引き寄せのサイクル | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

先週、やまとのバースデーの翌日の読売新聞の日曜便というコーナーに、やまとと同じ病気、脊髄性筋萎縮症の八歳の子が、新薬投与で改善した、という記事が載っていて、友人がわざわざ切り抜いて送ってくれた。

その八歳の子は、やまとほど重度ではないタイプだけれど、明らかに改善が見られている、ということはやまとへの大きな希望になる。

今は新薬もだし、ゲノム医療、という遺伝子からの治療も進んできていて、昔からすれば夢のようなことだ。切り抜きに出ていた子のようにすでに新薬治療をしている子も多くなったようだ。

以前は乳幼児でないと効果がない、とか、新薬も一千万円くらい高価だったりとかだったのが、普通に治療ができるようにまでなってきたのはめざましいことだ。一番心配されていた副作用も一件の報告も聞かれていない。

そして、この記事が新聞に掲載されたのが、やまとのバースデーの翌日だった、と言うのが私には深いメッセージに思えた。次はやまとの番だよ、みたいな( ´∀`)やまとへのバースデープレゼントのように。

新薬や、遺伝子治療など、やまとが産まれた頃は夢のまた夢でしかなかった。先生方も研究はされているけれど、まだまだ遠い先のことだし、期待はできない、と言われていた。

そして12年たった今は実際に投与されるまでになった。個人差もあるし、劇的に完治、などとはまだいかなくても、今より少しでも改善が見られるなら夢のようだ。

昨日もうたを預り送って行った時に、長女に話して切り抜きを見せた。今まで長女達は新薬に関して慎重で何より副作用を恐れていた。副作用があるくらいなら、今のままでいい、とあえて積極的ではなかったから、私も一切口にしたことはなかった。

でも今回はなんとなく、ずいぶん治療もすすんできたね、と切り抜きを見せた。そうしたらなんとやまとも7月から投与を始めるのだと言う(゜ロ゜;ノ)ノちょうど知らせようと思っていたらしい。

効果も何も見えない状態だから、まだ不安で大喜びで私達に知らせる、という段階ではなかったようだ。

私もそれほど大きな期待はしていないし、今より病気が進まないなら、今のままでいいけれど、ほんの少しの改善でも見られるならこんなに嬉しいことはない。

このところ私の記事に、50年で引き寄せたお雛様や、30年で引き寄せた梅の甘煮など、気の遠くなる引き寄せのことを書いてきたけれど、やまとが産まれて12年。新薬を12年で引き寄せた!?(σ≧▽≦)σ

少しずつ引き寄せのサイクルが短くなっている(  ̄▽ ̄)そして、一旦引き寄せが始まると、どんどん早まっていっている。

お雛様もお願いすれば、1ヶ月しない間に仕上げて下さったし、梅の甘煮は、梅の季節なら今日でもすぐ作って目の前に現れる。

やまとの12年、長いような短いような。それでも親達が必死で大事に育ててきて、私達もできる限り手伝ってきた。そして、いつ消えても不思議ではないような命を繋げてきてほんとによかった、と思う。乳幼児の頃にたいていは命を失う、と伝えられてきたけれど、生き抜いてきてよかった。もし、新薬の効果が見られなくても、ちゃんと今のままやまとが生きていたならそれで充分だ(  ̄▽ ̄)

でも、予感がする。引き寄せはじわじわと、それでも確実にやってきていると。実は引き寄せと言う言い方は私は好きではない。何だったか忘れたけれど、どこかで見て心に止まったフレーズがある。

神の近づく足音はゆっくりだけれど、それは決して揺るがない。

このフレーズがなんと私の心にぴったり添うことか。小手先の引き寄せという技を越えた力強さを感じる。

神様はずいぶんとゆっくりだったけれど、確実に近くなっているような(  ̄▽ ̄)後のことは、神様におまかせしよう(  ̄▽ ̄)



やまとのバースデーの日。


うたとお揃いでいぇ~い(σ≧▽≦)σ