今までこのブログでは親族のケースを多々書いてきましたが、あまり私「個人」の内容は、それほど頻繁には書いていなかったと思います。が、今回は、私の伴侶、友人であり、家族であり、共同生活者であり、夫というパートナーである人間との関係における出来事について書いてみたいと思います。

 

この内容を書く前に、この本を紹介させていただきます。

 

 

 

この本は、はるか昔に親族と結婚したパートナーさんで読んだことがあります。最近はあまり読む機会もない感じですが、「自分たちの結婚に必要な知識」として、客観的に自閉圏の人間と定型圏の人間が上手くやっていくために必要な情報として、とても役に立つ本だ、という認識をしています。

 

私の夫、伴侶の場合、この本を確か結婚前に読んでいたと思います。私や親族たちと違い、アスペルガー(古い過去の言い方ですが、診断された時の呼び方で書いていきます)と知らず、実家で育ち、悩みながらも社会に過剰適応しつつ、二次障害を発症してうつ病を患ったりと「発達障害と知らずに社会で奮闘し苦労をした」結果の代表的ケースになりそうな過去を持っています。

 

私と出会って、「自分が何者であるか」を知り始め、この本を読み、そして「精神を病まない生活を送る」ようになり、心身を壊さない、私達親族が目標としているいわゆる「心身ともに健康で、社会で稼いで行ける人間」に彼もなっていく、という大いなる変化を遂げるわけですが、ここにきて、彼が心のバランスを崩しました。

 

その「なぜバランスを崩したか」という点を二人で考察し、落ち着いたので、記録もかねて書いてみようと思ったわけです。

 

きっかけは、この夏の私の入院です。自分で自覚のないまま意識落ちし、気が付いたら入院していたという顛末なのですが、自分自身は「ああ、やっちゃったなぁ、熱中症と食欲不振からくる体力の低下、判断力の低下か・・・」と妙に冷静に、淡々としたものだったのです。この辺りが、「自分中心で物を見がち」という生来の性質が、消えてなくなっていない例だと自分でも思うのですが、自分の危機的状況だったり対処不可能なほどリスクのある状況では、特性が素のまま出てしまうことがあります。

 

今回の場合、自分にリスクがあり、自分が被害を被っているだけなので、まあさほど問題でもないだろう、と思ってしまったのが私の悪点だった、としか言いようがありません。意識のない人間を発見して、救急車を呼んで、病院に担ぎ込み、診断を受けて意識が回復するまでの「過程」を、誰が見て、体験して、サポートしてくれたか、という視点が大いに欠けているからです。

 

定型の人であれば、「迷惑をかけてすまなかった。」という気持ちが、目覚めてすぐに沸くのだろうと考えます。私の場合は、その感覚が薄く、「迷惑をかけた」という感覚はあり、あるのですが、そこに「強い感情」が登場するわけではなく、さらっと自分の中で流してしまえるほどの「薄い」感情で過ごしてしまう傾向が素で出ていた、と思います。いつもであれば、しっかりと頭で「思考」しながら「生活」できている状況であれば、もうすこし「自分以外の人間への配慮」「対人関係での丁寧さ」などの体の中に蓄積しているノウハウで、対処していただろうと思われます。

 

が、入院してあまり頭の回らない、寝たままの状態で、それが不可能だったような感じで、伴侶である夫へのフォローやいろんな心の動きを「見落として」、見落としたまま、退院後もしばらく過ごしてしまいました。ごく普通と私が思う「心配かけたね、ごめんね。」「いろいろやってくれてありがとう。」「もう大丈夫。」「これからはもっと、あれとこれに気を付けるね。」という、そういう親族や伴侶、子ども達とのやりとりで、いつもの生活に戻っていきました。「私は」、です。伴侶は、どうだったか。私とは違う存在です。

 

私の大事な伴侶は、過去の生育歴の中で、心にいくつかの「傷」を抱えています。誰からも「彼の特異性」を気づかれず、気づかれないまま、幼い頃から「定型の社会で頑張って生きていく努力を続けた」過程で抱えた傷はそれなりに大きく、私と付き合っている間に、結婚生活当初の頃に発露し、先にご紹介した「一緒にいてもひとり」という本や私の親族の、彼と同じ立場のパートナさんと会って話をしたりした結果、カウンセリングや過去の実家の家族へ抱いていた誤解や負の部分の存在する「思い」などを消化していき、リカバーし、心身ともに健康に生活できるような「自分」に変化していきました。そして「自分の家庭」を持ち「安心して過ごせる場」で、安定した生活を長年送ってきたと思います。

 

が、ここに来て、彼は心のバランスを崩しました。それはなぜか。

 

彼には、どこか潜在的な「不安」が眠っていたようです。それは「また一人になりたくない」という怖さのようなものでしょうか。

 

