高校時代の友人3人で会うのは、本当に久し振りでした。
その中のひとりの友人のお母さんが入院したので、お見舞いに行くことにしました。
3時に現地集合と決め、集まった時点で同級会が始まりました。
静まり返った午後の病院内で、私たちの声は賑やかな笑い声となり、時々場所のことも考えて一瞬は静かになるものの、またうるさくなり・・・
を、繰り返しました。
肝心の友人のお母さんはキョトンとして、賑やかな私たちを見回しあっけにとられていました。
幸い友人のお母さんは、手術後も良好のようで顔色も良く、高校時代よく彼女の家に泊まりに行ってお世話になったことを、懐かしく思い出しました。
私たちも歳を取りましたが、親はそれ以上に歳を取っているんだ、ということをこの頃思い知らされます。
帰り際もうひとりの友人が、ナースステーションのちょうど前の特別室を指差し、
「ここが母の最期の場所だった・・・」
と、呟きました。
そう、この友人は両親共に旅立っていました。
散々親に迷惑をかけながら生きてきた私たちも、親のことを頭から離れないくらい、心配しなければいけなくなるなんて・・・
あの頃は、親が歳を取って、ましてや何でも出来たことが出来なくなるなんて、考えもしないことでした。
そして私は、本当に最近まで母にお小遣いを貰っていました。
この歳になっても、母からしてみればまだまだ子ども・・・
であるはずでした。
今となっては、認知症の症状が進んだ母が、どれだけのことを理解しているのか、見当もつきません。
ただ母の終の住み処が、自宅では無理とわかった時に、本当に母のことを考えたうえでの「場所」を提供すること・・・
それが、娘である私と妹の、せめてもの役目ではないだろうか・・・