草木を愛し、水を大切にされる。
すべての命に優しい気持ちの人たちと。



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主治医に、想ってることは、言葉にしないと。
相手には伝わらない。
そう言われてから、言葉にするようになり。

そんな話しの最中、あれって想うことが。
度々あり。

「そこまで考える?」
「えっ、そんなことまで?」

あれっ?
私の中では、そこからが話しの大事なとこなんだけどなぁ。。。
そう言われてしまえば、もう話せない。

他の人は、考えないのだろうか?
疑問に想うが、あまりに相手がびっくりするので。
聞くのがはばかれる。

主治医に、私はどうも他の人と。
発想?感覚?考え方?
が違うようです、その事を最近理解しました。
そう話しました。

それに対して、天気の話でもしたら無難じゃないかと。
そこでも私は、天気の話ですら、私は違う方向へいく。
笑いながら伝えました。
だけど、それでいいと伝えました。
それが、私なのだと、自覚できたので。
人に話して人と違う自分を知れたことが。
よかったと感じたことを、そのまま伝えました。

何をもって普通とゆうのか。
普通の基準とは?
世の常識とは?
考えれば考えるほど、私の中では、わからなくなる。

だから、考えるのをやめた。
この世とは、私には、生きづらいのではなく。
生きにくいのだと、理解できたので。
それで充分なのだと。

他者を否定することは、自分の考えだけが正しい。
そうなってしまう恐れもある。
それは、あれほど嫌っていた。
母親と同じ思考に陥るだけだ。
何度となく他者に対する攻撃的な姿勢、言動。
自分だけが、自分の考えだけが正しい。
そうして周りから人を排除するやり方。

母親と同じになりたくないと言いつつ。
私自身がしていたのだから。

何十年としみついた、他者を否定する思考。
他者の言葉を、自分で都合よく解釈してしまう。(私を陥れようとしている)
そして、排除していく。
それをなおしたいと、主治医に相談しながら、変えていくことの難しさ。

最初は、何度か主治医の言葉にすらイラつき。
何年もかけて、ほんとに最近。
少しずつ、わかってくるようになって。
謝ることもできるようになり。
少しずつ、人間関係も、穏やかに過ごせるようになった。

まあ、今だに、人の好き嫌いは激しいが。
面と向かってケンカはしない(笑)

普通って、何かよくわからないけど。
私は、普通じゃなくて。
心から、よかったと想えるまでにはなれた。

ネット小説に、はまり。
昼夜逆転している私ですが。
食事にだけは、気をつけていること。

主治医からは、何もかも一気に改善することは無理。
食事を気をつけられているのなら。
昼夜逆転は、次の課題にしといたらと。
軽く言われたので。

もうしばらく、小説の世界観にひたります。



ケースワーカーに。
のちに、教えてもらった。
私が、入院にいたるまでに、1ヶ月かかったことを。
とても、大変だったと、苦笑いしながらも。
何かある前に入院できて、よかったと。
ほっとしたように、話してくれた。

退院後、何度も不安定になり。
泣きそうな気分に。
ケースワーカーに、何度も電話したのを。
覚えてる。
「どうしたらいいのか、わからない」
毎回、声と状況から判断してくれて。
的確に、アドバイスをくれ。
時には、すぐ診察に来るようにと。
診察の予約を入れてくれる。
電話ですみそうだと判断した時は。
丁寧に言葉を選んで話してくれたように想う。

以前と同じ、入院した季節になると。
さらに不安定になる。
どうしよもない恐怖と不安がおしせてくる。

その度に。
「大丈夫」
と言ってくれるケースワーカー。

入院の季節になっても、恐怖と不安がでなく。
落ち着いてきた頃。

そのケースワーカーも。
よそで経験積んでくると、退職の話しを耳にする。

あ〜私は、恵まれていた。
改めてそう想った。
すでに病識のなくなっている私を。
入院させるのは、手こずったことだろう。

入院中、私自身が落ち着いて。
ケースワーカーを、ケースワーカーとして。
認識できるようになった時に。
一度、あの時は、ごめんねと、あやまれば。

何もなくてよかった。
そう言ってくれたように想う

すごく頼りにしていた、ケースワーカーの退職。
すごく淋しくなり。
何か私に書いてと、ねだったら。

「自分らしく、ペースを崩さず
今のままで頑張って下さい」

あのメモ、今も大切にもっています。

あの入院で、お世話になった人達が。
自分自身の成長の為、旅立っていく。

ケースワーカーとして、さらなる経験を積まれ。
あの時以上の、素晴らしいケースワーカーになること。
私は、確信しています。
電話の声だけで、状況を把握してくれた。
いつの日か、どこかで出会えたなら。
手を振って笑顔で声かけます。

