定型さんのお母さんや


発達障害と診断された際に案内された、発達障害についての


説明会へ行ったときに感じる「違和感」。



定型さんて、絶対的に「愛情」を当たり前の前提に生きているんですね。


子供を育てる時は、「よりそう」のも、「理解」するのも


愛情を伝えるため、


思いやりも、支え合うのも、「愛情」から。



これ、本当に 「はずしてる」と思います。


そもそも、私たち、アスペルガーや自閉症スペクトラム、


高機能自閉症の人間に


「愛情」という物差しで頑張って、あれこれしながら育てたら


全くにっちもさっちもいかなくなる と思います。



うちの一族にも、母親大好きな息子(小さいのも成人しているのも、老人も)


がいたり、兄弟の中でも「こいつとだけ仲がいい」という


「特別なきずな」を持っているかのように見える人間がいますが


「愛情でつながっているか」というと、そうじゃないと思います。



そもそも、私たちに、定型の親や定型の人の愛情や心を理解するのは


ちょっと無理です。


愛というのは、心から湧き出る愛しい、優しい気持ちなんですよね?


そういうの、私たちは、まあ、


「かわいいな」とか「好きだな」という瞬間、瞬間の「感想」は持ちますけど


長く続く「愛とやら」は、正直、持ち合わせていないと思います。



だから、よく定型の親が子に


定型の夫や妻が、片割れに


「私のことなんかどうでもいいように見える」と不安が出てくるようですが


瞬間的には、好意を持っています。


でも、基本、自分の内側で生きて完結しているので


体が別な親や恋人なんかの存在を、すかっと忘れていること多々あります。


一緒の空間にいても、気にすらしていないことも。



一族といて心地いいのは、これが当たり前なところです。


定型といると、「いつも私を気にかけて。一緒にいるって思っていて」


というプレッシャーと、理不尽な要求に疲れてしまいます。




ただ、私たちには、「こだわり」と「普遍性(変化が嫌い)」というのがあり


それが、一見、愛情に見えるんだと思います。



例えば、男どもが、母親に執着して、大事にしているように見えるのは


子供のころからの利害、メリットから派生しています。


母親=快適、楽をさせてくれる、良い人、安全な人


というインプットがされているので


離れるのが難しいのです。



これが悪い方へ行くと


嫌な事があると、母親を罵倒して八つ当たりしたり


むやみにからんで、「やめて」と言われてもボディータッチしたり


叩いたり、よじのぼったり、噛んだりするわけです。



許されるから。


そして、さらに母親が定型で、「愛情のために」とガマンすると


「やっぱり許される。都合がいい人」と確信して


ますます、執着してこだわるし、悪い言動もとまらない



定型のお母さんって、よく我慢しますよね。


この、ガマンの心理がさっぱりわかりません。


嫌なら、絶対ガマンできない。


(我慢すると精神的に崩壊する)のが、私たちです。


だから、その自分たちの前提で定型の親を見ると


親が我慢しているとは到底思わないし、


なんだかんだ言っても、「愛」とやらで喜んで受け入れている


と勘違いしています。


発達障害のある子供は、ことあるごとに親から、


「あなたが大好きだから」と、説明を受けてますよね。


これ、「大好きだから」親は、私達が何しても受け入れてるんだ~嬉しいんだ~


と、単純に誤解していることが多いと思います。



他人でも同じです。


礼儀や、建前で優しくしてくれて


何をしても、言っても許すような人のいい人間は


私たちには誤解の対象となりやすいです。


結果的に、私たちのような人間が執着したりこだわったりして


相手を不快にさせることが多いと思います。



定型の人と夫婦になったときに上手くいかないのは


この「愛とやらで好かれている=何をしても許される」という確信と、


誤解からエスカレートする言動のひどさと


その後、定型のパートナーから愛想をつかされ、お互い、嫌いになったとしても


自分からは「変化を起こさないし起こせない」ので、破綻してても離婚せず


ずるずる、ずるずると夫婦生活を続ける。



この頃には、パートナーは自分にとってどうでもいい存在になっているので


何を言われても、耳に言葉が入って来ません。


興味がない対象が、泣こうと説得してこようと、蚊の羽音レベルで


うるさいなぁ、ぐらいに思っていることと思います。


百かゼロの思考というのもあって、興味なくなる=ゼロ、です。



こんなところかなぁと思います。



なので、定型の「愛情という価値観を基礎に」療育したり


子供と接したりしていると


どんどん、子供の態度が横柄に、また粘着質になってくるのは


子供に「お母さん、お父さんには何してもいいのよ~それでいいのよ~」


と、悪い面を肯定しているケースになっちゃっているのだと思います。




うちの一族が上手く子ども達を育て上げて


社会でやっていけるように送り出せているのは


「愛情という価値観」で育てていないからだと思います。



そんなものは、理解できないファンタジーです。


見えなくてコロコロ変わる、不可思議な概念です。






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