実は非常に大きなリスクがありました。

 この時期、太陽から遠い位置にはやぶさはいて、イオンエンジンの

 2台同時運転は電力不足を招く恐れがあり、結果、ブレーカーが落ちる

 ロックアップが発生した場合、うまくソフト上の電力機器遮断ができなければ

 機能を全損しかねない状態でした。

 公表されていませんが、実はこの時、実際にロックアップは起きてしまいまして、

 幸いにも電力機器遮断機能がうまく働いて、全損を免れることができました。

 はやぶさの電源担当者は、かねてよりロックアップ試験を希望していました。

 ロックアップをさせると、発生電力の限界を知ることが出来るからです。

 しかし、バッテリーが健在の時でさえ、ロックアップは危険であったため、

 今まで見送られてきたのですが、この時奇しくもロックアップが起きたことで、

 この危機的状況の中、電源担当者だけは喜んでいたそうです。

 2台同時運転にはもう一つリスクがあって、キセノンをイオン化するマイクロ波が

 Aのエンジンでは使われず、その結果電力が反射して分配器で熱になります。

 この分配器につかわれている高分子絶縁がこの熱により破壊されると、その

 エンジンは2度と使えなくなってしまいます。

 運転するだけなら辛うじて大丈夫なのですが、ここに太陽光が当たって

 熱が上乗せされるとアウトなので、イオンエンジンに太陽光が当たらないよう、

 細心の姿勢運用が行われました。(角度にして3deg以下)


・最終的な軌道修正、TCM-0からTCM-4までは、実はかなりな綱渡り

 状態でした。

 TCM-0は航法精度に問題があり、見通しが甘かったため予定日より

 1日遅らせて開始、予定より1日早く終了させました。

 TCM-1は推力安定のため、イオンエンジングループからの要請で

 実施途中に一回イオンエンジンを止めています。

 TCM-2は最長の軌道修正でしたが、途中から動作が不安定になり、

 やっとの思いで終了にこぎつけました。

 TCM-3実施はTCM-2での状態から不安に感じたため、事前に

 起動試験を行ったところ、案の定、立ち上げることができませんでした。

 これは立ち上げの手順変更により対処法を確立して事なきを得ました。

 

・下の画像ははやぶさのラストショットですが・・・

Hauyne Blue

 未修正の左の画像と、スミアを修正した右の画像。

 一番下の文に注目。

 「圧倒的に未修正の画像に人気があります.」


・大気圏再突入時、はやぶさは2度、明るい爆発的発光をしていますが、

 それぞれ中に残ったキセノンと酸化剤のタンクが熱で爆発したもの

 だろうとのことです。

 (ちなみに、この時、キセノンはまだ20kgも残っていました。

  20kgといえば、打ち上げ時の搭載量の1/3にもなります。

 たった40kgの推進剤で510kgの重量を60億kmも運んだ“はやぶさ”

                           おそるべし、です)


