今日の記事は、少し特殊なケースについて書きます。

 

発達障害の子供の兄弟姉妹については時々、記事にしていますが、成長して成人した大人の親族の、大きくなってから明らかになった「びっくりな特徴」などについては、たまにしか書いていません。それぐらいマレであるから、なのですが。

 

今回は、そのマレなケースで、本人も自覚がなくて「びっくりした」事例でしたので、記事に書き起こしてみました。

 

私達親族の場合、発達障害の特性を持って生まれる子供は一定数います。だいたい、乳幼児期に特性を持っていることはわかるので、早めに療育的な関わりをしていきます。

 

その中でも、自閉の特徴ではっきりとわかるのが「自他の境界線がない」ことです。他人と自分の混同が激しい場合、周囲の人間の手足・意志を「自分のもののように」自由に使おうとし、相手が思うように動かないと激しく動揺し、その動揺が怒りへと変わり、乳幼児であっても癇癪を起こして泣き叫び、相手を「自分の思うままに操る」ように働きかけてきます。

 

こうしたケースでは、コツコツと自分自身と他人とは「違う生き物」であり、「違う価値観、違う物を好きであり、違う物が嫌いであり、同じ事を考えているわけではなく、その時・その場でやりたいことも全く違う」というようなことを、丁寧に教えていきます。

 

その混同が幼稚園時期まで続くと、だんだんと兄弟姉妹の領域を侵し始め、思うようにならないと癇癪を起こして言う事を聞かせようと騒ぎ立てたりするため、怒られるのが上の姉・兄だったりすると、相手の兄弟姉妹が嫌な思いをすることになります。

 

特に、上の兄弟が遊ぶ友達を「自分の友達」と思い込み、共に行動して、兄や姉が同級生と遊びに出ようとすると、年下で関係のない自分まで一緒に行って当たり前と考え、それを兄弟姉妹が無理だと言ったり、親から「あなたの友達ではないのだから、年齢も違うし兄姉がやりたい遊びができない、行きたいところに行けないから、自分の同級生と遊ぶように」と促されても聞けずに泣き叫び、なんとか自分が「自分の友達」と同等だと思っているグループと行動することを周囲に強制してきます。

 

何しろ、乳幼児、児童期は泣いて叫べば周囲がおれて、「まあ、いいよ」と許してくれるため、よけいに誤学習がすすみ「ほら、兄弟姉妹の友達は自分のものと同等だ」と思いこむ傾向に拍車をかけてしまいます。家の中で遊んでいても、当たり前のように自分が参加すると思いこみ、それを阻止されると泣いて騒いで「自分の正当性」を泣いたり怒ったりして吹聴してまわるので、周囲が疲れたりもします。

 

そのため、乳幼児の癇癪に「踊らされないように」親は気を付けておき、両方の言い分や状況を鑑みて、どんなに小さい子が泣いて訴えようと、それが

 

・「兄や姉のつきあいは、あなたが築いた人間関係ではない、あなたは兄姉とは兄弟姉妹という家族の関係性だけど、兄姉の友達とあなたは赤の他人だ」とか

 

・「他人のものを借りたい・使いたい」とか

 

・「兄弟姉妹のものを今すぐ、自分もほしい」とか

 

・「勝手に、兄弟姉妹の了解なくその兄弟姉妹の所有物を使った」とか

 

兄・姉や妹、弟の人間関係は「自分のものではない」ことや、兄弟姉妹の所有権は相手にあること、決められるのは所有者である相手だけであり、所有していない自分には決定権はないこと、を教え続けていきます。

 

これらのことが尊重できない言動は、説明した上で、取り合わない(スルーする)ようにします。乳幼児、児童期のヒステリーのような癇癪はひどいものが多いですが、この癇癪が激しいほど「自他の境界線が曖昧で自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」と思い込んでいると考えます。

 

「自分がしてほしいこと・考えていることは相手も全部わかっているはず、なのに理解してくれない!」と相手が超能力者であるかのように、何でも理解していて、周囲の他人が自分の考えている全部のことに同意している前提で言動する態度には、自閉の濃さが反映している、として、周囲が見えるように、自分と他人が区別できるように関わっていきます。

