発達凸凹がある人の特性で、最もポピュラー(?)と言いますか、目立った傾向として出てくるのが「こだわり」という点かなと思います。

 

「こだわり」はどんなことなのかというと

 

・自閉特性の「自分の中にある生来の性質」に素直に従っている状態

・自閉特性の「自分の世界」のオリジナルルールを実行している状態

 

です。これは、生きている上でその人の「行動や考えの根源」となっています。例えば親や先生が問題だと感じるようなその子の言動は、

 

・先生や親のアドバイスを聞かない・聞いてもやらないしできない・スルーする

・何度言われても、不適切言動をする

・してはいけない、と説明をしても事あるごとに繰り返す

 

などの氷山の一角を見せるかもしれません。いつも忘れ物をする、だとか、ごめんなさいを言わず言い訳を繰り返すだとか、その子がすることやなすことのパターンはバラエティーにあふれていると思いますが、結局のところこの「こだわり部分」に大きく起因しているケースが多いように、親族の子達の場合ですが、感じています。

 

そこがわかっていると、つまりは「最短で、最前の対策ができるとしたら」このこだわり部分に向き合うことだったり、こだわりくずしに取り組むことだったりします。

 

では、「こだわり崩しをすれば解決するのだったら、すぐにでも!」と思うかもしれませんが、発達凸凹の人の第二の顕著な特徴として、「変化が苦手=同じパターンで過ごすことが快適であり、安心の根源」というこれも生来の、持って生まれた癖があります。これが正直なところ、「こだわりくずし」の足を引っ張っている部分じゃないかと思っています。こだわりの二大特性の相乗効果のせいで、発達凸凹の子の成長が阻害されている・・・と言ってもいいような気がします。

 

私達親族の中に発達凸凹の人間が生まれ、成長し、生を全うする中で感じることは、特性は「完全にはなくならない」けれど、「変化していくことはできる(特性が強く出ることも弱くなることもある)」という部分で「癖」として見ることが、理解しやすいのでは、と思います。

 

発達障害の人であれ、大勢の定型の人であれ、なにかしらの「癖」は持っています。その癖は当人にとって無意識であることが多く、また自分が辞めようと思ってもやめていない・やめられないから、「癖」なわけです。びんぼうゆすり、利き手で物を受け取る条件反射、人と話すときの目線やしゃべり方、食事中に物をかむときにどの歯をよくつかうか、はてはお風呂でどこから体を洗うか、という広い範囲にまで、人は「好み」「快適に思う方法」というのがあります。

 

これが自閉傾向のある発達凸凹の人にとっては、安心につながるなら、どんなに周囲の人が変だと思う癖でもやってしまう、ということにつながっています。

 

ですが、人は-発達凸凹の人であっても-生まれたては赤ちゃんですが、必ず心も体も成長します。乳児になり、幼児になり、小学生、思春期・高校生、そして大人への一歩を踏み出す大学生や社会人となり、赤子の頃よりは心も体も成長し、知識量も知恵も、体験もあらゆることが増していきます。

 

ということは、その過程で「より快適な方法」や「より安心できる方法」があれば、そして「同じパターンを繰り返す」行為の根源である不安だから・怖いからといってしがみついていた意識の中に、「安心」を感じさせることができれば・・・それは代替が可能であるということであると思っています。

 

「生まれたての未熟な時期に持っていた癖」は、長じて手足がもう少し器用になり、体や脳が発達した未来にまで継続したくなる理由があるのかどうか、です。ほとんどの場合、「それしか方法を知らなかったから」「食わず嫌いでやらなくて体験としてよかった、と思ったことがなかったから」などのケースが、親族たちの経験を振り返っても多いのでは、と思います。 「知らないから・やってよかったと確認したことがないから、やらない」かもしれませんが、「より安心できて快適で、できる方法」が見つかれば、そしてそれを何回か繰り返すと、そちらに傾倒していく、という成長過程を経ることも多々あるわけです。ただし、その期間は、定型のお子さんであれば数日、または数か月で可能ですが、発達凸凹の子は半年、1年、2年、という長いスパンの中での変化、こだわり崩しであるので、世間一般の多数の親御さんはやきもきするかもしれません。

