しっちゃかめっちゃか論 行き過ぎが多すぎる。
何か知らんけど行き過ぎやり過ぎが多すぎるような。って自分もなんだけど‥。考えてみれば体が確認してる様な‥。これでは満足しないってね。占いだってそうなんです。折角良いとされる『気』を取ってるのに、まだ思ってた効果が現れず次から次へと良い『気』をと‥。効果が現れるのは人によっては早くて7日後とか遅くては九か月後とか自分の『気』がその願いと同じ象意の位置に移動した時とかも、また暗明の作用を受ける位置に来た時も良い『気』として作用する事もあります。古い気学の本にも書いてありました。良い『気』を取れば、その持続は何年も続くという。ある本では年の効果は六十年ほど続くとかというとすぐ安心する方がおりますが‥。人は現実で判断する。マイナスよりプラスの状態に変換し考えてしまう傾向にあります。その本では特別な目的等、ごく普通の買い物的な行動ではその『気』は吸収しにくいという事で、私が日頃鑑定で言ってる意識して取るようにとの意味を示しております。但しこの様にしなければ、効果に結びつかないとか説明はあるが、細かさを省いてしまってるのがたまにきず。気学に於いては古いも新しいもない。内容は象意以外は変わりはない。例えば木気の通信だが携帯などもない昔は狼煙から手紙、電話、パソコン等。それを省けば、内容量からして古い気学書の方が細かい所まで書かれているかも知れない。すまんまた内容が逸れた。行き過ぎの説明ですよね。細かく書いてあるのが行き過ぎ? ではないんです。ハッキリとした説明も中には必要な事もあるのですが、人によっては細かすぎて面倒に思う事があるようです。しかしながらジンクスやルーティーン等一度拘ると細かい所まで気になってしまうのでは?これをしないと気持ち悪くなるような。そう体が現実を見ないと我慢できないのである。科学が進んでる時代には、スイッチを押せばすぐ作動する様な感覚だろうか。計画し、行動し成果を確認する。人は何でも現実で判断してしまう。特に占いの世界では明確に成果の度合いは分かるのだが時間(期間含む)が伴うのが常である。しかも本人の行動によるものが全てといっても過言ではない。その本人が気学をあまり知らないとその『気』が来る前に次々と別な『気』を求めたがるという現象がある為、結局は、良い『気』と良い『気』が交じり合ってプラスからマイナスへ又はプラマイゼロの状態を作ってしまったりする傾向もあるのです。気学を知ったら、その流れや性質、その関係性に基づいた拘りをしたいものです。それは木気←→火気←→土気←→金気←→水気←→木気の流れからのその関係性。人を交えれば木気=三碧・四緑火気=九紫。火気=九紫。土気=二黒・五黄・八白。金気=六白・七赤。水気=一白。の中の『気』を常に考えて行動を意識して欲しいのです。自然の『気』は確実に動いています。良い『気』を取ればそれなりの作用はお起きるのです。ただ動く『気』と作用が起こる時期には誤差が生じます。常に動く『気』を意識しながら行動を心がけて欲しい今日この頃である。というと面倒くさいとすぐ思ってしまうでしょうがそれが習慣になれば逆にこれをしないと気持ち悪くなるという事になるはずです。鑑定からしばらく外れると、この時期は縁起が悪いからとかこの日は予定がないからだとか別の理由が邪魔をしている事があるのです。この日は縁起が良くない日だから‥ とそういう意味ではないのです。それこそ余計な、考えすぎな、行きすぎな行動と一緒かも知れませんね。前回でも取り上げましたか六曜等の吉日はただの基準と思った方が良いでしょう。人は基準というものを決めたがるものです。そんなこと言うとやれ夢がなくなるとか。一粒万倍日等は、ある学者が気候から作物のなんちゃらを割り出したとされますが、実際にはそれを待つだけではとこんな事を言うとまた夢がつぶれるとか生きる張り合いが無くなるとか。それを自分のものにするのが‥ ってだったらどうする。とかでもない。縁起のいい日は利用するのではなくその様にするという心意気で行きましょう。『気』は拘れば拘る程、その動きが見えてくる。その内、その行動も億劫ではなくなり、逆に楽しくなるはずである。その内自然と邪気からも遠のく生活を送れる事になるのです。拘りは自然の『気』の流れに沿った行動に拘りを持った方が得かも知れませんね。千山子恵Ⓡ汽車ポッポレインボーくまりん。