今日の題材「自閉の私達の人間関係。「シャーロック」が色々な意味で親族に人気。」に入る前に、少し前置きを書かせていただきます。

 

最近、「アウトプット」モードが控えめになり、逆に「インプット」モードが忙しいです。つまりは、ブログ記事の更新が滞る一方で、色んな情報収集や「現実世界での活動」が生活のほとんどを占めている感じで今年は過ぎていきました。

 

ためこんだ情報は、またメモなどを整理して、順次このブログで書き出していきたいなと思っています。まだ少し「インプット」モードが継続しているので、現実世界の活動の比重が多くなるため、思索にふけるブログ・モードになりきれていないのですが、なんとか今年終盤から来年にかけて記事の更新をしていきたいと思っています。

 

さて、私の「現実世界での活動」は、優先順位として

 

・仕事

・家族のこと・親族のこと

・町内、地域の活動

・親族の子達のサポート(送り迎え、勉強会、通院、学校や習い事先の下見、現場へ出向いての情報収集など)

 

が多いのですが、これにプラスして

 

・最新の発達凸凹系の本の回し読み(子育て現役世代の親族の親から主に借りています)

・娯楽系の情報収集(子供達の、「現実世界」への橋渡しに必要な情報の収集として、例:映画や流行りマンガ、ゲーム等々)

 

などもやっています。

 

なぜこういう「情報収集」に重きを置くかと言うと、私達の場合、特性だと思うのですが「興味ある範囲以外に鈍感・全く自主的に関わろうとしない」という偏りがあります。

 

この特性を「自分で知っていながら放置する」と、正直、社会の中で浮きます。世間一般の「大勢の人」の中で、主に「会話」から、「話題を振っても全く通じない」というようなケースが小学生仲間、中学生仲間、高校生仲間のやり取りの中で増えていくと、正直目立ちます。

 

大人になると、無知である、という状態に近くなり、より一層、大勢の中では「偏った人間」として浮彫になりますし、そうなると親になったときに、子どものために活動する際に支障が出たりします。親として先生、学校側と対話しないといけない現実、いち社会人として、会社や取引先と対話しないといけない現実、一人の人間として、友人や恋人と対話したい現実があり、そのために「この社会に存在する多くの情報」は、やはり持っていないよりは「持っていたほうが有効利用できる」と考えます。特に、対人関係での「一つの大きな要素」として、知識は役に立ちます。

 

よって、私達親族の場合は「大勢の人が知っている情報=常識の一つである可能性がある」のに、知らないままだと「世間の中で生きにくい状況を自分で作り出している」ことにつながるのでは?という考え方から、「それなら、知らないよりは知っておいた方が知性も整うから」という「利益」を考えて、比較的「自分たちが嫌じゃない分野であれば」情報を得ておく、という割り切り方をしている状態です。

 

「嫌じゃない分野」というのがミソで、音楽だが大嫌いなのに音楽の情報を集める、とかはしません。「特に興味はないけど、嫌じゃないから、まあ、暇つぶしにでもちょっと見て・聞いて・読んでおくか。」という感じで、情報を得ていくこともあります。

 

一つの例として、私はあまり日本・海外両方のドラマ、というものに特に興味は持っていません。映画の方がまだ興味があります。ドラマは「続けてみないといけない」ですし、長期的に視聴しないと自分の感覚的に「面白いのかどうか」わからない、という点もあり、シリーズで見ようと思えなかったのもあります。

 

なので、親族がたまに「このドラマの、この回だけは見てみたら?」とすすめてくれる場合、ちょっと見る、みたいな「かじる」感じで見てみて、面白かったらシリーズを通して見るような経験は何度かしています。

 

かなり前に書いた記事で登場してもらった、私が尊敬する大好きな従弟(怒りの衝動が強い、という記事の親族です)が、イギリスのドラマ「Sherlock」を一押ししてきました。彼は海外で仕事しているのですが、たまに海外の方の情報をスカイプで送ってきてくれます。(従弟についての過去記事:https://ameblo.jp/hattatsu5/entry-12287047931.html

 

この「Sherlock」というイギリスのドラマの主人公は、奇天烈な変人系の天才で、偏りがものすごい特性の人間です。ですので、視聴してみようという好奇心はそれなりに持てました。

 

