一族の中で、どの発達障害の特徴を持つ人間が、一番困り感があるように見えるか、というと、だいたいが「受け身の、受動型かなぁ」と親族は言います。


積極奇異型の人間やADHD系の特性が濃い人間は、成人して社会人になると、その積極性が必要とされるところは意外と多いので「メリット」として働くんですよね。そして高機能自閉症の子は、その特別な集中力とわずかな抜け穴、というか、誰も興味を持たない、誰もが嫌がるような分野を鬼気として探究する性質があるので、それもまた必要とされる場があるわけです。この両者は、「集中すると」「自分の興味が沸くと」爆走し能力を発揮するタイプです。



ところが、受け身の性質であると、勢いがまずなく、心の状態も把握できないことが多いので、現実感がないまま社会のあれこれに対応して混迷することが多いです。怒りや悲しみの感情は、かなり強く出る傾向がありますし、悲観しだすと誰よりも鋭敏に自分の脱力感や絶望感を感じる傾向はあります。ネガティブな感情には長けていて、ポジティブな感情には無知な状態、というのがぴったりかもしれません。


こうした悲しみや絶望という感情は日常的にやすやすと感じることができてしまうため、受動型の人間はくどいほどに、自分をルール付けや知識でまかなっています。それでなんとか平穏な生活を送れるのですが、残念なことに、ルールや処世術の知識だけでは、自分の毎日の生活・・・そこに達成感とか、満足感があまり感じられないです。その原因として考えられることの一つに、 「自分はいったい何に興味があるのか」という部分で、受け身になってしまい、自分のことを理解する技能が低いことが大きなデメリットとなっています。


自分は自分のことがよくわからない。


自分で、はっきりと物事を判断できない。


だから、興味も見つけられない。


だから、楽しい経験ができない。


だから、ポジティブな感情をあまり経験できない。



こういう、経験不足のサイクルに陥っています。


さらに付け加えるならば、経験不足なら「とりあえず」経験を積めばいい、と思われるでしょうが、これがすべての面において受け身的なので、「とりあえずやってみる」という姿勢はまず持てません。そのためあらゆる面で受け身である、という土壌(性質)のため色んな芽を育てるのが難しいです


良い経験が少ない、ということでモチベーションが湧かない=種のままで芽が出ないのです。


「めんどうだ」という気持ちが強く


新しいことにチャレンジすることに抵抗があり(めんどう、不安)


種から芽をだすために、水をやる(チャレンジする)ということがまずあまりできない。


芽を出せるように日当たりの良いところに鉢を移す(行動、活動をする)ことも、おっくう。



こんな感じで、放っておくと受動型の子供は、性質である土壌が受け身すぎるので、ちゃんと才能という種は持っているにもかかわらずその種にすら気づかないまま、芽は出ない、となぜか思い込んでいるので自分では水もやらず、日光にも当たりに行かないです。



この例えは、むかし受動型の親族の子供達に手書きで絵をかきなぐりながら、「こんな風に見える」と伝えたくてよくしていた例えです。受け身であり、よく自分がわからない、わからないままなんだか気持ちが晴れなくて、鬱々としたまま過ごしている、物事をはっきりと判断できない、こうした自分を認める、知るということが目標で、これとペアで、「だからこういう工夫を、私達(受動型の大人達)はしているよ」と図解しながら、説明しながら聞かせていました。



受動型の子に、こんなにストレートに性質を話せば落ち込ませるのではないか、と心配されるかもしれませんが「自分は受け身であるから、こんなに不便な思いをしていたのだ」という気づきに初めて出会う事で興奮する子の方が多かったです。普段おとなしい、真面目な感じの不思議ちゃんが、めずらしく「すごい」とか「そうだったんだ」とやや興奮する様を見ると、問題点はやはり自分がわからなくて混乱して生きている、それが苦痛である、という点なのではないかと思うのでした。


そうだな、自分は確かにそんな感じだ、そうか、そういう風だから、いいこともなくて苦しい感じなんだ、と色々感想を言ってくれます。苦しんでいる子ほど、自分を知れば知るほど、その部分で対策ができるということも同時に知るのもあって自分に対する興味の度合いが格段に上がります自分に興味が湧いて自分を掘り下げようとモチベーションが上がるのと同時に、色んな工夫や対策もぼつぼつやり始めることになりますから、もちろんその効果で「よいことがあった」「良い経験ができた」というポジティブな経験という出会いをして、目が覚めていく感じです。


こうした自分を掘り下げる機会を持たないと、いつまでも鬱々と、良くない経験ばかりを受け身で吸収していき、そこから脱出できない状態で何十年も暮らすことも可能だ、ということは想像に難くありません。受け身の人間は、自分を知らない状態で受け身であるからゆえに対応ができないのです。受動型の人間は、決して最初に書いた「経験不足のサイクル」から来るネガティブな感情とネガティブな経験の記憶にあふれた鬱々とした自分に満足はしていません。常に、苦痛に思い、なぜだろうと思っています。何が自分をこうもダメにするのか、何が自分をこうも苦悩させるのかを我慢強く、もう苦痛であるという感覚までが鈍くなって無くなるぐらいまで耐えていきます。そうして知らず知らずに行きつく先が、うつ病なのです。


そうなる前に・・・精神を病む前に、こうした「自分を知る」ことで、自分の性質となんとか向き合ってやってみたいな、なんだか知るとすっきりしてくるな、という気力を取り戻し、少しずつ良いトライアルを重ねることで、心が軽くなっていき、笑顔がふえて、楽しい、と思える時間を過ごすことができるようになるのです。自分を探究して、その後であれば、多少は生来の性質に引っ張られて受け身であっても、そうした自分を知っているがゆえに気持ちも考えもコントロールできるのでストレス度合いは、とても軽くなります。


実際に、親族と結婚した受け身の性質が強いパートナー達は、独身時代にひどいうつ病の経験があっても、自分探究をした後では心身ともに健康をとりもどしている人が多いです。



受動型の発達障害について、これは絶対必要であろうと思うことを書いてみました。




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