「先生、ボクの足はどこから切るんですか?」

聞くと大腿(ふともも)の真ん中あたりだという。

「先生、患部は右ヒザの下だからヒザから下というわけには行かないんですか!」

懇願するかのように聞いたが結論としては無理だった。


理由は2つある。

ひとつは転移のリスクを考えて、患部から遠い場所で切断した方が良いという判断。

もうひとつは義足の構造上の問題だった。



以前、ヒザの有る義足の人に教えてもらったことがある。

 
その人によればヒザの有無の差は大きいと聞いた。なぜならヒザがあるならキレイに歩けて普通に階段も昇り降りできる。
 
少し痛いが慣れればジャンプをすることだってできる。

だがヒザがなければそうは行かない。
 
転びやすいし、階段の昇降は著しく制限を受ける。
 
ジャンプが出来るかは聞いてないが、ヒザが無いんだからたぶん無理だろう。
 
自力でヒザを曲げたり伸ばしたりできないんだから無理もない。
 
だからとにかくヒザを残して欲しいと考えたのだ。


だがそれも叶わなかった。


先生は、義足の写真や図がたくさん写っている医学書を手に説明を始めた。
 
しかし説明を聞けば聞くほどボクのヒザは、機械のヒザに置き換えざるを得ないことは容易にわかった。
 


結局あきらめるしかなかった。



そして切断した自分の足がどうなるのかを聞いたのだが、患部は研究に使い、他のところは火葬場へいくと聞かされた。


落胆した。同時に涙と震えをこらえている自分がいた。

しばらくしてボクは声を絞り出すようにこう言った。


「ボクのガンは医学の進歩に役だつのですか」

すると武内先生は頷いてくれた。

「先生、ひとつだけお願いがあります」と切り出した。
 
「この足を、同じ病気で苦しむの人の役に立つよう使ってほしい」と。
 
武内先生は笑顔で「もちろんだ」と言ってくれた。
 
起きた不幸を少しでも肯定的に捉えたい思いがあった。
しかし現実は想定していた最悪のケースが目の前にあるだけだった。
 

あきらめるしか無かった。

もうすぐボクの右足は無くなる。

母に車いすを押してもらい部屋から退出した。

どこにもぶつけることのできない怒りと悲しみで目の前が真っ暗になった。