こんばんは。

 

しばーらくブログ書いていなかった上にクラフトと全く関係ない普通のゲームの話

 

ニューダンガンロンパV3です。どうしても感想語りたかった。

ネタバレ嫌な人は速攻バックで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ一周しかしてないしパンツも全員分回収してないので適当妄想なのであしからず。

まずは、ゲームそのものの感想から。

 

 

丸投げエンドではありますけど、そもそも初代ダンガンロンパも続編さえなければ

外の世界の詳細はご想像にお任せしますENDだったんだよな。

今作はそれを「嘘」(を拡大解釈してフィクション)というテーマを据えてより抽象度を上げた感じというか。

 

最原君のフィクションで世界を変える、といった発言からして、

フィクション、物語というものの存在意義そのものを世に問うた作品とも言えるかもしれない。

 

以前誰かのゲーム開発者のインタビュー発言で見たことあるけど、

「ゲームは子どもに影響を与えると思いますか(ゲス顔)」

「それは影響があるに決まっている。何十時間も時間を費やして何も影響を与えないような作品は作る意味がない。」

 

て発言好きなんだよな。

シンフォギアでの「アニメを間に受けて何が悪い!このままじゃ非実在青少年にもなれないよ!」

てセリフと同じ文脈で。

 

そう言う意味でも作中の白銀の態度はダンガンロンパを愛しているとか言っていたけど、

フィクションを舐め腐ってフィクションが世界を変えられるわけがないとか、

ただファンが求めている刺激を与えるだけの作品作りをするなんて、

一番ゲーム制作スタッフとして適性がない人材だと思うんだよなあ。

 

その点では私は白銀首謀者設定説を推したい。

 

あと、これは完全な願望だけど、キャラ全員アルターエゴというか、AI七海に近い存在であってほしい。

「うちらは血肉を持った人間じゃぞ!」ってのも彼らの主観でしかないから。

じゃないといくらなんでも視聴者連中がゲス過ぎる。

 

例えゲームであろうとも、生身の人間の命のやり取りを娯楽作品として楽しむような人間が大多数で、それを作っているのが普通の一般企業ってのが平和の行き着く先とは考えたくないんだよな。

 

あと、思い出しライトがいくらなんでもチート過ぎるから。

 

うん、ロシアのリアルサバイバル企画の話は知ってるけどね。

 

それよりももっと現実にありそうな未来が、高度に発達したAIをオモチャにして見世物として楽しむって世界。

 

今でもAIって結構ネット上でオモチャとして扱われている面があると思うし。

自分に命と血肉があると認識するAI同士のコロシアイ推理バトルって面白そうだもんな。

でもAIの意識からしたらそりゃ地獄だろうよ。

 

で、例のオーディション映像は人間の方の世界の真実で、オーディション採用者の意識や性格を元にアルターエゴを作成してそれに設定を植え付けるって流れかな。

それなら自分から進んでコロシアイに参加したがるのも納得する。

なんせアルターエゴとはいえ自分自身が人気番組の出演者になるんだから。

 

4章ゴン太の例でもオリジナルとアルターエゴに記憶に齟齬があれば全く行動パターンが変わってくるけど、それでも本人であることには変わらないってあたりがヒントだと思う。

 

多分思い出しライトは記憶や能力はいじってるけど基本の性格はいじってないと思う。

じゃないと「自分自身がゲームの参加者」感が薄れるからね。

 

 

そして最原君たちが忌み嫌っていた視聴者筆頭が、

他ならぬオリジナルの自分自身というオチ。

自分自身すら敵に回した世界で、「この胸の痛みは本物だ」と訴えて、

フィクション世界から最も変えるのが難しかったのがオリジナルの自分自身かなって。

 

キーボの「ロ差禁」ならぬ「AI差禁」って話かな、って思ってる。

 

だとしたら、AI最原君たちが幸せになる条件ってなんだろう、ってのはこれから考えていきたい。

 

この考察で私が求めているのは作中で書かれていないオリジナルキャラよりフィクションキャラの方の幸福だからな。

 

あと、言っとくけどこの妄想は私個人のものであって、他の人のV3世界を否定する気はさらさらありません。

 

ある意味V3がプレイヤーに求めているのは城平さんの虚構推理。

そこに合理と一筋の愉悦を見出すなら、人はその虚構を支持する。

でも虚構推理と違って倒すべき鋼人七瀬も立花さんもいないし、他人に勝つ必要も全くないんだけどね。

 