 

よって、通常、私たちが乳幼児の頃から気を付けているのは、早くから定型の集団社会で嫌な体験を繰り替えして「自己流の癖によりこだわる(安心を求めて逃避する)」ようなことではなく、一般的な保育・幼稚園だろうと、幼児教室だろうと、先生と1対1の療育だろうと、親と子だけの世界だろうと、「こどもがこだわっている方法に少し、大人の知恵をまぜて可能性の範囲が広がる体験をする」かつ「新しい体験が楽しければより『新しい癖』の定着は早い」ということをしていくわけです。

 

それぞれの子ごとに、どこがいいかという「環境選び」をしていくのは、子どもの性質がそれぞれに違うから仕方がありません。あまり落ち込まずニコニコしている大らかな子なら、発達速度は遅れていても同じく活発な子達の多い幼稚園に入園しても、「自分より色んな知恵を持っている園児達」に触発されて、明るい性質がよりイキイキと、能力もメキメキと伸びるかもしれません。

 

全く話さなくて、何の反応も示さない子の場合であっても、例えば、①大勢の子を観察して学ぶタイプと、②「園では硬直して集団世界からシャットダウンしている(完全に目を閉ざしている)」タイプの子では、上記のような幼稚園に入学してからの成長に大きく影響します。①の観察タイプの子は、しゃべらなくても反応しなくても「園児がすること・言うこと・先生がすること」に興味が向けば、一人でそれを見て吸収しようとします。逆に②の「活発な子供を恐怖に感じる・幼稚園という組織が怖くて受け入れられない」ような子だと、それらすべてをシャットダウンしますから、学ぶ以前にできる限りの抵抗をして身を守る、という反応をしていますので、学ぶ余裕はなく、逆に耐えられなくなると逃走したり、ギャー!と叫んで逃避したり、暴れて恐怖を与えてくる物・人を避けようとします。集団社会への恐怖を覚えてしまう、という誤学習も重なるかもしれません。

 

なので、「環境を選ぶ」というのはそもそも、「その子が生まれ持ったこだわり、生来の癖をまず否定せず、その癖があってもやっていけそうな所を選ぶ」ということに近いかもしれません。そうすれば、その「癖」の部分がその環境で子供に合う形で刺激されたり、いいように拡大したりして、思いもよらない「こだわりくずし」どころか「強みとなる確かなもの」、いわゆる定型の世界で好まれる忍耐強さだとか、あきらめない真面目さだとか、信じられないほどの集中力だとか、周囲の雑音に惑わされない安定性だとか、いい方に解釈してもらえる性質となって安定していくこともあります。

 

何度も過去記事で書いていますが、「定型の集団社会生活ありき」で学校にこだわって子供の成長を促すと、この「こだわり」部分に取り掛かる、という優先順位は低くなり、目指すところが違うところにあるわけですから、環境が偶然合えばこだわりが弱まり変化したりして適応していくこともあるでしょうし、一方で、子どもの生来の癖に合わず悪い方に刺激したりするような、逆効果な環境に1年も2年もいると、これは「こだわり固め」のようになり、さらに自閉的に、さらに確固とした自分世界に没頭し、悪い刺激=自分にとって不利益が生じる=周囲は敵!のような考え方まで新しく学んでしまい、平和だった乳幼児期から、戦争のように自分以外の人と戦う時期に突入してしまうことも考えられます。

 

この「こだわり」の特性は、いろんな風に発達凸凹の人を理解する「鍵」になったりします。

 

学校生活で勉強が思わしくない子の場合にみられる、進研ゼミをしても、塾に行ってものびないのは「自分流の勉強の仕方にこだわっているから」というケースが続いているのでは?とか、何度言っても服を脱ぎ散らかす、忘れ物を続ける、というのも「自分流の癖を続けているから」だったりとか、そんな風に子供の言動に影響している根っこにある「鍵」であることが多いです。

 

またこれらの件については、別の記事で書いて行こうかと思います。

 

久々に書いた記事なので、まとまりがなく理解しにくい文章であると思いますが、見直しを続けると一向に記事が更新できない状態が続きますので、見切り発車のつたない記事ですがご容赦いただけますと助かります。

 

 

 

 


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