ごぶさた。
普段の仕事にあまり余裕なくしばらくブログ更新はしなかった。
ストレス満載だから、もう一つの趣味である歌ばかり歌ってた。
歌ってる時は意外と宝石が空気の中に浮かんでくるから、面白かった。
ダイヤモンドの七色の煌めき、ルビーの甘い愛、サファイアの別れの港、水晶の透明感、スピネルの炎、トパーズの記憶、翡翠の円やかな緑、ムーンストーンの街の灯りなど。
言葉と視覚と音の交錯。人間て面白いね。
さてと。宝石の話に戻ろうか。
6月は仕事で、フランスにいった。年輩の嫌みな同行者が一人いて穏やかではなかったが、何とか旅程をこなし、最終日にはエッフェル塔、凱旋門と一応観光もできた。
しかし、それらの先輩方は早い飛行機だったので、三時間ほど空きができた。
ホテルはルーヴル近くだったので、隙あらば、行こうと思っていたヴァンドーム広場にいってみた。
やや早足で歩いて、鰻の野田岩なんかも見つけながら、化粧品ブランドのゲランの角をまがり、中央に塔みたいなものがみえた。
いざ、広場に入るとその塔を中心に円く取り囲むようになっていた。
思ったより小さいなというのが印象だった。塔自体も外壁が工事中だったし、廻りもそうだった160年も一線級の美観を保つのは、まぁ、こういうこともあるのだろう。
地球が壮絶なエネルギーを使って産み出した宝石でも、日にあたり続けると色が薄れたりするのだから、人間が短期間で作ったもの等はやむを得まい。
右回りで一番目がジャンフランコブッチェラッティ。
やや静かで暗い店の雰囲気だった。
とんでもないド豪華ジュエリーを期待していたのだが、パッと目に届くところには見当たらなかった。
しかし、シルバーの置物などは、何となく手が届くような値段ゆえ、危うく買いそうになった。
何か、予約して狙い撃ちにでもしないと、みせてくれなそうな気がした。
つぎに、ブレゲ。
中国人のコンシェルジュが非常に親切に丁寧に教えてくれた。
当然のことながら、時計の品揃えが豊富だが、ジュエリーも非加熱の明るい色の大粒ルビーのジュエリーが印象的だった。
豪華で派手なジュエリーというならここはぴったり。モナコ大公家御用達とのことだが納得。派手とケバさは全く別の言葉であるとジュエリーに説教された。
数万ユーロから数十万ユーロまで、ポンポンと綺麗にディスプレイされていた。例えが浮かばないのだが、ミュージックフェアという歌番組があったが、その番組にジュエリーが出演して、唄っているようなそんな感覚だった。歌手は誰もいらない。
次は、ショーメ。やはり、中国人と見られる。
しかし、日本人だというと、日本人の女性のコンシェルジュに応対してもらえた。
当方が、それはバカみたいに宝石がすきで、この場所に来たがっていたことが伝わったのか、打ち解けた様子で紹介してもらえた。
しかし、実物のショーメのジュエリーをみていると、画面とは違い、サファイア、ルビーはとても明るい爽やかな色で、逆にアクアマリンなどには落ち着きがあった。遊び心のある愛くるしいデザインと宝石が非常にマッチしている。
一つには、形状、輝度、明度、彩度、色相のコンビネーションが完璧。特にピンクトルマリン、グリーントルマリンの補色使いは素晴らしく、自分の目にある曇りを一刀両断されたかのような清々しさがあった。
ナポレオンやその甥が新しいフランス文化をつくってきた息吹きみたいなものが残っている非常に自然な感じだ。5月に六本木でブシュロンを見たときに感じた1ミクロンのざわめきもない。
聞けば、すぐ裏街で職人がジュエリーをつくっているとのこと。窓からみてみたが、特に誰かみえたわけではない。しかし、職人の手の音、金属の溶ける匂いを感じるような不思議な感覚になった。それでいて特に息苦しくはない。
文化とは生きて呼吸するものだと感じたし、そのハーモニーの中にショーメのジュエリーが存在している気がした。
コンシェルジュには、誇りと孤独を感じた。パリにいく機会があり、ジュエリーを買いたい人は是非会いにいってあげてほしい。
ちなみにショーメの値段はパッとみ、実にお買い得感があった。日本ではやたら、敷居が高くちょっと近寄り難いと思っていたが、そんな心配はいらない。
ショーメを出て、我らがミキモト、ピンクの花に囲まれた入り口のピアジェ、ヴァンクリーフ&アーペル、ブシュロンは中に入る時間もなく通りすぎた。また、次回によるとしよう。
そして、オペラ座まであるき、その傍らにあるカフェに入った。
オペラという名前のケーキのオリジナルがあり、食べてみた。単なるチョコケーキとは全く別物だった。
文化は呼吸する。
百聞は一感にしかず。
一瞬にして永遠のときめきを。
あなたは、わたしは感じたのだろうか。