発達凸凹を持つ人間が、「感情を持たない」と言われますが、それは本当のようで、本当でないような曖昧な部分があると感じます。人から疎外されて傷つくこともあるでしょうし、また疎外されようと一人でいても全く平気である・鈍い感覚の自閉人でも、ある場面で激高する、という行動を見せることもあります。そういう時は孤独で、反撃しようとする中にかすかに「傷つく」という感情面があるような気がします。そういう風に、それ以外の「感情」、例えば楽しいだとか、嬉しいだとか、寂しい、悲しいという感情も「この体のどこかには収まっている」と考えるのが自然かも、と思うのです。

 

私の伴侶は、自分の「感情」をとらえにくい特性を持っています。「自分で自分の感情にテキストを張れない。タグづけできない。」という感じです。よって、私との生活の中で「これが綺麗ということ」「これが楽しいということ」「これが理不尽だということ、怒ってもいいこと」など、実生活の中の山ほどの体験を通して、365日、何年も何十年も「たくさんのタグづけ」をしていき、総括として使えるノウハウが増えて、それを繰り返し使用することで「社会で生きやすい・精神的に疲弊しない程度に上手く自分をコントロールしていく」ことができるようになっていました。

 

だから、私も「伴侶がどういう性質で、特性があるか」ということについての配慮というか、油断、思考の中の欠損、が生じたのだと思います。

 

長年、私と伴侶はよく「話をする」生活をしてきました。その中で、「彼の、自分の特性面から生じるあれこれ(社会の中での疑問、対人関係での問題など)」を謎解きするナイショ話のような、二人だけの「プライベートな事情のシェア」をしてきたと思います。他の誰にも言えないことを、家族で、ずっと最後まで一緒にいるだろうパートナーだから、自分の困っていること、特性から来る不具合や定型社会で理解されない部分の「理解してもらえる」安心感を、シェアしてきたと思います。

 

発達障害凸凹、特性を持つ人間で、「気が合う」「一緒にいてリラックスできる」「一緒にいてお互い傷つかない」ペアの独特の、サバイバル上のベストコンビになっていたのかな、と思います。それが、私のめったにない入院で私の伴侶は、「いきなり自分の、生活上のペアが喪失した」期間を体験して、「ひとり」になってしまいました。

 

定型の夫婦でも、家庭から巣立っていなくなる、別々の道を歩んでいく子ども達との関係とは違い、伴侶というのは通常「いなくなるまで」は一緒にいられる貴重な存在です。そう思っている中で、事故や、いろんな突然の偶然で「喪失する」可能性を実体験することで、伴侶は「過去の傷」をぶりかえしてしまいました。トラウマは癒えたようで、「体験したことは記憶にしまわれている」という人間の、またはネガティブな体験の記憶力が極端に強く刻まれるというアスペルガー的な(*注;彼の場合は、です)特性を色濃く持つからこそ、のトラウマのぶりかえしだろうと今となっては思います。

 

それぐらい、彼は「実家の家庭の中で孤独で、自分自身すら自分がよくわからず、自分がよくわかっていないからこそ周囲の家族は自分のことをなおさら把握できず、お互いに本当の意味で理解しない・されないまま、よって学校生活の中での辛さを家族も自分も正確には全く理解できないまま、結局は、生まれてからずっと、自分の感情(悲しい・寂しい・辛い・怒りがある)すら把握できないまま、家を出るまでに膨大にふくれあがった「自分は傷ついている」部分をカバーできない」ままで、私と出会いました。

 

私と話す中で連発していた言葉はよく覚えていて「ああ、そういうことか。」という納得、自分がわかった、スッキリした、というワードがたくさん出ていたと思います。ただ、頭で「過去のあれこれを理解する」ことと、「一度経験した辛い体験」の扱いはまた別者で、トラウマをマイルドにして、社会生活に支障がないほどカウンセリングなどで上手く昇華させていても、体験した記憶は実際には消せないし、いつまでも「カケラ」やと「塊」として記憶の箱の中に残っています。彼は、それにあえて触れる必要性が、自分が築き上げた家庭の中では少なくて、いわゆる「精神的に安心して、安全に暮らせる」環境を手に入れて、長年その中で生活してきました。

 

それが私がいなくなった、私が病院にいることで彼は物理的に「家でひとり」になり、過去のトラウマを刺激されてしまいました。不安の増大と過去の傷は比例しているとしたら、私が思うよりも彼の「小さい頃から感じてきた悲しさや辛さ」はもっとすごく大きかったのだ、と思います。私はこの人が泣く所を、あまり見たことがありません。彼が泣くほどの「彼の感情をゆさぶる」体験はあまりこの世にはなく、さらに「自分の感情をとらえにくい」ため、出会った状況のその場で「感情をとらえる」ことができないのであり、あとでじわじわと「感じて」いくタイプで、その過程では環境的に私や私の親族がいる状態なので、私達と話をして、おそらくゆるやかに、段階を踏んで「感情を感じていく」ことができたため、衝撃が少なく、何があっても、どんな辛いことがあっても、受け入れやすい流れになっていたのかなと思います。