どうかこれからの人生に、あなたにたくさんの。
祝福が降りそそぎますように。












お元気ですか?
夜空に浮かぶ月をみるたび。
ふと想い出します。

全ての科を観れる看護師になりたいと。
精神科を退職し、総合病院に行くと聞いた時は。
とても悲しくなったのを、覚えています。
だけど、その決意を聞けば、あなたらしいと想ったのも事実。

コロナ禍の今、何科にいるのでしょうか?

入院中、偶然、友達と一緒にいる私を見た、あなたが。
まともな友達がいて安心したと、笑って言ったのを、嬉しく想いました。
唯一のかけがえのない友達でしたから。

人をみる目を養いなさい。
時に疑うことを覚えなさい。
人との距離感が、めちゃくちゃな私に対して、怒るでもなく。
ただ、しっかり目を合わせて話すあなたの言葉ひとつひとつが。
私の糧になったのは、あなたの言葉が、嘘偽りのない言葉だと。
私自身が、受け止められたからです。

人との距離感は、今だ、勉強中です。
失敗の繰り返しです。
精神科で、友達を作るなと言われながら、深みにはまり、何度となく、仲良くなってしまう。
その度に、痛い目をみるのは私(笑)

あ〜また、気を許してしまった、共感しすぎた、わかっていても、なかなか難しかった。

閉鎖病棟での、あなたの言葉、全てを覚えているわけじゃない。
暴言を吐き続けたであろう入院当初を、綺麗さっぱり覚えていない、私に。
気にする事ではないと、キッパリ言う。
偽りのない、真っ直ぐな目は、忘れられません。

していいこと、してはいけないこと。
あなたは、母のように、いきなり感情的に手を上げる事も、ののしることをしない。
私に、わかるように、ひとつひとつ説明するあなたの姿に、叱るとゆう言葉が、当てはまるように、想いました。

いつか、また精神科で働きたい。
そう言っていた、あなたを。
今の病院で、みることが、叶えば。
きっと嬉しくて、私は笑顔でかけ寄ることでしょう。

解離後、日常生活すらまともにおくれなくなり。
解離による身体の不調は、普通に歩くことすら、困難でした。
退院してからの自宅療養。
その困難な身体を主治医や訪問看護師さんと相談しながらのリハビリ。午前中、身体を起こすことから始め、1時間2時間と、起きる時間を増やし。
できるようになれば、洗い物を片付ける、掃除機をかける。
できる事を少しずつ増やしていく。その日々は、ただただ、しんどくて、泣きそうになる毎日でした。

解離と、3ヶ月の入院による。
下肢筋力の低下は、すんなり回復することはなく。
しかも、食物アレルギーは、これでもかとゆうくらい、増え。
耐え難い日々のはじまりでした。

いつかまた会える時が、くるでしょうか?
私は、あなたが、自信を持って、精神科に戻ってくる日が、楽しみでたまりません。

精神科で、担当看護師として私を、導いてくださったこと。
外泊から帰ってきて、ほっとしてる私に、ここに慣れたら、ダメ。
強い口調で言っていた、あなたの言葉の、本当の意味。
外に出ることに怯えてしまえば、何度も帰ってきたくなることでしょう。
それは、繰り返し入院する事になってしまう。

たとえ、閉鎖病棟での暮らしが周りの恐怖から守ってくれる場所であっても。
社会にでれば、厳しい現実がある。
その事も、自覚できるようになりました。

まだまだ私のとりまく世界は、小さいものです。

いつ?
それは、わからないけど、少しずつ、私をとりまく世界を、広げていくことができるよう。

精一杯、生きていきます。

心からの感謝と。
あなたのこれからの人生に、たくさんの祝福がありますように。