森ビヨ メモがわりに。 ※ネタバレになります注意 | もず

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Enjoy精神を忘れない。

思考のメモです。
スマホのメモがいっぱいいっぱい過ぎて整理つかないので纏めやすいこっちに。
自分のために書いとくので箇条書きみたいになっててめっちゃ滅裂でアバウトです。
そして考察という名の願望です。
考えたことを後日も、後から後から書き足してまとめています。これからも更新するかも。
いちおう要注意。



◎ヒマリを受け入れる

森ビヨ千秋楽、
最後に24人皆で「永遠になればいいな」を歌ったのは、物語における22人(ヒマりか除くビヨメン+部員達)によるヒマリと島倉さんへの答えとも受け止められると思ったので記しておく。自分の中で留めておきたい。


結局、決断の場面ではヒカルが手を取る描写がハッキリ描かれる訳では無い。
ひとつ考えたのは、ヒカルはどちらの手も取ったという結末。

最後の最後、夢に皆が出てきて、その中にはお姫様のヒマリもいて、ラストはこれを歌う。

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あのさ 今日 夢を見たんだ

そこでは みんな 笑ってた

軽やかに 歌い出すんだ


メロディーが 心から溢れる

魂が リズミカルに 震えて


みんなの 声が揃えば

目の前に 歓喜の花が咲く

悲しみの 月は歌声で 消えて

夢の中で続く


みんなの 声が揃えば

目の前に 歓喜の花が咲く

悲しみの 月は歌声で 消えて

夢の中で続く


どこまでも

夢の中で続く

どこまでも

夢の中で続く

どこまでも

夢の中で続く

どこまでも

夢の中で続く


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皆、笑顔で歌ってる。ヒカルもだ。みんなと顔を見合わせながら、幸せそう。

ヒカルは毎日、夜になれば夢で皆に逢う。


どちらも選択したんだ。誰も傷付いてないんだと、そういう捉え方も、いいんじゃないかなと思った。

そしてヒカルがそれを選択したからこそ、夢の中の部員の皆も、ヒマリを受け入れてくれる。


ヒマリ「私もその夢に 〜〜 …なんかごめん…」

ヒカル「んーん。なんで謝るの」


皆で歌うと、悲しみも消える。




◎シーンとライティングの関係


夢の中で、不穏な描写、メタ的(現実との境)な描写の時は、決まって暗い紫色の証明が使われてた。あれはヒカルにとっての夜(悲しみの月)の色なのかなと思う。


思い出のシーンはオレンジ色。

部員達とのシーンはほぼこれ。

たぶん、実際の時間帯的にも部活なら夕方だろうからそこも相まってるかも?


ヒマリといる時も、脚本書いてる時なんかはオレンジ。ズーン、ズーンと音が鳴る時は暗い紫。

あとは朝の描写などでは無色のところもあったり、模様になる時も。


印象的だったのはヒマリの存在がどういうものか分かったときの、暗い紫が優しい青っぽい色になるところ。


最後にヒカルが「夜になれば 星は輝き」と歌うシーンの色と似ている。マジックアワーのような綺麗な青とほんのちょっとの紫。


ツムギがヒマリを動けなくするシーンなんかも、暗い紫。ヒカルの意志とは関係のない、「願い」達による独立したシーンはこの色なのかもしれない。

互いは互いを止めつつも、結果的に答え(ヒカルの決断)を磨き上げていく。





◎部員達側(願い 夢 残留思念 ヒカルの心の幻肢痛 潜在意識)を考える場合、観賞者は幸せな思い出の追体験をすることになる。つまり、何も考えずとも感情、感覚で受け止められる。とにかく楽しくて幸せて儚い。


ツムギ「真実の話がしたい訳じゃないんだ僕達は!!」

この言葉が全てを物語っている……。理屈じゃない。


大変だけどそのぶん楽しくて、嬉しくて、尊くて…。脚本の構成上、これをヒカルと、みんなと一緒に味わうことになる。ただただ、あの幸せな時間を全身に浴びる。だからこそ、感覚的に捉えているだけでも、事実がとにかく辛くのしかかる。


夢ヒマリの存在が「願い」なら、

ツムギ達の存在も、生前の彼らが漠然と持っていた「(この楽しさ幸せが)永遠になれば良いな」というある種の願いが、ヒカルの潜在意識となっている可能性はある。

だから夢ヒマリのように自我(それすらもヒカルの潜在意識とも捉えられるかも)がある。


※もちろん、こちら側だって論理的に考えることはできる。だが物語の構成上、要素として感覚に比重が寄っているので。






◎ヒマリ側(現実と夢の中の願い)を考える時は、

説明が少ない分、多少なり論理的な思考も必要。

何より、こちらは得てして"現実""リアル"だから。


ヒカルが起きるのを待ってる人がいる=ヒマリ

(そしてそれは果たしてヒマリだけではない)