 

それが、私があっという間に目の前からいなくなり、物理的に家にもおらず、彼は「今までのように話すこと」ができなくなり、その日一日でおそらく、完全に自分を閉じてしまいました。つまり、感情をじわじわと感じていく衝撃を、「いつもの他人との会話」での段階を踏んだ過程を踏まず、閉じてしまっていたために、病院で気遣ってくれる親族たちとの会話も、おそらく耳にも頭にも入っていかず、家に帰る度に傷が開いていったのかな、と思います。

 

私が帰宅してから見た彼は、ずっと泣いてしまって、何をしていても辛そうで、極端に「うつ状態」に突入していました。医療が必要だと判断する程度には、心のバランスを崩してしまっていて、私が想像していなかった状態がもたらされました。病気やケガで家族を失う可能性は、この先ももちろんあります。私はそれが耐えられる人生を送ってきました。なぜなら、小さい頃から私の特性を理解し、「一人ではない」環境で両親や親族が「つねに語りかけながら」情報を提供してくれながら、「定型の世界がある」けれど、「自分の世界もここにはある」という実感を伴って生きてきました。

 

伴侶には、それがなかったわけです。大人になるまで、ずっと一人だった、という感覚を体と記憶の奥底に維持したまま、年を重ねてきました。安定して、安心できる「環境と生活、自分の家庭、パートナー」を得た後で、成人前のような「ひとりの世界」に逆戻りするかもしれない、という体験は、おそらく安心の中でリラックスし、油断できた生活が長かったため、恐怖を伴ってしまい、耐えきれなかった、ということなのかもしれません。

 

定型の家族の場合、子どもは生きる支えになろうかと思います。孫ができれば、生き甲斐になる。そういう風にドラマや、周囲のご近所さんも言っています。ですが、私と夫は、そういう感覚はそれほど強くありません。特性のせいか、子どもは別の人間とあえて意識して、同化しないように、自分の支配権(自閉圏)に捕えてしまわないように、用心して、外の世界=社会へ送り出す、ということを強く目標にしてきたからかもしれませんが、一度社会に出た子供達や結婚して自分の家庭を持った子供達は、それほど「近く感じる」「人生の支えにする」ような、存在ではなくなっています。巣立った子は、巣立った先で、幸せになっている、それがすべてという感覚です。

 

私と伴侶の巣では、私達は幸せを手に入れて生活しているわけですが、それが失われる時がいつか来る、どちらかが先に逝くことがある、というのは、私には耐えられる精神性を、おそらく育ててもらっていますが、夫は、夫は耐性は備えておらず、むしろそれが最大の弱点なのかもしれません。この人には私以外の理解者はたくさんいます。私の親族で仲の良い、友人となった人間もいます。でもそれは「共に生活をして、自分のプライベートにも精通して、安心して過ごせる相手」ではない。どこか、どれかが違う相手です。

 

自閉圏の人間でも、定型圏の人間でも、人間だれでも「死んで家族を、大事な人を残していく」という出来事は避けられません。そして去られてしまうのも、繰り返し経験していますし、これからも経験していきます。そのための「準備」が、必要な人間が、ここにこうしているということが、「発達障害の特性を持った人間」として、もしかして、もっと気を付けて、用心して、大事に考えて、準備していかないといけないことなのかもしれない、と経験して感じた次第です。

 

過去の経験から残るトラウマと、彼の持つ特性の強い部分、「自分の感情にタグづけができない」というところなど、いろんな複雑な要因が合算して、今回のメルトダウンにつながったと思います。でも、一緒にいて、時を過ごすと少しずつ、心は建て直すことができます。でもいなければ、どうなるかわからない。そのために、「心の準備」や「予防」のための、大事な作業が私には手元にあります。このブログでは初めてのテーマかもしれません。年とともに、発達障碍者の取り組むことは、それなりにあり、絶えてなくならなず、常に対処・予防のための活動は現役です。これは一生、最後まで続くのだなと感じています。

 

幸い、今の時点で伴侶はようやくパニックから回復し、自然な、今も昔も能面体質な彼の、貴重なめったにない笑顔が出るようになりました。私にとって一番ほっとするのが、そういう伴侶との時間です。

 

自閉圏の人間の人間関係はめずらしいケースとして、知られていないことは多いかなと思います。よい関係を築けている人間関係でも、こういうことは誰の人生にでも起こるように、私達の人生にも起こってきます。その時の状態を、もし、私達と同じような種族、私達と同じタイプの方々がいるのであれば、「自分の最後に、大事な人が対応できるような準備がいる」という発見があったよ、とお知らせしたく、この記事を書いてみました。

 

次からの記事は、またいつものように親族から学ぶケースについて書いていきたいと思います。

 

 


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