 

さて、こうした取り組みをしていて、自他の境界線が区別できている、兄・姉の同級生を「自分の友達」と思いこまず、兄弟姉妹の築いた人間関係は自分のものではにあ、とか他人のものを借りたい時には「貸してほしい」とお願いできる、たとえ相手に「今使うから貸せない」と断られても、「自分のタイミングで借りたかった、どうしても使いたいし必要なのに、それがわかっているのになぜ貸してくれないんだ!ちゃんとお願いしてるのに意地悪だ!」という風な、自分中心の自閉視点で、他人の都合や所有者の権限というものを無視した言動をすることがなかった、自他の境界線は身についたようだ、と思えたある親族の大人の話です。

 

当然、周囲が困らされたり、自他の混同がある様子がなかったため、誰も気がつけなかったのですが、その素養が刺激されて全面的に出てくるケースがありました。本人の自覚無しに、です。

 

それが、兄が結婚したことで新しい「家族」ができたため、混乱と混同が誘発されたようです。

 

兄は家を継ぎますので、両親といずれ同居する予定でした。下に弟と妹がいますので、その二人が学生であるため、社会人になって自活し家を出るまでは同居はしません。ですが、両親はお嫁さんに言葉として「家族として受け入れる」ことを喜びと共によく伝えていました。

 

この「新しい家族」という存在を、弟である親族は、「自分の家族」として強く意識するに至り、間違った解釈をしてしまったようです。どうおかしな言動が出たかと言うと

 

・兄がお嫁さんを連れてきたときには、必ずお嫁さんの横に座り、兄と同じぐらいくだけて仲良くする(兄と嫁の関係が、自分とお義姉さんと同じ関係性であると誤解している。婚姻関係と義理の姉弟関係が理解できていない。)

 

・週末、兄夫婦が自宅(実家ではない)でゆっくり過ごしていると、弟が訪問し、自分も兄夫婦と過ごそうとする(共に過ごすことが家族と考えて行動している)

 

・実家での雑談をしている時に、お嫁さんが何かを夫である兄に相談していると、兄と同様に弟が自分の意見を言い、自分の妻であるかのように相手の家庭に入り込みすぎた発言(金銭のやりとり、休みの日のすりあわせ、お出かけの予定など)をする

 

などです。これが頻繁に起こるようになり、親も兄、妹も「おかしい、言動が少し逸脱している」と感じ、本人に親と兄から話をしました。

 

兄は、「自分の嫁はお前の妻ではないから、妻に何かをお願いしたり、共に行動したりする時には兄の自分に先に許可を取ってほしい。自分たち夫婦に同行したい時や訪問したいとき、休みを共に過ごしたい時も事前に予定が空いているか、同行していい用事なのかを兄の自分に確認してほしい。」

 

「嫁とは直接電話やメールはひかえてほしい、もし電話やメールをしたとしても、嫁は夫である自分に報告をしていると思ってほしい。」

 

「兄弟と夫婦は違う。兄弟姉妹と自分達夫婦は別家庭であるから、別行動を取ることが多い。夫婦は二人だけで共に考えて相談しないといけないこと、例えば家庭の方針や、稼ぎや出費の事、2人で家事や休暇をどうやりくりするか、子どもはいつぐらいまでに欲しいか、何人なら養っていけるか、などは二人だけで決める。弟のお前には全く関係のないことだし、共に考えて生きていくわけでもない。参加されると逆に困る。お前は俺達夫婦の家庭の一員じゃない。お前は将来、お前の嫁と子どもとで、自分の家庭を持ったときにすることを、俺達兄夫婦とやろうとしている、それは間違いだし、踏み込み過ぎだ。」

 

というようなことを言いました。

 

言われてびっくり、気づかなかった、ということです。気づかないはずはない、と思われるかもしれませんが、非定型の人間は当たり前にわかる常識をぽっかりと理解していない部分を持っていますから、時々こういう、世間がびっくりするほどの「無知さかげん」でポカミスをします。一度やると二度としないぐらいの学び方もできます。ですが、学ぶ前に、つい、人と人との関係性をよく読みとることができない、そういう凹み部分を特性として持つこの親族の弟のように、弱い部分をうっかり露呈することがあります。

