許せない人が汚い | おーいOCD(強迫性障害という疲弊・ケースはっとりーな)

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わたしの潔癖症における「汚れ」には、たくさんの種類がある。外の地面やお手洗いといった、真に汚い物はもちろん、わたしの嫌いな人が触った物はだめである。加えて、誰かが、「わたしにとっての許せないこと」をしたら、その人と、その人と接触したすべてが汚い。

世の中から、わたしの嫌な人も、外観が気に入らない人も除いたら、100人に1人も残らないだろう。まず、わたしは大ざっぱな人が大嫌い。考えが合わない人間はもっと。外から帰って、着替えずに椅子にすわるなど信じられない。かばんをテーブルの上に置く連中についても。

物と物が触れ合えば、汚れはどんどん分割されて少なくなるはずなのに、汚れが丸々コピーされたとわたしは信じる。そういう汚い物をもし家に持ち帰ったなら、その汚染源の人間がわたしの布団に上がり込んでくるように感じられる。こわくてたまらない。だから、わたしの家の清潔エリアには、洗濯した衣服と、ウエットティッシュで2回拭いた「処理済み」だけが入れる。外から持ち込んだ物は他人に触られているのである。

誰もが、わたしと衛生観念が違う。多くの人は真に汚い物を触っても、ろくに手を洗わないのだから。通信販売で届いた荷物の中身も、かようにして汚い。出荷作業担当者がどのような衛生ルールで箱詰めしているか知る術がない。段ボール箱の表面はもっと不潔だ。わたしは段ボール箱を開けて手を洗い、中身を取り出して手を洗い、中身をウエットティッシュで2回拭いてから、さっき中身が置かれていた場所を拭く。段ボール箱を片付けて手を洗う。

わたしは人間の髪を特に不潔だと信じている。毎日洗髪していても例外ではない。だからわたしは髪を触ってしまったら必ず手を洗いに走る。それなのにみんなは、何かの合間に髪に触れて何とも思わぬ。驚くべきことだ。そんな人の手を経て渡った物が家に侵入したらどうなるか。わたしにとっては、その「許せない人」がわたしの体にべたべたとまとわりついてくるのと同じである。こんなにおそろしいことがあるか。