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ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
~いずれ血に染まる~
選挙コンサルタントの八田晋呉です。
1900年代初頭に、
石油の採掘で大成功し、
財産を築いた男の話である。
監督は、
“パンチドランク・ラブ”“ザ・マスター”の、
ポール・トーマス・アンダーソン。
映画が始まって冒頭10数分間
セリフは全くない。
主人公のダニエル・プレインビューに扮する
ダニエル・デイ=ルイスがひとりもくもくと、
石油を採掘しているシーンが続く。
画面はノワール映画のごとく暗い色調。
音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド
の手による不協和な弦楽オーケストレーション。
主人公の狂気が観客に伝わり、
ストーリーの終末さえも
予測させるような不気味なオープニング。
この映画は、
人間の持つ本能的で救いようのない
業のようなものを見事に描ききっている。
皆さんは、
対面する他人の中に、
あなた自身もそれを自覚している、
自らが抱える最も嫌悪する部分を見つけ、
相手に対して憎しみの感情を
増幅させるという経験はないですか。
この映画の主人公は、
イーライという名の双子の宣教師の中に、
それを見つけてしまう。
その瞬間、
主人公と宣教師は合わせ鏡のような存在になる。
石油を輸送するためのパイプラインを
通すための土地を手に入れるために、
その土地の所有者から
イーライから洗礼を受けることを、
交換条件として持ちかけられ
主人公が教会で洗礼の儀式を受けるシーンがある。
イーライから、
「私は罪びとである」「私は私の息子を捨てた」
と懺悔せよと促されるシーンである。
最初の内は、
土地を手に入れるためならと、
その言葉を嫌々言っていた主人公だが、
その言葉を繰り返す内に、
言わされた言葉ではなく、
自らの魂から発せられる言葉に、
ある一瞬で変化するという、
この映画の中でのデイ=ルイスの
最高のみどころのひとつである
演技シーンがある。
映画館でこのシーンを見た時、
背中に電気が走ったのを今でも思い出す。
そしてこの映画の最後は、
富も名誉も手中に収めた晩年、
息子にも絶縁されて去られた主人公を、
出資を求めるためにイーライが久しぶりに
訪れるというシークエンスである。
今度は、
出資をして欲しいのなら、
あの時とは逆の立場で、
「私は偽宣教師です」
と言えと主人公はイーライに促す。
お金が必要なイーライは、
その言葉を繰り返すが、
それを見て気が狂った主人公に、
ボーリングのピンで撲殺されてしまう。
何やら様子がおかしいと、
見に来た執事に対し、
「私は終わった」
と呟くシーンでこの映画は終わる。
終わったのは、
殺されてしまったイーライではないのか?
主人公は、
自覚しながら抱えている、
自らの最も嫌悪する部分を
イーライの中に見つけ、
彼を殺すことで自分を
終わりにしたのである。
本作は、
私が世界中で最も好きな俳優である、
ダニエル・デイ=ルイスに、
二度目のオスカーをもたらした。
※リンカーンで三度目を受賞