前回記事を書いてから、半年近くが経ってしまいました。

 勿論何もしていなかった訳ではなく、色々やっていたので記事を書く余裕もなかった、ということではあります。

 「必要」と書くと、言い換えれば「必須」と同様に「なければならない」「しなければならない」ということになるのでしょうか。少し幅を取るならば「すべき」となるのかも知れません。
 反対語は「不要」でしょう。そう考えると、ニュアンスが何となく伝わりそうです。

 「(特別な)支援が必要な児童・生徒」という言葉においての「必要」は、そう考えるとかなり強く感じてしまいます。「支援をしなければならない」と呼んでしまうと、するほうもされるほうも、何だか精神的な負担感が過大になってしまう気がします。
 個人的には「支援すべき」くらいなら、幾分ましかな、と思うことにします。

 言葉遊びになってしまうかも知れませんが、ここで「必要性」という言葉と較べてみます。
 こうなると随分と印象が変わります。「必要性」という言葉は、「必要とする度合い」を表すので「必要性が(極めて)高い」とか「必要性が(あまり)ない」などという使われ方をします。幅広く使うことができそうですが、私達は普段からこの「必要」と「必要性」という言葉の違いを意識して使っているのか、と言われると、あまり自信がありません。

 「必要かどうか」と言われれば、YESかNOかの「二者択一」を求められるのかな、と思うのですが、多くの場合「必要性が高いかどうか」という判断がまずあって、最終的に「どちらかと言えば必要(不要)」という「結論」に達するのでしょう。
 人間の「判断」というものは、こんな曖昧なものがあちこちにあるのだと思います。

 と、偉そうに書いてみましたが、これって単に「何でもないことを、さも意味あり気に書いてみた」例なんじゃないかと思います。
 只の「言葉遊び」と言ってしまえばそれまでです。
 すいません、個人的な興味というか「思い」から、実験的に書いてみただけですので、あまり深く考えないでください。

 前置きが長くなりましたが、今回は一応「必要かどうか」迷った話です。
 でもそれを考えているうちに「必要性がない訳でもない」という結論になったので、「必要」と「必要性」の違いって何?的に、小難しく書いてみたら「こんなのできました」ということです。

 思い返すと、学生時代も「大したことのない中身を、さも凄いことのように」レポートや論文を「水増し」して書くのが得意でした(……自慢することではない)。
 詩だとか短歌・俳句のような「限られた文字数に思いを込める」ことが苦手で、何を書いても「長編小説」のようになってしまうタイプです。絶対にコピーライターには向かない人間だと思います。

 また話が逸れました。

 今回「必要」かどうか、と思ったのは、長男が中学校に入ってから少し経って利用を開始した「放課後等デイサービス(放デイ)」です。

 利用している放デイの事業所では、年に何度か「保護者面談」があります。
 高校2年も終わりに近付いて、の面談の時に、管理者さんから「来年度も継続されますか?」と訊かれました。
 他意はなく、高校3年になると進路の関係などで忙しくなるであろうことを考えて、という感じでした。

 以前にも触れたと思うのですが、この放デイ事業所は、賑やか過ぎる環境が苦手だった(現在はそうでもなくなりました)長男にとって、小学生とは「分離」された(中学生以上しかいない)事業所というポイントが決め手になって選んだ所です。
 中学生は、ほぼ地元の公立中学校の特別支援学級に在籍していますが、高校生は特別支援学校高等部が大半です。普通科の公立高等学校に通うのは、長男が初めてでしたが、同じ放デイの後輩で同じ高校に進んだ子が一人いるそうで、長男の(良い意味での)影響も少なからずあったようです。

 中学卒業後の進路を考える中で、選択の幅を拡げようと、療育手帳(4度/B2)も貰ったのですが、いわゆる「知的な遅れ」と言うよりも「偏り」が極端なタイプです。
 成長とともに「できないこと・苦手なこと」を「できること・得意なこと」の能力で補えるようになってきたので、日常生活で困ることは、ほとんどなくなりました。

 そのため、放デイ事業所の職員さんから見ても「もう指導することがほとんど見つからない」ようになっていて「支援計画」を立てるにも何を書けばいいのか、と悩むことになります。
 それでも時々、本人が「何に困っているのかわからないけど、何かに困っているようで不機嫌」になることがあるので、適切な「支援要求」を発することができるように、という路線でお願いしています(実際、そんな場面もほとんどないようですが)。

 こうなってくると長男にとって、そもそも放デイを利用することが「必要」なのかどうか、という課題が出てきます。

 現在は、部活もあるので週1回の利用が基本で(中学校の頃は週2回利用)、その他に土曜日に週替わりで色々なプログラムが行われている中から、気になるものにだけ出席するという感じです。
 費用的には、利用者負担は1割だけなので、1回あたり千円もかかりません(更に月額の上限もあり超えた分は公費負担)。毎月の利用料の引落しも、数千円の範囲内です。あまり負担には感じませんし、むしろ「こんな料金だけでいいんだ」と有難く思っています。

