アスペルガーや自閉症スペクトラム、高機能自閉症の一族が大家族であることが意味するのは、「つながり」です。
発達障害の特性ゆえに、一人で完結し、他人と群れない事の方が快適と思う。確かにそうですね。ですが、これも「定型との集団生活を考えると」という前提です。
発達障害の人間であっても、ウマの合う、気の合う人間といると快適ですし、幸せを感じます。この幸せ、というのは定型一般の人々と居る時には、本当に失礼な話なのですが、全く感じることができません。定型の人といると、いつもなにかが「ずれる」と感じているのと、そのせいかわかりませんが、神経が緊張するというか、気が張ります。
発達障害がある人間同士なら、誰とでも気が合うか?というとそれは違います。全く違う、と断定してもいいです。定型の人といる以上に、気の合わない発達障害者同士というのは、やっかいなぐらいイライラしますし、一言で言うと「本当に合わない!」というだけです。
なら、うちの一族はどうかというと、気が合うのです。障害の特性はみんなバラエティーにあふれていて異なる人間ばかりです。だけど、小さい頃から同じ価値観を共有しているからか、誠実であり、だまされることはまずないですし、攻撃されることもなく、心から安らげる時間が持てるのは、この一族の人間と居る時だけです。
そういう私達が、結婚しているのはどうしてか?
なぜだかこの広い世界には、私達と似た価値観、似た考え方をする人間がいる、ということだと思います。もちろん習慣は違いますし、例えば細かいことを言えば、生活のスケジュールや洗面台、お風呂の使い方などは全く違います。
けれど、食事の好みが和食でだいたいかぶっている、とか、見たいと思うテレビや映画がかぶっている、とか、子供を育てる時に大切にしたい考え方や価値観がかぶっている、とか、そういう点で多々デジャヴを経験するかのように、一族に近いものがあるんです。
私達は、同族を見つけ出す時に鼻が利くのかもしれません。しかし、そうではない親族もいて、「発達障害という点では同じだけど、価値観や考え方が全く違っている事には気が付かず」にお付き合いして、とんでもなく傷ついて疲弊してお別れ、という経験をしている人間も何人かいます。やっぱり、発達障害の人間と仲良くなる私達ですが、価値観がずれていると付き合いは良好とはならず、お付き合い期間も短くなりますね。
出会いの場は、全く出会いらしくない所での出会いというのが多いです。大学の研究をしていて、実験に足りない素材があって探しまくり、別のゼミにあると聞いて突撃して行き、どうしてもいるから譲ってほしいとお願いした先で出会ったのが、将来の夫、みたいなケースとか。したいことがあるとそれしか眼中にない状態で、その状態にある人間(将来の妻)を見ていた人間が「同族だ」と匂いを嗅ぎつけたかは知りませんが、絶対に自分から話しかけないはずが話しかけて仲良くなり、あっという間に意気投合、というような奇跡の出会いがあるわけです。そして結婚につながる、というような。
農業をしている人間も、似たタイプで意気投合して結婚、というのがあります。農業している人間の結婚年齢が24歳とか25歳なので、早いですよね。仕事で夢中になって、その仕事関係でならべらべらしゃべれるので、仲間内で集まっている間に自然とペアに、という感じです。
どのカップルも長続きしています。共通点は、「自分が何かに夢中になっている時に、自然とわいて出たのが今の夫(妻)」という感じで、出会いを見つけよう、伴侶を探そうとしたことが皆無ということでしょうか。コアな所が、価値観がぴったりなので、自然と引き合うんでしょうか。多少の生活習慣がずれていようが、なんとかなるんですね。一族の人間は皆お互い自立しているというか、自己完結している人間が多いので、依存しあうということがないのもいいのかもしれません。
そんなこんなで、一族は絶え間なく人間が増え、子供が増えていますが、似た価値観の集団はなぜか新参者の初対面でも打ち解けられるという不思議も経験し、みんな平和で和気あいあいと過ごしています。ですので、先の記事でも書きましたが、皆が盆暮れ正月を楽しみにして自然と集まるんですね。
年末が待ちきれないです。
大切な人々との数日は、このうえない幸せな時間です。
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