以前、子供達が生まれてから暫くの間書いていたブログがありました。
 が、多忙になるにつれ更新が停滞し、子供達が3歳の頃には、筆者自身が「うつ」を発症してしまったため、完全に止まりました。
 それでも、何年かは残っていたようですが、先日アクセスしようとすると、削除されてしまっていました。
 特に0歳児の頃の記録としては、かなり克明に書いていましたので、今では記憶から抜け落ちてしまっていることも多いと思われ、残念ではありますが、仕方ありません。無料のブログだし。

 ということで、更に記憶が薄れていく前に、憶えている範囲で、再度ここまでの10年間を振り返ってみたいと思います。
 10年といえば、近々、子供達の小学校で「2分の1成人式」とも言われる「(小学)4年10歳の会」というイベントがあったりしますので、確かに一つの節目だとは思います。


 2007年3月、長女と長男は大学の附属病院で生まれました。
 双胎ではあったものの、いわゆる「逆子」ではなかったことから、自然分娩の予定でした。が、第一子(長女)の頭がやや大きかったため、途中から緊急帝王切開に変更。そのため、出生時刻は3分しか違いません。

 生まれる前から、双子であることは判っていました。

 結婚してから10年近く子供ができなかったのですが、その数年前からいわゆる「不妊治療」をしていました。
 最初は近所の産院、続いて近所の病院、更に大学病院(結局、子供達はここで生まれました)、と転々としましたが、なかなか授かりません。
 それまでの何倍も費用はかかるものの、意を決して、とある有名なクリニックに行くことになりました。結局そこで、3回目で懐胎したのです。
 これは現在でも議論のあるところですが、このような不妊治療(体外受精等)において、受精卵を幾つ母体に戻すか、という選択があります。
 少しでも着床、懐胎の可能性を高めるために、複数の受精卵を戻す、という方法が採られることも多く、その結果として品胎(三つ子)以上の多胎妊娠になるケースも見受けられました。
 あまりに多胎の場合には、当然ながら母体への負担も大きくなり、様々なリスクを伴うことになります。そのため、「減数手術」を行うこともあるようですが、これが事故のリスク(特に一卵性の双子などが含まれる場合は高い)があったり、生命倫理上の問題が考えられるなど、様々な問題も抱えています。
 現在では、受精卵を一つしか戻さない、という考え方が主流らしいのですが、当時、そのクリニックの院長は、確率とリスクのバランスを考え、二つ戻す、という方針でした。

 その戻した受精卵が二つとも着床し、順調に発達していったので「双子」であることは判っていました。ただし、超音波検査で(母体に対して上側になる)第二子が恐らく男児であることは判ったものの、(下側になるため骨盤に遮られる)第一子の性別は不明のままでした。
 なので、名前については「男・男」と「女・男」の2パターンを考えておくことになりました。
 本当は「女・女」のパターンは案があったのですが、お蔵入りに。ちなみに「何で、こっちはこの字なのに、あっちはあの字なの?」というトラブルが考えられた(例えば「真美」と「真智」など、「こっちは美しくないっての?」みたいな)ので、例えば「美優」と「優美」みたいなパターンです。

 結局「女・男」のパターンになったのですが、第一子については、姪(当時7歳)が、お腹に向かって「××ちゃん」(当時高校生だったある著名人が元ネタらしい)と女の子の名前で呼んでいて、「女の子がいるかどうかわからないけど、子供の勘って鋭いからな……」と思い、もし第一子が女児の場合は、その名前(字は違う)にしよう、としました。
 第二子は男児と判っていたのですが、筆者の父が「海軍オタク」で「もし男の子二人の時は『大和』と『武蔵』でどうだ」と、言っていました。そうならなくて良かったような気がします。
 結局二人とも、「読み」はありきたりなのですが、字は少し個性的な組み合わせになり、今のところ同級生でかぶることはありません。それどころか、現在通っている学童保育は100人近くを抱える巨大クラブなのですが、その中には「読み」すら一人として同じ子がいないのです。
 でも、現代においては、決して「キラキラネーム」に属する名前ではない筈なのですが……いや、「キラキラネーム」のほうが、かぶりやすいのかも知れません。

 とにかく、「男女の双子」という、周囲の誰からも「いっぺんに済んでいいよね」と言われる組み合わせになりました。お蔭様で「もういいや(笑)」と思ってしまいます。

 実は、この年の1月から、切迫早産のため「管理入院」になっていました。そこから34週に入るから、と一度「退院」してから一週間での出産となりました。
 妻は、30代半ばにさしかかっており、初産かつ双胎であることも含めて「ハイリスク」の病室へ。4人部屋でしたが、単胎は1人だけで、双胎2人、品胎1人という、「今は4人部屋だけど、全部生まれると12人になる」病室でした。
 大学病院の看護師によると、このところ双子は「男・男」か「女・女」しか生まれていない、と言われ、「うちも男・男かなぁ……」と思っていました。そう考えると、姪の「勘」は鋭かった。もっとも、本人は、全く憶えていないようですが。