日本側での吹き替え版だと、気づかなかったかもしれませんが、海外版ではシーズン2の「バスカヴィルの犬」の回で、Sherlockはアスペルガーという風に、相棒のドクター・ワトソンとレストレード警部の会話で出てくるそうです(従弟によれば)。そういう風に周囲の人間は思っていながら、シャーロック・ホームズと付き合っている。そのあたりが独特の人間関係です。(*ドラマの中でシャーロック本人は「高機能社会不適合者:High-functioning sociopath」と自称しています。)

 

「事件が欲しい!」と癇癪を起す大きな大人のシャーロックは、正直、アメリカにいる従弟の、落ち着きのない、いつもがちゃがちゃしていた子供の頃のようで、親族達で笑いました。暇が嫌いで、興奮材料が欲しい、ワクワクしたい、というシャーロックの性質が同居人のドクター・ワトソンにははた迷惑なのですが・・・私の従弟のように、仕事・商売という世界で「常に新鮮な意欲を湧き立てる熱量を自分の中で持っている」人は、成功することもあると知っているので、そうした性質は否定する材料になりません。ドクター・ワトソンも、色々と愚痴は言いながら、そういう「根元の部分」を理解している稀有な人なのだな、と思いながら見ていました。

 

シリーズは1から4まであり、この長いシリーズの中で、シャーロック・ホームズは「定型の人びと」との人間関係を学んでいくのですが、その過程が「無知だった頃から、経験と知識を得た」からかな、と言う風に見えます。ドクター・ワトソンや周囲の関わった人から学んでいく様子が、私の伴侶のようでもあり(タイプは全く違いますが)、結局のところ、生まれ持った特性の「偏り」があまりにもものすごいので、手薄な部分はこうして生きていく最中に学んで補っていく必要が大いにあるのが私達なんだろう、という風に感じました。

 

自分達を客観的に見る、という機会はなかなかないのですが、奇天烈なシャーロック・ホームズを変えていくドクター・ワトソンや警部やその他関わっている人は

 

「ああ、忍耐強いなあ」とか

「こういう発言が無神経で人を傷つけるんだよなぁ」とか

こちら(自閉)側の事情というか、反省などもかきたてますが、

 

ドラマの中の人間関係を客観的に見ていると、シャーロック・ホームズを

 

「バカにしたり、さげすんだりせず」

 

友人、家族として大事に扱ってもらっている、それが理解者、という点が浮き彫りになっていて、架空のドラマを通して見た色々な部分が、こちら側の現実の生活の中で、自分達の友人でいてくれている定型の人たちや付き合いのある親族達の存在をもっと、大事に感じることができた、という点でいいドラマだったと、思いました。

 

どうやら、ドラマの中のシャーロック・ホームズも学生時代は同級生全員から「嫌われていた」と言われるような存在だったようですが、自閉であってもなくても、「その人の中に、全く魅力がない、全く魅力がゼロの人はいない」と思っているので、見方が違えば「嫌われる点」が「魅力ある点」になることもあり、そこに人間関係での違いを生むことにもつながっていくのかな、と感じました。

 

例で言うと、まるでシャーロック・ホームズのセリフと同じだ、と思ったのですが、私と出会った頃は「本当の意味での親友、友人は一人もいない」と言っていた私の伴侶は、今は気の許せる友人や妻の私がいますし、「自分は人から好かれるような人間じゃない、面白みもない」と言っていた彼は、私や親族、友人との付き合いを経て、今はそうは思っていないと確信しています。少なくとも、私は彼が大好きですし、二人で会話していて大笑いするぐらい面白い時があります。

 

ぼんやりした内容ですみません。書きたい内容はちょっと違ったように思いますが・・・

今、不登校で学校へ通えていない親族の子達の勉強会の当番を、今月また引き受けています。自閉の子達の人間関係は、幼少期はつらいものが多いです。学校ではひどく嫌われていじめられたりする機会が、定型の子達より多いだろうと思います。でも、そうやってクラス中の子達に嫌われた親族の子達でも、勉強会で接していると「可愛い」と思える部分があり、迷惑な性質・特性も持ち合わせていながらも、「素直だ」と思ったり「正直だ」と感じたり、「すごいな」と思う部分も持ち合わせています。そういう所を見てくれる人と多く出会って、魅力的な部分をぐんと伸ばしてほしいな、と思った次第です。

 

 

最後に、親族が購入した「Sherlock」のDVDをご紹介しておきます。↓

 

【中古】SHERLOCK シャーロック シーズン2 DVD−BOX / 洋画

 

 

【Amazon.co.jp限定】SHERLOCK/シャーロック シーズン1 バリューパック [DVD]

 


人気ブログランキング

 


にほんブログ村