ま、「情報を、合理的な虚構には常に真実が必要です。」

ってことでV3をやり込むぞー。

最低限紅鮭と愛鍵イベントはコンプしたい。ラブホギャンブラー最原爆誕。

 

それでは。

こんばんは。

 

先々週の土曜日、足利市のバックギャモン会に参加してきたのでその感想を。

 

なんていうか、バックギャモンって人生の縮図だな、と思いました。

 

どんなに劣勢でもたったひとつの逆転の目を辛抱強く待って、一度のチャンスを絶対に逃さない。

逆に、どんなに優勢でも、優勢だからこそ慎重に、相手に付け入る隙を与えない。

実際私が7枚ベアオフしていたのに、出目の都合でどうしてもブロットが出来てしまったところを見事に打ち取られて、五分まで持ち込まれたことあったし。

 

ダイスを使うから将棋とかと違って完全な先読みができないから、どんな目が出ても、その目で最良だと信じる手で戦うしかないところとか。

 

現実でもそうですよね。

 

あと、バックギャモンをやるとどうしても考えざるを得ないのがコンピューターとゲームの関係。

バックギャモンって、コンピューターの解が数学的に正解で、強くなりたい人はいかにそれに近づけるか、エラーレートを減らせるかって世界だから。

 

 

ってなことを知識としては知っているだけの、初期配置も覚束無い初心者なんですけどね。

 

で、バックギャモンを通して私自身の心の闇みたいのが見えてきたというか。

私って完璧主義というか、人にいいカッコ見せたがりなんだなあと。

 

バックギャモン会は主催の方がゲーム中も会話で楽しませようとしてくれる人で、楽しかったんですよ。

 

でも後から振り返ると、私は分かりもしないのに無駄に長考して、一手一手にこれが正しいのかどうか内心ビクビクしていた。

 

もっと間違っても拙くてもいいから、自分の信じた手をのびのびと打てるようになりたい。

それって仕事でも対人関係でも必要な力だと思っている。

 

私にとってバックギャモンはそういう力を身につけるものでもあるのかもしれない。

 

で、10日くらい前の話を何で今更書いているかというと、ここ数日最近人気の「嫌われる勇気」を読んでいたからです。

 

この本の内容は私にとってはとても相性が良かったです。

過去の辛かったこととか、自分の心の整理を付けるのにとても良かった。

 

私の好きな城平京作品なんかにはアドラー的なエッセンスが多分に含まれてるなーって思いました。

 

絶園のテンペストの吉野の「愛花ちゃんの死を悲劇の為のものにしないために」

とか、

 

特に「名探偵に薔薇を」のラスト

「因果、運命、そんなものに責任を負わせるな。

そんなものを認めてどうする。決して変えられない因果や運命に括られているいることを認めて、どうして生きていける。」

て辺りはそのまんま。

 

なのでブログタイトルを「嫌われる勇気」からもじって「間違える勇気」なんてしてみました。

 

それでは。

 

こんばんは。

 

最近編み編みしていたものが完成したので紹介。

 

 

斜め編み格子柄バッグ。 初めて斜め編みできちんと意図した模様が出せた。

Msファクトリーでテープ買うついでに買った本を参考にしました。

 

リボンは当初つけるつもりはなかったけど、本に作り方載っていたのでバッグを作った余り紐で作ってつけてみました。

 

本体を編んでいるときは、地が黒だから割とシャープな感じと思っていたんですけど、

持ち手をさくらにしたのとリボンで大分キュートで柔らかい方向に印象持って行かれたな、という感じです。

持ち手の色って意外と大きく作品の印象を持っていきますね。

 

次はこちら。

 

巷で話題の穴のあかない石畳編み。

これもMsファクトリーでレシピが売ってたんで即買いしました。

そのうちこれで立体物作る練習します。

これで「穴があいているから夏ならね・・・」問題を解決できますね!

 

最後に

シンプルなねじり編みかご。

 

最近作ったのはこんなところです。

テープの色も春に向けてカラフルなのをいろいろ買ったので、

色んな色の組み合わせを試してみたい。

 

石畳編みは配色のセンスが命、みたいなとこありますからねー。

 

それではまた。