 深夜に破水して、生まれたのは昼過ぎ。
 一睡もしていないので、やっと一息ついていると、看護師が「もうすぐ出てきますからね」と言います。

 しかし、その直後、医師から呼ばれました。



 嫌な予感がしました。

 直感と言っていいかと思います。

 根拠はありません。でも、かつて総合病院の医事課で医療事務をしたこともあり、こういう「勘」は鋭いです。




 そこで告げられた事実。



 長男は「鎖肛」であることと、恐らく右側の腎臓がない、ということ。




 「鎖肛」というのは、何らかの原因で肛門が形成されず、腸管の末端が体内で終わっている症状です。本来の肛門が形成される位置のすぐ傍まで腸管が達していれば、少し切開するだけで済み、そういうものを「低位(鎖肛)」と呼ぶそうです。で、(かなり)奥で留まっているものを「高位(鎖肛)」と言います。その中間が文字通りの「中間位鎖肛」で、X線などによれば、長男はこれに当たるらしい。
 その状態って、どうなるの、と思ったのですが、根治するには大掛かりな「肛門建造術」の施術を要し、新生児では無理で、ある程度成長してから、ということになるようです。それまでは、途中で留まっている腸管を腹部から体外に引き出し、そこに(一時的な)ストマ(人工肛門)を作って対応することになるようです。
 とりあえず「すぐに生命に関わる状態にはならないような対処が可能」らしいことは解りました。

 一方の腎臓。これは本来、左右二つあり、一つが欠けても「どうにかなる」のは知っています。親族から腎臓移植を受ける事例も、よく聞きますし。
 なので、一つの腎臓欠損だけでは、身体障害者手帳の交付対象にもならなかったような気がします。なるのなら、最下位の「腎臓機能障害4級」だったとしても、長男の場合は「複合2級」になっている筈ですし。
 ただし、一つしかない腎臓が事故や病気などで機能しなくなった場合には、致命的になります。これは、その一つの腎臓を「大切に使う」しかないのです。

 それにしても、ここは大学病院でありながら、何と「新生児の外科手術には対応できない」と言われてしまいます。
 そこで、対応できる専門の病院を探している、と告げられます。
受け入れできる病院が見付かったら、知らせるので、それまで待つように言われます。

 暫くして、妻と子供達が病室に戻ってきて、対面します。
 その後、医師から妻にも説明がありました。
 そして、受け入れられる病院が見付かった、と連絡が入りました。
 すごく遠い病院だったら、どうしよう……という不安が過りましたが、運良く、同じ区内の小児医療センターが受け入れてくれることになりました。自宅とこの大学病院の中間にあるので、移動距離的にも大きく変わることがなく、それもついていたと思います。

 しかし、これから暫くは、大学病院に残る妻と長女、一人だけ小児医療センターに転院する長男、自宅と二つの病院(と勤務先)を行き来する筆者、と、離れ離れの生活が続くことになります。
 ついさっき、生まれたばかりの長男を連れて行かれてしまう妻は、相当に寂しそうでした。その時の表情は、10年経とうとしている今でも忘れることができません。
 もし単胎だったら、実は、その小児医療センターは母子同時入(転)院もできたようなのですが、長女もいるので無理でした。

 そんなことで、長男は筆者とともに救急車に乗せられて、小児医療センターに行くことになったのです。
 即、緊急手術、というほどでもないようで(実際、手術は翌日)、救急車でなくとも……という気もしましたが、新生児を転院させるには、これしかないようです。
 たまたまこの日来た救急隊には、某テレビ局の「密着取材」が付いていました。なので、取材の「同意」を求められました。が、どうやら取材の趣旨が「不要不急で救急車が呼ばれる事案が多く、本当に必要な時の救急車が足りない!」的なものだったようで、多分使われることはないだろう、とのこと。確かに、緊急でもないけど必要には違いない、という「中途半端」な事案だと思います。

 余談ですが、今でも乗物(特に飛行機と電車)好きな長男。生まれて初めて乗った乗物が「救急車」だったためか、小さい頃は救急車が大好きでした。
 消防署見学に行っても、はしご車などより救急車に引き寄せられて行きます。
 緊急自動車は全般的に好きだったようで、小さな頃に甥(長男から見ると従兄)から「お下がり」で貰ったミニカーの中に「おしゃべりトミカ(現在は絶版品)」のパトカーがありました。

 長男が初めてしゃべった言葉が、



 「あーえのうぅあ、おやっちゃちゃい!」
 (実際には、もっと喃語度が高いので、字にならない)



だったのですが、これがどうやら、その「おしゃべりトミカ」が発する



 「前のクルマ、止まりなさい!」



であることに気付いたのは、筆者でした。

 ちなみに、この「おしゃべりトミカ」をくれた甥が初めてしゃべった言葉が「越後製菓!」だったそうです。

 (つづく)