・回収されたカプセルを見た川口先生はいくつかの点において

 かなり驚かれたようです。

Hauyne Blue

 その一つ、はやぶさ本体とカプセルを繋ぎ、

 ヒーターの電力供給やシーケンスの書き込みを

 行う唯一のケーブルである“アンビリカルケーブル”即ち

 “へその緒”の部分があるのですが、それが大気圏再突入の

 進入方向の反対側にあるとはいえ、カプセルの外側に露出した

 状態で燃え尽きずにきれいな状態で残っていたことです。
 6月13日、地上からの指令でへその緒は切られ、カプセルは

 はやぶさから放出されました。

 その3時間後、カプセル、はやぶさ本体共々大気圏に

 再突入、はやぶさは自らの身が完全に地球の大気に溶け込むまで

 カプセルに寄り添い、カプセルを地上で待つ人々へ託すために

 身を挺して送り届けてくれました。 

 カプセルはその後、ヒートシールドの殻から出てパラシュートを

 展開すると共に、ビーコン信号の産声をあげたのでした。


 「まほろばに 身を挺してや 宙(そら)纏う 産(うぶ)の形見に 未来必ず」


 これも「終(つい)のひとかけ」同様、詠み人知らずの句ですが、どうやら

 これらは川口KMご本人によるものだったようです。

 そして、はやぶさの形見としてのカプセルに誓って、

 必ずや成果を未来に届けたいという気持ちを詠んだのがこの句です。


・この上のカプセルの画像には、アンビリカルケーブルの他に、

 カプトンフィルムで内壁に貼り付けられた、カプセル製作チーム20名の

 名を印刷した名刺大の紙が見えています。

 これを見た川口KMの感想。

 「正直に述べて嫉妬を感じました。

  やってくれるじゃないか。うらやましい。

  手書きだったらただじゃすまない。」

 「手書きだったら~」を補足説明しておきますと、この紙は

 カプセル最終組立を行った2003年3月18日に貼り付けられた

 そうなのですが、その日は誰もが忙しく、そんなことをやっている

 ヒマはなかったはずだ、そういうことらしいです。

 そして、「今日のカプセルの展示でもこの紙は見られるが、

 そんなものは見なくていいです。」と切って捨て、会場は爆笑。


・下は、カプセルの進入経路とカプセルやヒートシールド等の

 発見位置を示している図です。

Hauyne Blue

 これらの発見には最悪数日かかることも想定していましたが、

 翌日には全て発見、回収できるという、驚異的な精度で

 着地させることができました。

 (カプセルに至っては着地の1時間後には発見されていました)

 実は、はやぶさが地球に帰還した日の翌14日、川口先生も

 オーストラリアへカプセル探しに赴くことになっており、

 飛行機のチケットも取り、14日はスーツケースを持って

 出勤(?)したのですが、その場で、「もう行かなくていいぞ」と言われ、

 スーツケースを持ってトボトボと帰宅したそうです。

 (先生は内心、行きたかったのだそうです)


・カプセルの発見時、写真に撮られていたあの状態は、

 ひっくりかえって下(ヒートシールドがあった側)が上になった

 状態で、ビーコン用のアンテナが見えています。

 また、カプセルの近くで一緒に発見されたパラシュートは、

 カプセルが風のあおりで地面を引きずられて破損するのを

 防ぐため、着地直前でカプセルから切り離されたました。

 風がなかったため、カプセルと同じ位置に落ちました。


・はやぶさのお話の最後、川口先生は

 「一番でなくてはならないと思っている」とはっきりと述べ、

 会場から万雷の拍手が起きました。

Hauyne Blue

 それについて、アメリカと日本の宇宙開発への姿勢の

 違いが↑これ↑に記されています。

 川口先生の辛口トークは、会場のみなさんの笑いと

 共感を得ていました。


・はやぶさ2についても少し触れました。

Hauyne Blue

 この上の真ん中の囲みにあるように、今度は母船を

 エントリーさせることなく、地球スウィングバイを以って

 太陽-地球系ラグランジュポイント2で

 係留させたいとのことです。


川口先生によるセミナーが終わり、会場からは再度惜しみない

万雷の拍手が送られました。

(アンコールと言い出すんじゃないかと思うほど長く拍手が続きました)
司会の阪本成一さんから悪い知らせ。

悪い知らせと聞いてすぐピンとくるものがありましたが、予想に違わず、

このセミナー終了時点でカプセル展示の見学は3時間待ちと

阪本さんの口から伝えられました。

これとは別に良い知らせ。

「キャンパスの展示の方は比較的空いています」で会場笑い。


川口先生の退場を拍手で送り、博物館の外へ出ました。

そこで見た光景がこれです。

Hauyne Blue

博物館前の道をはさんで、キャンパス側の歩道へ延びる、

カプセル見学待ちの列。この後ろにさらに・・・

Hauyne Blue

こう続くわけです。

この先にキャンパス入り口があるのですが、列はそこからさらに

キャンパス内にまで延びていました。

キャンパス内は比較的空いていると言われましたが、

それでも例年よりも多く、ところどころで列をなしています。

Hauyneは後ろ髪をひかれつつも、今日の目的は達したので

帰宅しました。



Hauyneの後日談。

特別公開の翌日、Hauyneが勤めている会社に出勤すると、

会社の人から「昨日、はやぶさのカプセル見に行ってなかった?」と

指摘されました。

聞けば、30日のニュース映像で、特別公開の様子を写した中に

Hauyneが映りこんでいたのだそうです。

実は、TVカメラが近くにいたのはHauyneも知っていました。

ただ、確実に生放送ではないし、だとしたら今撮っている映像も

使われる可能性はないだろーなー、と思っていたのですが、

ばっちり使われてしまったようです。

Hauyne自身がクローズアップされるというおまけつきで、

そりゃ、会社の人でもわかってしまうというものです。

会社休んで特別公開に行ってきたことがバレてしまいました。

整理券にもある通り、並んだ列の3番目でしたからねー。

ちなみに、一番早く列に並んだ人は、テレビや新聞の取材を

受けまくっていました。


ちなみにこの人は、ケータイにonちゃんのシールを貼っており、

どうバカであることが推測されます。