植物状態でもまだまだ可能性がある

"願い"だけでは夢には入れなくて、ヒマリに対するヒカルの"想い"が重なって生まれたのが夢ヒマリ(だと思っている。部員側も然りか)

決して夢の中に留めて、ヒカルの未来を奪うことはしてはいけない。(考え方は観賞側の個人差アリ)

だけど最終的に決めるのはヒカル

ヒカルの「ヒマリが助けてくれた」という台詞

選択により、部員達とは、夢の中でまた逢える(悲しみの月は消える)

"リアル"は辛いもの

だけど楽しさ嬉しさもこれから積み重ねていける

ヒカルは生きてる。死んでない

まだまだ"時間"がある


ヒカルが脚本を考えて演じられた、

森ビヨの劇中劇「眠り姫」も、オーロラは永遠に眠ることを選択した。

確かに本人はそれで幸せだが、オーロラのために魔法によって運命を定められた王子様は?眠ってしまったお城と、皆はどうなる?

そのあたりを突き詰めていくと、投げかけの「幸せ」に疑問符が付く。複雑で、難しい。




◎論理と感覚。

相対する2つだが、陰陽太極図のように、これらが混じりあうことこそ本物の「真理」と呼べるのだと思う。

森ビヨには真理がある。実際、物語の結論は出ているのだ。どちらが正しい等の二極化論ではない。


ヒマリも言うように、この話においては、

ヒカルが選んだ方が正しい。


ヒカル「どちらも間違ってないのに、ぶつかっちゃうんだ…」

ヒマリ「私には決められないから。あなたが選んだ方が真実。」




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進もう進もうよステップを踏むように

踊るように

音楽に乗って一人じゃないんだ


手を取り合ってすぐそばにいる

こんなにも強くそう焦らなくていいから


遥か遠く遠くぼやけた光へ

いつの日か未来は一つに繋がる


傷付いたら逃げる 違うでしょ

正解はこの先にある


遥か遠く遠くぼやけた光へ

いつの日か未来は一つに繋がる

繋がる


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最後、ヒカルと対峙する部員達はこの歌を贈る。

この歌は、部員達の圧倒的な願いと優しさなのだ。


「なにが君にとっての幸せなのか、僕達はそれが知りたい」

「君にとって、本当の幸せのはずだよ。私たちの知ってる」


部員達とヒマリは、決してぶつかり合っている訳じゃない。

ヒカルへの想いは一緒なのだ。何を通しての想いか、というのが別なだけ。この世界(夢)と願い(ヒマリや部員達)にとっては、ヒカルの選択、ヒカルの存在が全て。





◎「今夜ロマンス劇場で」

「森ビヨ」のラストは、ある意味この映画のラストに通じる部分がある気がする。


この映画は、白黒映画の中から飛び出してきたお姫様「美雪」と、脚本家志望の若手「ケンジ」との純愛を描いた作品だ。

2人は互いに求めあって出会ったのだが、その願いが叶ったぶん、ひとつ、守らなければならない絶対のルールがあった。"互いに触れてしまうと、美雪が消えてしまう"のだ。


それでも2人は、触れ合わずに愛を貫き通す決断をした。ケンジがおじいさんになっても、美雪の姿は変わらない。もちろん触れ合うことも出来ない。

デートする時は、2人で手ぬぐいの端と端を持って歩く。


だが、ケンジの死期が間近まで迫った時、美雪は遂に「触れたい」と言い、ケンジに触れて消えてしまう。

ケンジもそのまま…。


だがその前、ケンジはある脚本を書いていた。

「今夜、ロマンス劇場で」と題を打ったその物語の結末には、「君(美雪)が1番欲しいものをあげるよ」とケンジは言う。


2人が消えてしまったあと、映像は白黒になり、立派なお城の大広間のワンシーンに変わる。

周りには、今までお世話になったたくさんの仕事仲間、友人、入り浸った劇場のオーナーが来賓に。


ケンジはそこで、美雪に1輪のバラを渡し、2人はキスをする。皆に祝福されながら。

白黒だった世界は鮮やかな色彩に変わる。

美雪が現実世界に来て、1番に興味を持ったのが"色"なのだ。

そして、2人が叶えられなかった、1番の願い。

"互いに触れること"を脚本の中で、夢の中で共に叶えた。そこで映画は終わる。




「森ビヨ」のラストはヒカルとヒマリ、部員達が皆で幸せそうに歌う。皆がひとつになって、ヒカルと一緒に歌うのだ。

それがヒカルにとっての幸せであり、ヒカルが出来る最大級の感謝と、懺悔を込めた願いなのかもしれない。優勝も大事だったが、なにより、大会なんていらないと思えるほど、皆で一生懸命に演劇をするのが尊かった。幸せだった。永遠を叶えたかった。


だから、ヒカルの答えは、ここに詰まっているのだ。

ヒカルは、ヒマリも含めたみんなを、夜が来るたびに夢で見続けることを選んだ。


「いつの日か未来は一つに繋がる」


「願い」は一つになる。