 

本人は平謝りでした。姉として接している「つもり」でいて、なるべく親しく、他人行儀にならない「家族として」受け入れようと努力した結果でした。実家での生活の延長上で、「その中にお嫁さんが来た」と把握していたわけで、知らないことが多いだろうから、自分が「弟として」あらゆる生活の場面でサポートしてあげないといけない、という風に思いこんだわけです。

 

実家にいる「その場限定」であれば、そう解釈もできたでしょうが、兄夫婦の家におしかけて共に休みを過ごすことが「家族だ」と思っていた時点でズレが生じています。また、相手の家庭の「経済的なこと、実家とは関係ない兄夫婦の仕事や休暇・家事のやりくりや二人のデートの約束など」に、家族としてアドバイスをしようとしたり同行する前提で話をしたり、自分達と生計を共にしているとどこかで思い込み、そこに自分も加わっているのが当然という前提で言動していることから、「これは絶対におかしい」ということになったわけです。

 

夫婦二人で約束しての外出はデートであり、ついていくのはお邪魔虫であること、夫婦二人で稼いで稼ぐ金額に応じて出費を考える作業に、稼いでいない生計を別にする学生である弟が口を挟むことがいかにおかしいか、ということなどを一つ一つ、説明して「そうか、そうだよね、何でわからなかったんだろう」という驚きぶりでした。

 

その後、兄の妻を「実家で共に生活している自分の家族」のように扱うことはなく、「兄が結婚して、自分だけの家庭を持ち、実家の生計とは切り離した、兄夫婦だけの生活をしている」という風に、曖昧で理解が不十分だった部分<義理の姉と弟の人間関係というもの>をクリアして、おかしな混乱は全くなくなりました。

 

「考えればわかることを、自分はこうも混乱して、他人との間違った距離感や関係性を持つことがあるのだ」と、大変反省していました。学校などは、家の中と外、という「枠」で区別できますので、先生や友達、習い事の仲間、近所の人、という「他人」は区別つきやすかったのだと思います。それが「お嫁さん」という前例にない新しい家族を迎える事態に、この弟は「実家の親が家族として受け入れている」という事実と、兄が事実、家族としてお嫁さんを扱っているので「実家という家庭の中のカテゴリーに入ってきた新しい家族」を、自分の親兄弟と同じに考える、という風に極端に走り、自分の考えや都合を家族のように「伝えよう」「すり合わせよう」としたのだと思います。

 

家族としてやってきたことの延長を、兄嫁にもしようとしたことでズレが生じてしまいました。こうしたことを避けるために、いきなりの同居をすることは通常しないのですが、やはり用心して、兄夫婦は独立して生計を別にした状態からスタートしてよかった、と親も感じたようです。いきなり同居をして、兄夫婦と弟・妹が共に住み始めたら、人間関係の距離感や関係性の違いを明確に暗黙の了解で対応できることが難しいこの弟は、もしかすると妹も共に、兄嫁に多大な負担をかけて大変な大混乱が起こるところでした。

 

今は普通に、「親戚」ぐらいの距離感で、この弟は兄嫁とつきあうことができています。週末に、共に出かけるのが「当たり前」とも思わず、自分と兄夫婦の生活は別、ときちんとけじめがつけられています。

 

マレなケースですが、大変な驚きをもたらした実例なので、了解を得て記事にしてみました。兄嫁さんは案外豪快な人で、この不思議ワールドの出来事を「田舎の習慣か何かかと思った。みんな仲がいいんだなぁって思った」そうで、いつも飄々としておられます。「普通だったらこんな過干渉の義理の家族なんていや!って言われて逃げられるわ」と親族の親・兄妹も、感謝してもしきれないと言っているほどのおおらかさです。

 

以上、マレな出来事について書いてみました。

 

文中にある「自他の境界線」については記事をいくつか書いていますので、私のブログ内検索に「自他の境界線」というキーワードで記事検索をしてみてください。いくつかは以下にリストアップしておきます)。

 

発達障害の人の、「他人との境界線がわからない」というのはこういうこと。集団生活にひそむ危険性。

 

 

 


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