受験勉強は人が変わったように一所懸命にやった。受験する高校は公立の岐阜工業高校だが、学科は両親との約束どおり繊維科にした。

繊維科を選んだ理由は、家業が繊維関係だったこともあるが、岐阜工業高校では最も受かりやすいクラスだと聞いていたからだ(理由は後述)。それになんといっても音楽仲間であり親友のサクマが岐阜工業の機械課へ行くこともポイントだった。

受験勉強をはじめる前のボクは、年4回行われる学力テストでは5科目500点満点のところ、100点台はあたり前で、200点に届けばいいほうだった。ギターばかり弾いてまったく勉強しないんだから当然といえば当然だ。

そんなボクは原先生の指導を受けるようになってからテスト結果は急激に伸び始め、最終的には学力テストで350点以上はコンスタントにとれるまでになった。しかし親友のサクマは400点以上を平気で叩きだすからまだまだではあるが・・・・とにかく受験本番までひたすら勉強したのだが、ボクは数学が大の苦手。だから他の科目の成績を伸ばす作戦に出た。原先生が考えた作戦だ。

受験勉強しながらも、少しだけ気になることがあった。ご存知の方もいるだろうが工業高校は学科が分かれている。学科には優秀な順というものがあり、頂点が電子系(いまでいうIT系)、次にサクマが狙う機械系。そして建築や土木系と続き、いちばん底辺だったのが繊維系だ。

つまり繊維科が最もレベルが低いと言われていたのだ。これが前述の受かりやすそうな理由。ヤンキー(死語?)が集まる可能性が高いクラスという評判もあり、繊維科に行くくらいなら共学の私立に行ったほうがよいと、ボクの進路を心配してくれる友人のアドバイスは多かった。

それに当時は校内暴力が社会問題となるような時代。ビーバップハイスクールは大流行し、空前のヤンキーブーム。街で目が会っただけでも殴りかかられるような時代で、いま思えば異常な時代であったように思う。

学校の実際の雰囲気は知る由もないので漠然とした不安があった。一応は共学だが、実際は99パーセント男しか居ないという話し。だからおそらく「タテの関係」もキビしいだろうし、気遣いの絶えない日常になるだろう。この時これまでで勉強をサボってきたことを少し後悔したが、家業の跡継ぎ宣言をしてしまったし、その選択を喜んでくれている両親のためにも今さら進路を変えられない。

そして受験当日を迎えた。正直いえば受験の状況はあまり覚えていないが、記憶が飛ぶくらい全力で望んだような気がする。

そして合格発表の日。向かった先の高校の壁にボクの受験番号が見つかった。数ヶ月前まで公立は無理だと言われたボクが合格できたので一緒に居た母も泣いて喜んでくれたことを覚えている。

ボクは自宅に戻って父親に報告し、すぐさま自分の部屋へ。ずっと鍵をかけてあったエレキギターを取り出した。そしてギターのネックに頬ずりした。そしてまた大音量でレッド・ツェッペリンの曲にあわせて弦を弾いた。

初めて「人生やり切った感」に包まれながらボクは中学を卒業した。原先生と今後の交流を約束しつつ、先生の受験メニューも卒業した。

しかしそんな浮かれた気持ちも高校の入学式までだった。



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