普段の仕事にあまり余裕なくしばらくブログ更新はしなかった。
ストレス満載だから、もう一つの趣味である歌ばかり歌ってた。
歌ってる時は意外と宝石が空気の中に浮かんでくるから、面白かった。
ダイヤモンドの七色の煌めき、ルビーの甘い愛、サファイアの別れの港、水晶の透明感、スピネルの炎、トパーズの記憶、翡翠の円やかな緑、ムーンストーンの街の灯りなど。
言葉と視覚と音の交錯。人間て面白いね。
さてと。宝石の話に戻ろうか。
6月は仕事で、フランスにいった。年輩の嫌みな同行者が一人いて穏やかではなかったが、何とか旅程をこなし、最終日にはエッフェル塔、凱旋門と一応観光もできた。
しかし、それらの先輩方は早い飛行機だったので、三時間ほど空きができた。
ホテルはルーヴル近くだったので、隙あらば、行こうと思っていたヴァンドーム広場にいってみた。
やや早足で歩いて、鰻の野田岩なんかも見つけながら、化粧品ブランドのゲランの角をまがり、中央に塔みたいなものがみえた。
いざ、広場に入るとその塔を中心に円く取り囲むようになっていた。
思ったより小さいなというのが印象だった。塔自体も外壁が工事中だったし、廻りもそうだった160年も一線級の美観を保つのは、まぁ、こういうこともあるのだろう。
地球が壮絶なエネルギーを使って産み出した宝石でも、日にあたり続けると色が薄れたりするのだから、人間が短期間で作ったもの等はやむを得まい。
右回りで一番目がジャンフランコブッチェラッティ。
やや静かで暗い店の雰囲気だった。
とんでもないド豪華ジュエリーを期待していたのだが、パッと目に届くところには見当たらなかった。
しかし、シルバーの置物などは、何となく手が届くような値段ゆえ、危うく買いそうになった。
何か、予約して狙い撃ちにでもしないと、みせてくれなそうな気がした。
つぎに、ブレゲ。
中国人のコンシェルジュが非常に親切に丁寧に教えてくれた。
当然のことながら、時計の品揃えが豊富だが、ジュエリーも非加熱の明るい色の大粒ルビーのジュエリーが印象的だった。
豪華で派手なジュエリーというならここはぴったり。モナコ大公家御用達とのことだが納得。派手とケバさは全く別の言葉であるとジュエリーに説教された。
数万ユーロから数十万ユーロまで、ポンポンと綺麗にディスプレイされていた。例えが浮かばないのだが、ミュージックフェアという歌番組があったが、その番組にジュエリーが出演して、唄っているようなそんな感覚だった。歌手は誰もいらない。
次は、ショーメ。やはり、中国人と見られる。
しかし、日本人だというと、日本人の女性のコンシェルジュに応対してもらえた。
当方が、それはバカみたいに宝石がすきで、この場所に来たがっていたことが伝わったのか、打ち解けた様子で紹介してもらえた。
しかし、実物のショーメのジュエリーをみていると、画面とは違い、サファイア、ルビーはとても明るい爽やかな色で、逆にアクアマリンなどには落ち着きがあった。遊び心のある愛くるしいデザインと宝石が非常にマッチしている。
一つには、形状、輝度、明度、彩度、色相のコンビネーションが完璧。特にピンクトルマリン、グリーントルマリンの補色使いは素晴らしく、自分の目にある曇りを一刀両断されたかのような清々しさがあった。
ナポレオンやその甥が新しいフランス文化をつくってきた息吹きみたいなものが残っている非常に自然な感じだ。5月に六本木でブシュロンを見たときに感じた1ミクロンのざわめきもない。
聞けば、すぐ裏街で職人がジュエリーをつくっているとのこと。窓からみてみたが、特に誰かみえたわけではない。しかし、職人の手の音、金属の溶ける匂いを感じるような不思議な感覚になった。それでいて特に息苦しくはない。
文化とは生きて呼吸するものだと感じたし、そのハーモニーの中にショーメのジュエリーが存在している気がした。
コンシェルジュには、誇りと孤独を感じた。パリにいく機会があり、ジュエリーを買いたい人は是非会いにいってあげてほしい。
ちなみにショーメの値段はパッとみ、実にお買い得感があった。日本ではやたら、敷居が高くちょっと近寄り難いと思っていたが、そんな心配はいらない。
ショーメを出て、我らがミキモト、ピンクの花に囲まれた入り口のピアジェ、ヴァンクリーフ&アーペル、ブシュロンは中に入る時間もなく通りすぎた。また、次回によるとしよう。
そして、オペラ座まであるき、その傍らにあるカフェに入った。
オペラという名前のケーキのオリジナルがあり、食べてみた。単なるチョコケーキとは全く別物だった。
文化は呼吸する。
百聞は一感にしかず。
一瞬にして永遠のときめきを。
あなたは、わたしは感じたのだろうか。









