前の記事で叔父と甥と甚平、と言う記事を書いた 。今回は祖父、つまりとーさんのことだけれど孫のすばるからすれば祖父、すなわちじーちゃんだけれど、そのじーちゃんが昔着た浴衣もひょっこり出てきた。
先日子供達の昔の品々を押し入れからから出して片付けていて見つけたものだ。こんなところに仕舞っていたのか、と片付けはするものだ、と思った次第だ。
実はすばるに長男の浴衣をリメイクして甚平にした際に、そういえばとーさんの浴衣もあったからそれも使おうと思って探したけれど見つからなかったのだ。浴衣の存在は覚えていたけれど、どこにやったかは忘れていた。
こんなところに、と嬉しくなる。たしか私の母が 私が結婚して間もない頃に、自分で縫ったわけではないけれど私ととーさんの浴衣を新調してくれたのだった。
私は何度か袖を通したけれど、とーさんは一度くらいしか着ている記憶がない。なのでまだ綺麗で、これも40年くらい前のものなのに、それほど古びてはいなくて来年以降のすばるの甚平や浴衣にちょうどいい、と当時のとーさんとの浴衣の思い出に浸ることもなく(一度くらいしか着てはいないし)すばるの顔が浮かぶばかりだ😁
大人のものだから地味な柄だけれど、今のいかにも子供用の柄やキャラクター柄のものより幼いすばるが甚平で着ていたら逆に可愛さが引き立つのでは、と思う。次女も来年は今年より少し大人っぽい甚平が着れるんだ、と喜んでくれた。
仕事が休みの今日は一日中雨だったのでとーさんの浴衣を解く作業をした。面倒な作業ではあるけれど、無心でするこんな作業が私は好きだ。
もっとも無心とばかりではなく無意識に頭の中では様々なことも思い巡る。今朝ネットの記事で、日本一短い手紙コンクールの第31回授賞式が行われたことを知った。俳句の夏井先生やパックンが賞状を手渡したようで、夏井先生の今回ほどもらい泣きしたことはなかった、と言うコメントに受賞作品を検索してみると大賞の5作品を見ることができた。34067通の手紙から選ばれた5通の手紙を。お題は 時 だった。
その中で私が心に染みたのが二作品だった。
10歳の子の作品
ママがぼくを産んだしゅんかんに ぼくの時がはじまった
そして75歳の女性の作品
今日、一歩あるいたことひみつね。 その瞬間だけはママにあげたいもの
夏井先生がもらい泣きした、と言う作品ではないと思うけれど私はこの2作品に涙した。
75歳のおばあちゃん、孫が初めて一歩あるいた場面に居合わせたのだろう。でもこの初めてはママにあげたい、なんて心優しいのだろう。私なら、やった~すばるの初めての一歩を見れた~と自慢するな、と思った😓 このおばあちゃんの足元にも及ばない。爪の垢を煎じて飲みたい。パックンが手紙と人柄がマッチしていた、と言っていたけれど、ほんとにそうだろうな、思う。素敵な女性でおばあちゃんだ。
こんな心優しいおばあちゃんががいる環境で育つと、最初の作品、ママがぼくのことを~ のような手紙を書ける子供になるのだろうな、と思う。奇しくもまるで他人同士の作品が私の中で繋がった。
私はダメダメばーちゃんだなぁ、とそんなダメダメも解けてしまえ 、とひたすら浴衣を解く。解いていると袖の部分の内側の角に綿ぼこりがたまっていた。洗濯をして仕舞っていたけれどそんな角までは洗いきれてなかったかな、とつまみ出すと、煙草のかすも混じっていた。匂いがかすかに煙草だった。40年も経っているのに。
袖の中に煙草を入れていたんだな、と若い頃からヘビースモーカーだったな、と、これがもしとーさんが今死んでいたらしんみりと煙草の微かな匂いにとーさんを感じて懐かしむのだろうけれど、元気に生きているのでそんな感慨にふけることもなくしょうがないなぁ、と解きすすめる。やはり心優しい奥さんでもばーちゃんでもない私だ。それでもかつては若かったのだ、私もとーさんも。
1歳になる少し前の長女だ。今はこんな孫がいるじーちゃんばーちゃんだけれど。正確には高校生の孫すらいる💦
それ以降はすばるも好みがでてきて、その頃流行っているキャラクターなんかの物がいい、と言い始めるだろう。だからもう1年くらいばーちゃんを楽しませてね。