繕う人 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

今日出勤すると、先日繕ったばかりの利用者さんの服がすでにまた破られて穴があいており、がっくりする。

職場である知的障害者の施設にはさまざまな個性の利用者さんがいるけれど、服を口で破るのが趣味?で新しい服も一日たりとも破られずに済むことはない、と言う人がいる。他の利用者さんなら服が破れたり古びてくれば買い替えるけれど、その人に関してはきりがないので多少の破れならそのままで、あとは繕ったりしながら日々をしのいでいる。

このことは9月にも記事にしているけれど、あれからも毎日毎日私は彼女の破る服を繕ってきて、最近は腕が上がって?デザインや色柄にも工夫を凝らすようになってきた。それでも繕った服を一日くらいで破られるのは辛い。


大きくあいた穴を別の布を当て布にしてアップリケのように貼り付けていたのだけれど、すでにそれにもこんな穴があけられていた😥

石川啄木がこんな短歌を詠んでいたっけ。働けど働けどなお我が暮らし楽にならざる。じっと手を見る。だったかな!?

繕えど繕えど我が努力報われることなき。じっと手を見る。みたいな心境になる😑。

けれど負けずに、ならばこれならどうよ!とさらに当て布を重ねて繕う。ちょっと中にミッキーの顔なんか覗かせて。





こんな感じね!

同じ当て布でこちらも。



で、こんなことをしているといつの間にかちょっと楽しくなっていたりする。どの当て布がいいかな、などまるで趣味の手芸かのよう🙁

もちろん手の空いた時の趣味、いや作業だし、外出の時にはこんな服ではなく破れのない服を着てもらっているのだけれど。ただ帰ってきた時にはすでに破れている。ハサミはなくとも歯があるのでどこででも破ることは可能。主に右の腕の付け根あたりに。口が届く位置なので。

その度に修復不可能になるまで繕う。私も技を磨いてかなり捨てずにがんばる。

この間など穴が大きすぎて袖がちぎれそうにまでなっていてもう当て布で塞ぐことは不可能!そこで私は考える。負けないさ!

ちぎれかけた袖の画像は撮ってないのだけれど、いっそのことスパッと切る。で、破るのは片方だけなので、別の修復不能な服の破れていない方の袖を切って繋ぎ合わせた。


こんな感じ。


自分で天才かと思った。器用ではないから雑なんだけれど、どうせ一日か二日で引きちぎられるからよしとする。これで引きちぎられたらベストにする。

こうなるとどんどん楽しさが増してきていたりする。そんな時はある歌が頭の中に聞こえてくる。ZARDの負けないで!が。働けど働けど、繕えど繕えど、よりはかなりテンションも上がり気味!

負けないわ、もう少し、最後まで仕上げるわ🎶
どんなに破られても針と糸は側にあるわ🎶何度でもやり抜くわ〜🎶

こんな替歌を口ずさみながら繕い物をする私は健気だと思う。

ちなみに服を脱ぐ、と言う趣味の人もいる。着せては脱ぎ着せては脱ぐの繰り返し。やっぱり負けないわ、何度でも、脱ぐたびに着せるわ〜🎶みたいな🙁

私達の日常は日々繰り返し。そしてそんな中、時には楽しめるイベントを考えて日常に変化をつける。

職員にも得意な分野というのがあって、私は繕い物は好きだけれど、今日若い工作好きな職員がこんなものを作っていた。


ダンボールの鳥居!施設らしく、紙パンツのダンボールだったりするけれど、今から赤い紙を貼り付けてさらに鳥居らしくすると頑張っていた。

初詣にも行けないし、せめて気分だけでも、と施設の中に鳥居を作り、職員で屋台も出す計画だ。

コロナにも負けず、服を破る人にも脱ぐ人にも負けず丈夫な心と体を持ち、今年もがんばる人に私はなりたい!と最後は宮沢賢治さんで〆😆