謎が解けた日 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

先日出勤してタイムカードを押していると施設長が何やら机の上で謎なことをしていた。机の上いっぱいに半紙を広げ、その上には何かのせられている。



こんな具合に。なんだこれは!?


よくよく見せてもらうと煮干し、塩、米が用意されていた。

 何をされているんですか?と尋ねると、そこの御崎宮にお供えするのを用意しているのよ、と言われる。そこの御崎宮!?どこにそんなお宮が?と言うと、ほら、そこにある祠!だと。

あぁ、祠が確かにあるけれど、いったいどういう祠なのか誰も知らなかった。




利用者さんの部屋の窓からも見える位置に佇まれている。

最初は身寄りのない利用者さんのお墓なのか、と思ってみたりもしたけれど、毎日ちゃんと榊が供えられているし、いったい誰がお祀りしているのかもわからなかった。

そしてその日初めて代々施設長が受け継いでお祀りしていることを知った。そして年の始めには園長始め上の人達が集まり般若心経をあげているのだそうだ。 

今まで私の中で謎だった祠は、かつてこの施設を建てた時に、このあたりは古墳もあったようで、施設を建てさせて下さい、と言うことで、祠をお祀りし、何十年と引き継がれ祀られてきたのだった。

この施設で働くようになっておよそ20年になるけれど全く知らなかった。と言うか職員には特に知らされてはいなくて誰も知る人はいなかった。上の人達だけで引き継がれてきたことだった。

その日は月に一度なのか、特別な日だったのかわからないけれど、お供えをする準備をされていたのだった。

この施設は、その昔に一人の中学校の教師が中学校を卒業した後に行き場のない知的障害のある子供達のための居場所を作ろうと立ち上がり、保護者の方達と力を合わせて作った最初は粗末な小さい施設だったそうだ。その中学校の教師が初代園長で立派な方だったのだと思う。

私が勤務するようになった時は初代園長は亡くなられていて実際にお会いできなかったのが残念で仕方ない。その頃はまだ古い建物が残っていたけれど、今は社会福祉法人になり建物も立派になり、県北では一番大きな施設になった。職員だけで100人はいると思う。

そんな風に様変わりをしてしても、原点と言うか、この施設を建てようとした時に、この地に建てさせて下さい、そしてこの施設を利用する者達を生涯お守り下さい、と言う願いのもとにお祀りした祠が引き継がれてきたことに感動した。

何気なく目にしていた祠なのに何も知らなかったけれど、知ってしまった、と言うか知らされたからには目にした時には心の中でご挨拶しようと思う。ここで働かせて頂いてありがとうございます、と言う思いを持ち忘れないためにも。

その日はやはり特別なお祀りの日だったのか、私が帰る頃に見ると、周りの草が刈られており、朝に施設長が用意していた煮干しと米と塩が半紙に包まれ供えられていた。




風で飛んだものがある。

仕事中は仕事に集中しているので、誰が草を刈ったのか、施設長は女性なので男性職員がいつの間にか刈ったのかもしれないけれど、今まで自分達が利用者さんのために仕事をしていると思っていたけれど、その場をこうして与えられていたからこそだし、 利用者さんも職員も無事に過ごせるように祀り続けていたひとが人知れずいた職場だったのだと知ることができて心からよかったと思う。私も知ったからには祠を目にした時には心の中でご挨拶して感謝しつつ仕事をしたいものだと思う。

私もそう長くは働けないと思うけれど退職前に知ってほんとによかった。