 でも、この放デイ利用によって、長男の「委員長キャラ」が育ってきた可能性が高いです。

 結果論だとは思いますが、これまで長男には(長女にもですが)色々なことを経験させました。
 小学校入学の頃には、まだ放デイ事業所がかなり少なく、選択肢がなかったため「放課後児童クラブ(学童保育所)」を利用。
 その後、長女とともに「スイミング」に通い、そこでやっていた「空手」にも参加することに。中学校からは「放デイ」、更に「ボウリング」と、結構な「経験」をしたと思います。
 そして、小学校・中学校を通じて9年間、特別支援学級にいました。
 ここに挙げたいずれもが、多学年・学齢にわたるメンバーで構成されるコミュニティであることは大きかったと思います。
 その集団の中で、相対的に年齢・学齢が上がって行くことに伴い、集団内で担うべき「役割」も変わって行く、これを色々な「集団」の中で経験してきたことが、本人の中で上手く繋がったことによるのではないか、と。

 放課後児童クラブでは下級生から「●●兄(にい)」と呼ばれ、習い事では準備体操を前に立ってやったり、ボウリングのジュニア練習会では最年長になって「号令」を掛ける機会が多くなり、中学校の特別支援学級では、同じ放デイに通う後輩を「引率」したり。
 放デイでのグループワークでも「まとめ役」的に立ち回るようになって、修学旅行の項でも触れたように、宿泊したホテルでは「室長会議だから不在になる」と言われてびっくり。

 

 

 このような経験による成長は、枚挙に遑がないほどあって、そういう意味では、この放デイ事業所での経験も大きな意味を持っているとは思います。
 通い始めたばかりの中1の頃には、やはりまだ「支援」を必要とする場面も多かったでしょうが、今では支援する側に回っているのかも知れません。
 でもそれは、他の「集団」の中でも、成長に伴って「役割」が変わってきたことと、さほど違いがあるとは思えません。

 確かに、現在の長男にとっては、放デイに通う「必要はない」と言えるかも知れません。少なくとも「どちらかと言えば必要はない」のでしょう。でも「必要性はあまり高くない」と言い換えることもできるでしょう。
 しかし、本人にとってここが「居心地のいい場所」の一つであることは確かで、だからこそきちんと自主的に通っているのだと思います。少なくとも、こちらから「今日は放デイの日だから忘れないように」などと言い含めたりする必要は、全くありません。
 むしろ、このような「生活のリズム」を自分で身に着けることも、必要な訓練の一つだと考えれば、その「必要性」は高まってくるとも言えるのではないでしょうか。

 そして、かつては「支援される側」だった経験を踏まえて「支援する側」に回ることは、これからの社会生活において、重要な意味を持つのではないかと思います。

 「放課後等デイサービス」をはじめとした(一部)公費負担による障害児支援サービスを利用するには、福祉事務所などに「障害福祉サービス」の一つである「障害児通所給付費」としての支給申請をして「障害福祉サービス受給者証」の交付を受ける必要があります。
 放課後等デイサービスに関して言えば、このサービスの利用が必要と認められる場合には、各種障害者手帳の交付を受けているか否かを問わず交付されます。つまり、知的な遅れがない発達障礙など療育手帳の交付が受けられない場合でも交付される可能性が高いです。
 実際に長男の場合も、放デイのための受給者証を交付されたのは、療育手帳を貰う前でした。既に身体障害者手帳は持っていましたので、それが効いた可能性もないではないですが、むしろ特別支援学級に在籍しているという事実のほうが重要だったように思います。

 余談になりますが、この「受給者証」は、事業の性質上18歳(高校3年生相当)までに限られるものの、各種障害者手帳の所持の有無に関わらず対象になるという点で、手帳の交付を受けていなくても「障害者割引」的なものが利用できることがあります。
 有名なところでは、千葉県の最も東京寄りにある「某・夢の国」では、各種障害者手帳の他に「障害者総合支援法に基づくサービスまたは児童福祉法に基づく障害児支援サービス利用のための各種受給者証」でも【障がいのある方向けのチケット】が購入できるようです。
 障害者総合支援法に基づくサービスを受給申請する場合には、各種障害者手帳を持っていることが(必須ではないですし、指定難病でも適用になることがありますが)前提になりますが、児童福祉法に基づくサービスの受給申請については、手帳なしのケースも少なくありません。

 相変わらず話が脱線気味ですが、今年もこの受給者証の「更新」時期になりました。
 最初が、中学1年生になってちょっとしてから、だったので、期限が「1年間」になる受給者証は、6月末までの有効期間になっています。
 今回はまた、7月からの有効期間になる訳ですが、これが最後の「更新」になり、来年3月までの9か月間だけで発行されることになります。

 この受給申請には、申請書の他に「障害児相談支援事業所が作成した障害児支援利用計画書」を提出する必要がありますが、少なくとも現在住んでいる地区では、これに代えて保護者が計画書(ひな形もあるのでそれほど難しくはありません)を作成することでもいいことになっています。
 また、事業所の報酬についての「加算」の関係で、申請の際に「加算の対象となる児童に該当する状態(課題となるような行動等がある)かどうか」を項目ごとにチェックするシートも提出することになっています。
 少し前までは、一部について「該当」する項目もありましたが、今ではすっかり影を潜めてしまい、一つもチェックを付ける所がありませんでした。
 本当に、手が掛からなくなったんだな、と思うのですが、これまで色々と苦労したことも、幾つも思い出されます。

 確かに「必要性」は低くなってきたのかも知れませんが、「支援が必要な人」もいる集団の中での経験については、違った観点からの「必要性」を生み出しているようにも思います。